5話「休め」
「ただ、気になるのは愛の女神に呼びかける形で音を出すには、それなりに時間がかかるはずでしょう。デーモンに攻撃されるまでに、遠くまで音を届けることができるかしら?」
ユニスが指摘をするとルキウスが表情をくもらせる。
「おっしゃるとおり、そこが問題です。デーモンの接近を事前に気づけるかどうかが肝要になりますが、訓練された兵士でも難しいことをただの民衆に要求するのは酷ですからな」
そこをクリアしないかぎり、国王に奏上できないという。
アレクシオス王は民思いで臣下の言葉をよく聞いてくれる君主だが、実現が難しい意見をそのまま採用することはない。
「そのような段階で陛下に直訴をしていたのですか?」
呆れたように声を出したのはシンディである。
彼女はまだルキウスに対して感情が硬いようだ。
冷たい視線と言葉を浴びせられた彼は、黙って頭を下げる。
「はっ。今にして思えば、処分されたのも当然だと反省しております」
「一から構築するのは、そんな簡単なことじゃないからね。一人で考えるのは大変だろう」
翔太が擁護するとシンディは黙ってしまう。
彼がルキウスを擁護したのは、ただの私情で短絡的な行動に出るような人物ではないと思えたからだ。
おそらく本当の狙いは勇者依存した現状に警鐘を鳴らすこと、そして皆でデーモン対策を考える土壌を生むことだったのではないだろうか。
今勇者がそれを指摘しても、きっとルキウス本人は認めないだろう。
家族まで危険にさらしてしまって反省したというのもあるだろうし、本来の彼は誰かの非を追及するような性格ではないのだ。
あくまでもデーモンという世界存亡の危機にさらされたからこそ、言いたくないことを言っていたのだと翔太は見ている。
(そう考えないと、いくら何でも性格が変わりすぎだからな)
あくまでも国と民の為に己の非を認めて、事態を改善させようとしているのであろう。
そのようなところが翔太にはとても好ましい。
「何かいいアイデアはないかな。できればデーモンが接近するだけで勝手に鳴る方が望ましいよな。それも壊されたりしてもいいようなやつ」
彼は思いついたことをそのまま口にする。
「デーモンが近づいただけで鳴るというのは難しいですが、壊されても大音量が出るものでしたら作れそうですね」
そう答えたのはシンディであった。
「ルヴァロワ家の領地では、ヒビ割れると大きな音が出る性質の金属を産出しております。主に侵入者を察知する為に使われるもので、使用量を増やせばより効果範囲は広がるでしょう。そして愛の女神への祈りを刻むことで、遠くまで届くようにできるかと存じます」
この説明は翔太に向けられたものだろう。
ユニスとルキウスの顔には何の変化も見られない。
ただ、王女の方は彼女の意見に首をかしげた。
「けれど、それだと被害の拡大は防げても、被害そのものを抑えることは無理ではないかしら」
この指摘には皆がうなる。
さらなる被害を防げるというのはもちろんすばらしいが、できるだけデーモンが出現した段階での被害もへらしたいのだ。
「おっしゃるとおりです」
シンディは自身のアイデアの問題点を自覚していたらしく、素直に認める。
「でも、デーモンの襲来を遠くに知らせる、という目的の方はそれで何とかなりそうなんだよな?」
翔太がたずねると彼女は慌ててうなずく。
「は、はい。これまでは少量で十分とされてきた為、需要は産出可能な量と比べて大したことはありませんでしたから」
量産することは可能だと彼女は言う。
「詳しいことはルヴァロワ侯爵に訊いてみないとダメだろうから、陛下にお願いしてみよう」
翔太がそう言うと一斉に肯定が返ってくる。
まず一つがあっさりクリアできそうだった為、彼は気をよくして疑問を放つ。
「デーモンを事前に探知するという方は、何かいいアイデアはないかな? 本来なら神器を持っている俺の役目なんだろうけど、一国丸ごとはさすがに難しくてね」
「めっそうもございません!」
ユニスとシンディとルキウスの慌てた声が重なる。
「神器の探知はあくまでもデーモンの接近を察するもの。遥か遠くに離れた場所にいるところを発見するなど、聞いたことがございません」
侯爵令嬢がそう言えば、ルキウスも同調した。
「そのとおりです。神器は強力ではありますが、万能ではないと言われております。ご無理をなさるとどのような負荷が生じるのか分かりませぬぞ」
二人のこの勢いに押されてしまい、勇者としては「無理はしない」と答えるしかない。
「ショータ様」
たじたじとなっている彼にユニスが不意に声をかける。
助け舟を出してくれるのかと淡い期待を抱いて、彼女に視線を向けるとそこには憂いを帯びた美貌があった。
「二人の言い分はもっともだとわたくしも思います。カルカッソンの為に尽力してくださって、感謝の言葉は山のように出てまいります。されど、ご自分のことを後回しにされがちなのはとても心配です。どうかご自愛くださいませ」
切なささえ感じる言葉を真正面からぶつけられた形になった彼は、何も言えなくなってしまう。
どれだけ自分が心配されているのか、心配をかけているのか嫌でも理解できたのだ。
「そうだな……心配されているうちが花だと、故郷の言葉にあった気がするし、自重はするよ」
三つの神器を持っていればそうそう体調を崩さないと彼は思っているのだが、それを口にすれば心配そうな視線がいっせいに飛んできそうであった為、慎むことにする。
「まさかと思うのですが……」
ルキウスは何かを思いついたらしく、半信半疑のような表情でユニスに問いかけた。
「私のところに来たのは、デーモンを倒した帰りなのですか?」
「昨日ルーランで三巨頭のニーズヘッグを倒し、今日クローシュまで帰ってきたところよ」
王女が複雑そうに教えると彼の表情がはっきりと変わる。
「何をやっていらっしゃるのですか!? ……し、失礼いたしました」
反射的に怒鳴りつけた相手が世界を救う勇者であり、自身を許して擁護してくれた張本人だと思い出した彼は急いで詫びた。
「いや、この場合悪いのは俺だろうし、俺の為に怒ってくれたんだから」
さほど親しくないはずのルキウスにまで怒られることなのか、と翔太は実感する。
(道理で周囲の反応が……)
人々の表情や反応を振り返ってみると、心当たりはいくつかあった。
「勇者様、休んでしっかり回復するのも鍛錬のうちですぞ。回復しなければより厳しい展開に耐えることなど、できるはずがありません」
ルキウスができの悪い後輩か息子に言い聞かせるような口調で彼を諭す。
これに返す言葉を思いつけず、翔太は無言で首を縦に振る。
「今日はひとまずお休みください」
ユニスとシンディまでがそろって言うと、彼はさらに首を振り続けた。
彼に選択の余地は残されていなかったのである。
「わたくしは勇者様がお休みになる為の準備をしてまいりますね」
侍女がそう言えば王女も、
「わたくしは今出たアイデアを陛下に伝えてまいります。ルキウスはショータ様の側についていなさい」
そう言ってルキウスにも命令を出す。
翔太はいらないと言いかけたものの、寸前で思いとどまる。
わざわざユニスが命令したのには何か理由があるのかもしれないと思ったからだ。
たとえば、むやみに彼の側から離れない方がいいとか。
「ルキウス、護衛をお願いしてもいいかな?」
「はっ、お任せを」
翔太が本来ならば必要のないお願いをしてみると、ルキウスは二つ返事で引き受ける。
彼の方には戸惑いがなく、何やら見当がついているようであった。
男二人を残して少女たちは退室すると、ユニスが冷ややかな目を己の侍女に向ける。
「ショータ様がお気になさっていないのだから、これ以上はお止めなさい。ショータ様に恥をかかせることになりかねないわよ」
「も、申し訳ございません」
主人の叱責を受けて、シンディは冷や汗をかいて謝った。
ユニスはそれで表情をやわらげ、ほっと息を吐く。
「けれど、ショータ様が働きすぎだったという自覚を持っていただけそうなのは、何よりだわ」
「本当におっしゃるとおりです……」
そういう意味ではルキウスも役に立ったとシンディは思ったが、今しがた叱られたばかりである為言葉にするのは慎む。
代わりに主人の意向を確認する。
「姫様、陛下に奏上なさるのですか?」
「ええ。ショータ様にばかり負担をかけて心苦しく思っていた者たちの、心のおもりを軽くしてあげましょう」
ユニスは口元をゆるめながら、ユーモアを含んだ言い回しで今後の予定を侍女に明かす。
「御意。父もようやく勇者様のお役に立てると、喜ぶと存じます」
彼女もまた嬉しそうにそう応じる。
勇者に対するクローシュの重鎮たちの心境は、彼女たちのやりとりが物語っていた。
二人がアレクシオス王のところへ戻ると、他の業務は中断されて彼女たちに注目が集まる。
とは言っても話すのはユニスであり、シンディはその背後に控えるだけなのだが。
「ルヴァロワ家の領地で採掘できるあれか……」
国王はもちろん、各地で何が採れるのか全て記憶している。
それだけではデーモンを早期発見できるものではないとすぐに気づきもしたが、声に出したのは次のとおりであった。
「ではルヴァロワ家へ命令を出す」
その一言に一瞬だけざわめきが起こる。
国王から侯爵家への命令、すなわち勅命が出たのだ。
「だが、それだけでは足りぬな。ユニスよ、ルキウスや勇者殿だけで考えねばならぬのか? もっと多くから意見を求めれば、妙案が出てくるやもしれぬぞ」
「ショータ様はルキウスのことを信用していらっしゃいます」
ユニスは端的に答える。
「ですから広く応募しても問題ないかと存じます」
これは彼女の独断であった。
しかし、翔太の思いを汲めばこちらの方がよいと断言できる。
彼がルキウスを信用していると言ったのは、一度は追放された男を危険視・敵視していそうな人々への牽制であった。
それ故にルキウスが功を焦っているわけではなく、横から手柄をさらう者が出てもよいと周知したのである。
「ふむ」
奇妙で分かりにくい娘の物言いをあっさり理解したアレクシオス王は、さすが父親であるというべきであろうか。
「ではミゲル、そのように手配せよ」
「はっ」
大臣の一人にそう命令した王は、改めて娘に向きなおる。
「それで勇者殿は今何をされておる? お休みになったのか?」
「はい。これまで働きすぎだったとお気づきになられたようで」
ユニスのこの答えに王は満足し、他の者たちは安堵した。
「ならばよい。勇者殿の献身には頭が下がる思いであるし、感謝の気持ちをどれほど表しても足りぬが、やはりあそこまで休みなしだと、心がかき乱れるようであった。だからと言って、いたらぬ我々の為に心を砕いていただいている以上、我々が申し上げるのもどうかという気もした」
王の独り言は廷臣たちの気持ちを代弁したものである。
異郷の勇者が自分たちの為に懸命になっている姿を見せられて心打たれない者は、クローシュの宮廷には存在していなかった。
それがアレクシオス王の人事の成果と言えるだろう。
「我らは勇者殿の負担を多少減らすくらいしかできぬかもしれぬが、それでも何もやらないよりはよいだろう」
ユニスのみならず、他の人々がうなずく。
彼らの表情はようやく自分たちにもできることがあるという喜びがあった。