7話「これから」
二人が会話していたことを知らないはずがないが、シンディは何も訊いてこなかった。
翔太が希望していた騎士との鍛錬について述べ、それを済ませると部下の侍女とともに食事の準備にとりかかる。
並べられたのは三人分だが、翔太の分と思しきものだけ一回り豪華だった。
準備が終わるとシンディは他の侍女たちを下がらせる。
これによって人目はなくなった。
本来ならばまず勇者が一人で食べ、その次にシンディ、最後にルキウスがとなるところである。
それがクローシュにおける身分というものだった。
ところがそれを無視しようとする男がいる。
この場においての最上位者であり、この国どころかカルカッソン全体においても必要な勇者だ。
その勇者が希望する以上、残りの者は従わなければならない。
シンディは余人ならいざ知らずルキウスと一緒というのはあまりよく思わないのだが、ユニスに釘を刺されたばかりである。
次期女王と目されている少女は優しいが甘くはない。
同じ失態を二度以上くり返せば、信用と今の地位を一気に失ってしまうだろう。
実のところ彼女はさほど地位に興味はなく、次期宰相になれなくとも一向にかまわなかった。
現ルヴァロワ家当主である彼女の父も、要職につけずとも何も言わないに違いない。
彼らは自らが慕う王族に仕えることを是とする一族である。
全貴族中屈指の力をすでに有しているからだというのは否定できないが。
これらから想像できるようにシンディが避けたかったのは敬愛するユニスと、信奉する勇者からの信用を失くすことであった。
内面はどうあれ、表面上彼女はルキウスに対して他の目下に接する時と同じ態度をとる。
この変化に翔太は軽く目をみはり、ルキウスはユニスに注意されたのだろうかと推測した。
食事をすませるとシンディはルキウスに話しかける。
「あなたの部屋は騎士棟に用意されたので、そちらで寝るようにとのことです」
「かしこまりました」
ルキウスは返事をすると翔太にあいさつをして退出した。
二人きりになったタイミングで彼はシンディにはっきりと問いかける。
「彼は嫌いか?」
「……彼がこの国の為、そして勇者様の為に働きそれを勇者様と陛下がお認めになるのであれば、わたくしが申し上げることはございません。未熟な身をお許しくださいませ」
彼女の美しい顔には己の非を認める色が宿っていた。
それを見た翔太はこれ以上追及することを思いとどまる。
「いや、シンディは俺の為に怒ってくれているんだろうし、その気持ちは嬉しいよ」
一方的に非を鳴らすだけではなく、その気持ちを汲む必要があると判断したのだ。
そうでなければ不満を蓄積させてしまうだけではないだろうか。
不満を持とうとどのみち勇者である自分には逆らえないと思ってしまうと、その先に待っているのは関係の破たんでしかない。
「あの頃、ユニスとシンディはきっと俺の味方だと信じられたから、こうして今の俺があると言えるくらいだ」
「もったいないお言葉にございます、勇者様」
シンディは恐縮したように小さくなる。
それは彼女の本心であるだろう。
ところが翔太にしてみれば、彼女に「勇者様」と呼ばれ続けているのは実のところ若干不満がある。
いい機会だと思い要望を言ってみることにした。
「いつまで経っても勇者様って呼ばれるのは、ちょっと悲しいな」
「も、申し訳ございません」
彼の言葉を聴いた侍女は非常に狼狽する。
「そ、それでは何とお呼びすればよろしいのでしょうか?」
向けられる緑の瞳には不安と媚が混ざっていた。
「ユニスと同じ呼び方でいいよ」
翔太の発言に他意はない。
すでに存在しているものと同じ方がよいだろうと考えただけである。
「は、ひ、姫様と同じでございますか?」
しかし、シンディはそうとは受け止められなかったらしく、さらに動揺してしまった。
どうしたのだろうと彼が訝しがって首をひねると、彼女がおそるおそる口を開く。
「それは一体どういうことでございましょう?」
「え? ユニスと同じ方が呼びやすいかと思って」
「えっ」
思わずという形で彼女の桃色の唇から、間が抜けた声が漏れる。
真っ先に気づいた本人は慌ててとりつくろう。
「か、かしこまりました。勇者様……ショータ様のお言葉とあれば、わたくしに異はございません」
「あ、うん。よろしくな」
翔太も違和感を覚えなかったわけではないが、切り込む為のとっかかりを見つけられなかった。
その為、気づかなかったふりをしたのである。
どことなく白けた空気がただよいはじめたが、ノックの音がそれを救う。
主の許可を得て入ってきたのはユニスであった。
彼女は中に翔太とシンディしかいないことに少しも驚きを見せず、それによって翔太は内心侍女に詫びる。
もしかしたら理由をつけてルキウスを追い払ったのではないか。
そういう疑惑を微塵くらいには抱いていたのだ。
そのような彼の心の動きを知ってか知らずか、王女はいつもの口調で話しかけてくる。
「ショータ様、防衛制度の件ですが陛下に奏上して、国内から案を募ることにいたしました」
一体どういうつもりでそのようなことを考えたのか。
とっさに意図をつかめず眉間にしわを寄せた彼に対して、彼女は説明した。
「これによってルキウスに功績を独占する気などないと、周囲に示すことができます。彼であればいくらでも手柄を立て、名誉を回復する機会がいくらでもあるでしょう。今はとにかく周囲の感情を和らげることが肝要かと存じます」
これを聞いた翔太は、そのルキウスが「シンディの態度はマシな方」と言っていたことを思い出す。
もっとひどい感情を抱いている者が大勢いるのだとすれば、たしかにそれを和らげることを考えた方がよい。
「それほどまでに勇者の存在は大きいのか」
彼はぽつりとつぶやく。
自分自身がではなく「神に選ばれた勇者」という存在が、という意味をこめて。
過去の勇者は暴虐や利己的と形容するのがぴったりだったはずだが、それでもこの世界では重きをなしていたのだろう。
ユニスとシンディは何も言わなかったものの、その表情が彼の発言を肯定していた。
「……俺も言動に気をつけないとまずいかな」
己を戒めるように言えば、王女がくすりと笑う。
「ショータ様はどちらかと申せば自信の方が足りませんわね」
「えっ? そうかな?」
翔太が思わずシンディに視線を移すと、彼女は真剣な面持ちで何度もうなずく。
「ゆ、ショータ様によって多くの者はとても勇気付けられております。真の勇者とはかくあるものなのだろうと、皆が申しております」
美しい少女たちに賞賛されると大変面映い。
だが、これも慣れていかなければならないことなのだ。
「じゃあもう少し自覚をもって態度を作るくらいの方がいいのかな」
彼は二人にそうたずねる。
本来であればこういった弱気な様子を他人には見せない方がよいのだろう。
それくらいのことが分からないわけではないが、彼女たちには今さらだと彼は思うのだ。
実際二人の少女は幻滅するどころか、真剣な顔で聞いてくれる。
「はい。上に立つ者は自信にあふれた態度を堅持せよ、とはよく言われることです」
ユニスがそう言えばシンディもこう言う。
「威厳は一朝一夕で身につくものではございませんが、心の持ちようひとつでかなり変わるかと存じます。下の者は上の者をよく見ているものですし、勇者となればなおさらでしょう」
実は彼女たちとしては「勇者が気にする必要はない、周囲が勇者に合わせるべき」と主張したいところだった。
しかしながら、それでは肝心の勇者の望む答えにはならない。
それを承知しているからこそ、自分たちの体験や教わってきたことを彼に伝えたのである。
「そうか……できるだけ気をつけるよ」
自信を持つ態度というものがどういうものなのか、実のところ翔太はあまりよく分からない。
翔太の前世は成功とは無縁だったからだ。
しかし、彼女たちの期待には応えたい。
手さぐり状態でもいろいろと試していくしかないだろう。
幸いなことによりよき存在であろうとしているかぎり、味方してくれそうな人たちはいるのだ。
失敗することよりも、成長しようとしないことを恐れた方がよい。
そう思うのだった。