6話「王族直属」
翔太としては軽く仮眠をとるつもりだったのだが、目が覚めると晩さんの時間を過ぎていた。
じっと部屋のドアの前で待機していたルキウスにそのことを教わり、彼は愕然とする。
「どうして起こしてくれなかったんだ?」
つい護衛代わりに残っていた男に抗議すると、淡々とした答えが返ってきた。
「はっ。姫様から決して起こしてはならぬと、厳命を賜っておりましたゆえ」
「そうか。悪かったね」
今の彼の立場ではユニスの命令に逆らえるはずがない。
そう理解した翔太は彼に一言詫び、立ち上がる。
「勇者様がお目覚めになった場合、姫様とシンディ様をお呼びするようご命令も賜っております」
ルキウスはそう言うと視線で呼んでもよいか、とたずねてきた。
彼が無言で許可を出した為、呼び鈴が鳴らされる。
まもなくノックの音が響き、シンディの声で入室許可を求められた。
ずっと外で待っていたのではないかと勘ぐりたくなるほどの迅速さである。
「よくお休みになられましたでしょうか」
侍女はその美貌に心配の色を宿して、翔太に問いかけた。
「ああ。熟睡していたみたいで、今は何か全身が軽い気がするよ」
彼が微笑むと、彼女の表情が明るくなる。
「それはよろしゅうございました」
その一言には真心がこめられていた。
「心配してくれてありがとう」
「めっそうもございません!」
彼が礼を言えば彼女は慌てたように手を振る。
熟睡したこととこのやりとりのおかげで翔太は、誰かに心配される気持ちをすっかり忘れていたと気づく。
このカルカッソンと呼ばれる世界に来て、ディバインブレードを抜いてから走り続ける日々だった。
それが間違っていたとは思わない。
ユニスやシンディ、ルキウスらが彼に好意的なのは、彼のこれまでの行動の結果によるものだ。
(それを積み重ねていかないとな)
今のところいい感じに回っていると思える。
まだまだ予断を許さないが、願わくばこのままいきたいものであった。
「お食事はいかがなされますか?」
シンディに聞かれて彼は少し考えこむ。
彼個人としてはここでルキウスと食べても一向にかまわない。
しかし、できるだけ顔なじみを増やしておきたいという気持ちもある。
そのことについてシンディに相談してみることにした。
「まだ食事をすませていない人たちはどれくらいいる?」
彼にそう問われた侍女は、困惑を浮かべる。
「それなりにいますが、身分が高くない者がほとんどである為、波風が立つ恐れがございます」
彼女は勇者と食事をともにしたがっている者はかなりいると指摘した。
「大臣の皆様も一度はとお考えのようでいらっしゃいます」
それをおいて身分の低い者を優先すると、後回しにされてしまった大臣たちはどう思うだろうか。
怒るような人間はいないかもしれないが、モヤモヤした感情を抱える者が出てくる可能性は否めない。
「もちろん勇者様のご不興をこうむるような愚行に走る方はいないでしょうが、勇者様にとって望まぬことではないでしょうか」
たしかにそのとおりであった。
翔太としては別に身分の低い者を特別扱いするつもりはない。
「できるだけ公平にいきたいと思っているんだが」
「そういうことでしたら、まずは身分が高い者を相手にするところからはじめるとよろしいかと存じます」
少なくともカルカッソンにおける「公平」とはそういうものなのだ。
シンディはそう説明し、ルキウスも小さくではあったがうなずいている。
「そうなると大臣たちあたりかな?」
翔太はどことなく残念な気持ちになってしまったが、それを押し殺そうと努めた。
どうせならば若い騎士たちや市井の民と和気藹々とした時間をすごしたいのだが、それは立場が許さないのだろう。
そのような彼の気持ちを読んだのか、シンディは微苦笑を浮かべながら彼に言う。
「身分の高い者たちの顔を立てておけば、後はお好きになさいませ。忙しい者が多いですし、一度勇者様とお話しすれば満足するでしょう」
やんちゃな弟に言い聞かせているような響きを感じた為、翔太はしまったと反省する。
「ああ、そうさせてもらうよ。今日のところは一人で食べるか」
彼はそう言うことで話を終えるつもりだった。
ところが赤い髪と緑の瞳を持つ侍女は、ためらいがちに切り出したのである。
「あの、実はわたくしはまだ何も食べていないのですが……」
「えっ? そうなのかい?」
彼は思わず瞬きをして、彼女の端正な顔を見つめた。
「はい。勇者様がお目覚め次第、お世話をしようと思っておりましたから」
本来ならば王女の直属であり、侍女たちの中でも身分が高い彼女がそのようなことをする必要はない。
身分が低い者にひかえさせ、自分は先に食事をすませても何ら問題はないのだ。
だが、今はそのことを指摘してはいけない場面である。
ルキウスはそれをわきまえていた為、表情を殺して沈黙を守った。
「そうか。すまなかったな」
翔太の方はシンディという少女が、健気で献身的な性格だと知っているつもりである為、何も疑わずに「待たせて悪かった」と詫びる。
「いえ、勇者様はこの世界を救う為、デーモンたちを倒す為に尽力されているのですから、これくらいのこと何でもありません」
少女はそう言って物分りのよい顔で微笑む。
それにうなずいて応えて彼はルキウスの方を見やった。
「ルキウスは食べたのか?」
「まだですが……今の私では勇者様と食事を一緒にとることなど、かないませぬぞ」
ただの下級貴族にそのようなことができるはずがない、と言われた勇者は侍女に視線を戻す。
「この部屋で食べよう。それならシンディが黙っていればいいだけの話じゃないか?」
「御意。勇者様の思し召しとあれば否はございません。そのように申し伝えましょう」
彼女は感情を押し殺して応じると、彼の要望を伝える為に一度退出する。
それから少し経って翔太はホッと息を吐き、ルキウスに小声で訊いた。
「あの子はずいぶんとルキウスに辛らつなように思うけど、やっぱりそれだけルキウスの立場は悪いのか?」
返ってきたのは神妙な苦笑と称するしかない表情である。
「シンディ様は私ときちんと会話して下さいますから、かなりよい方だと存じます。ルヴァロワ家は相当な勇者崇拝一族だったはずですから。もっとも、だからこそ勇者様の寛大な態度をお見せになっている以上、それに従うしかないというのが実態なのかもしれませんが」
「シンディ様……?」
翔太は首をひねり、ルキウスは眉を動かす。
「おや、あの方が侯爵家のご令嬢だとはご存じなかったのですか?」
「いや、それは知っているよ。ユニスとは何年ものつきあいだというのも」
そのあたりは本人やユニスから聞かされていた。
問題なのはそれがどういうことなのか、今一つ彼には理解できていないことだろう。
それに気づいたルキウスはその双眸に理解の光をたたえて、教えてくれる。
「なるほど。一見すればシンディ様は貴族令嬢であり王女直属ですが、今は一介の侍女にすぎないのでしょう。しかし、それは勇者様がこの国の習わしをご存じではないからではないかと存じます」
この前置きに翔太は素直にうなずく。
せっかく教えてもらえるのだからできるだけ詳細を知っておきたかった。
「この国では王族には子どものうちに一人の同性の直属従者をつけ、その下にさらに複数従者をつけて人を従えることを覚える。従者たちは王族に従い仕事をこなしていくことを覚える。さらに宮廷内で顔なじみを増やし、人脈を構築させるのです。むろん不適格と見なされれば容赦なく罷免されますし、実際姫様の下で三年以上勤めているのはシンディ様のみなのです」
彼はルキウスの言葉に注意深く耳をかたむける。
「手っ取り早く言えば、アレクシオス陛下が王子だった頃も同様の存在はいました。その方は今、宰相になっているのですよ」
これには一瞬ぎょっとなり固まってしまう。
(王の直属が今では宰相? それってつまり……)
彼の視線を肯定してルキウスはうなずき、続きを話す。
「姫様が女王となれば、シンディ様が女性宰相となる。これはもう確定していると見てよいでしょう」
「そうなのか……」
翔太の口からは他に何も出てこなかった。
「実家の格と勢力で言えばルヴァロワ家は文句なしですし、本人の性格と能力も及第なのでしょう。先ほど申し上げたことからお察しいただけると存じますが、姫様はかなり厳しいお方ですから」
とてもそうは見えない。
翔太が知るユニスは時として無茶をするかもしれないが、優しく物分かりがよい少女にすぎなかった。
だが、ルキウスを嘘をついているとも思えない。
「シンディ様も決して自身の立場や実家の勢力を振りかざすタイプではございません。ですから姫様とも上手くやれているのでしょうな」
かつて伯爵家の出自を鼻にかける少女が雇用されたこともあったが、わずか二日でクビされたという。
「将来の要職につく人物を子どもの頃から決めてしまって、大丈夫なのかな?」
彼は一つの疑問を口にする。
そのやり方では信頼のできる人間を選ぶ時間がたっぷりあるという利点はあるかもしれないが、優秀な人材を得られるとはかぎらないというリスクがあるのではないだろうか。
あるいは教え育てることにそれだけ自信があるのだろうか。
勇者の疑問を聞いたルキウスは、淡々と答える。
「要職につく者だからこそ、信頼できるか否かが最も大切だと考えられています。大臣が腐敗したり、国を裏切ったりする心配がないというメリットに勝るものはなかなかございません」
「それもそうか……」
たしかに要職の不正対策になっているならば、かなりの効果と言えそうだ。
翔太はせっかくだからとさらにたずねてみる。
「ルヴァロワ家ってもしかすると、かなり大きな家なのかい?」
これも即座に肯定が返ってきた。
「御意。王家の親族でもある二つの公爵家の次であり、侯爵家の中でも一、二を争う家です」
それに対してルキウスの家は中堅以下とも言える、あまり強くない家である。
近衛騎士の肩書がなければ、比べることすら難しい。
彼はそう話した。
「俺の知らないところで、いろいろあるんだな」
翔太の最初の感想がこれである。
これに対してルキウスは苦笑と微笑の中間のような表情になった。
「わが国のこうした格差は他国よりもまだ小さい方だと聞いております」
従者の間は下の者として扱われる時間が長い為、下の者の気持ちが分かるようになるせいだろうと考えられている。
「ルヴァロワ家のような大きな家から、宰相が出るのはいいのかい?」
貴族の家同士のバランスはどうなっているのだろう。
彼としてはそう思ったのだが、クローシュ人には不思議な質問であったらしい。
ルキウスは怪訝そうにしながら口を開く。
「その方が安心できるというものでございましょう。それに何代もその地位と権力が保障されるわけではございません。王が代替わりすれば、その側近たちも去ります」
古参の重臣として新しい王に仕えるということは非常に珍しく、よほど傑出した才覚と巨大な功績が必要になる。
また宰相の子が次の王族の側近として取り立てられることもほとんどないという。
「血の入れ替え」をおこなって鮮度を保つよう、工夫されているとルキウスは語る。
「そういうものか」
翔太としてはまだ質問したいところだが、少し話すぎたらしくシンディが他の侍女を連れて戻ってきた。
「詳しい話は姫様かシンディ様におたずねになればよろしいかと存じます。姫様の方がよいかもしれませんが」
ルキウスは小声でそう言うと口を閉ざしてしまう。




