4話「信ぜざる者」
「……もしもですが、デーモンが勇者様と我らの仲を裂こうとしているわけではないと言うなら、たしかに興味深い発言ではあるしょう。少なくとも我々が知らない何かが、デーモンとの間にあったということになります」
長く感じられた時間を経て、ようやく立ちなおったルキウスがそう発言する。
「そのようなことがあるのかしら? デーモンたちが一方に恨んでいるだけではなくて?」
首をひねったのはシンディであった。
彼に対して敬語を使わなかった点について「おや」と思ったのは、翔太のみである。
今のルキウスに敬語を使う貴族などいないのだった。
そのことは本人が一番承知している。
自身の子どもくらいの年齢の娘の態度に腹を立てることもなく、彼は首を横にふった。
「いえ、魔王シュガール率いるデーモンとはじめて戦ったとされる日から、数千年経過しております。今となっては当時何があったのか、知るすべが皆無に等しいのです。我らは彼らを一方的に悪と断じておりますが、魔王とデーモンが怒って攻めてきただけの理由があったのやもしれません」
この言葉にシンディの端正な顔が嫌悪と不快感でゆがむ。
「あなたは懲りもせずにそのようなことをおっしゃるのですね」
彼女のこの態度から、翔太は自身の本音を打ち明ける相手を絞って正解だったと判断する。
そしてこのまま放置しておくのはよくないと思い、二人の会話に割って入った。
「シンディ、俺も実はルキウス殿に似た考えを持っている」
「ゆ、勇者様……そ、そんな……」
彼女は太陽が逆の方角からのぼってきたのを偶然目撃してしまった人のような顔で、彼の顔を見つめる。
「少なくともデーモンたちはそう考えていると思っていいんじゃないかな?」
「は、はい」
さすがに彼には噛みつけなかったらしく、侯爵の娘でもある彼女はしぶしぶうなずく。
そこにユニスが参加してきた。
「ショータ様、どうして今お話になったのですか?」
「この面子になら話してもいいと思った」
彼女の問いに即答する。
「ルキウス殿は立場上、俺を裏切ったりできないだろうし、禁忌とされる勇者批判もやったの御仁だ。こういう話も頭ごなしには否定しないと思ったんだ」
そしてその読みは正しかった。
全面的に信じたわけではないだろうが、可能性は認めてくれたのである。
「姫様は元々ご存じだったようですが……わたくしは何故?」
シンディの顔からは驚きや悲しみが消えて、純粋な疑問が浮かんでいた。
「シンディなら俺の言葉を信じてくれると思ったんだ。他言無用だと言えば、黙っていてくれるとも」
じっと彼女の瞳を見つめると、みるみるうちに彼女の顔が赤くなる。
それから何度も首を縦にふって言う。
「も、もちろんです。勇者様のご信頼を裏切ったりいたしません」
この反応ならば裏切られる心配はいらないだろうと彼は判断する。
ユニスについてはそもそも確認する必要さえ感じなかった。
誰かに漏らす機会ならばあっただろうに、常に側にいたシンディにすら黙秘していたのだから。
彼女の方を見るとばっちり目があい、にこりと微笑まれる。
心配しなくても分かっていると言われたと彼は感じた。
「もちろん今言ったことはあくまでも俺の推測にすぎない。間違っている可能性もあると思う。それでも一応、そのつもりでいたいんだ」
「世界を救う為にですか?」
ルキウスの問いに彼は首肯する。
「そうだよ。ルキウス殿だってどうせなら、自分の死後も安心な世界である方が望ましいでしょう?」
「御意」
全くその通りだと壮年の男は思う。
平和な世界など永遠ではないということくらいわきまえているつもりだが、願わくば少しでも長く続いてほしいのだ。
ひ孫は無理でも、せめて孫の代くらいまでは。
「その為にはデーモンの怒りの原因をさぐり当てた方がよいとおっしゃるのですね。分かりました、わたくしも協力いたします」
ユニスがそう言えば素早くシンディも続く。
「わたくしも。何でもおっしゃってくださいませ」
「うん、ありがとう。四人もいれば何とかなるだろう」
翔太はそう言って笑ったが、本意ではない。
意図的に隠された情報があるかもしれないし、そもそもそのようなつもりがなくても言い伝えというのは変化しやすいものだ。
(平たく言えば伝言ゲームの恐怖か)
言ったところで意味を理解できる者はいない為、一人心の中でくすりとする。
表情に出さないように努めながら彼は、協力を約束してくれた者たちに告げた。
「と言っても急に何か出てきたりはしないだろう。長期戦になることは覚悟してもらいたい。まあ、俺よりも皆の方が理解できているんだろうけど」
彼を除けばこの国で生まれ育った者たちであり、資料や情報や各地の伝承について、いずれも彼よりも遥かに詳しいはずである。
彼が微笑を浮かべれば、それにつられたように少女たちも口元をゆるめた。
「まずはデーモンたちについてだったが、次は本題の防衛制度の見なおしについてだ。これはルキウス殿に腹案があると思っていいのかな?」
「御意。いくつかございます。今すぐに実行できるかどうかは、また別の話となりますが」
ルキウスはすぐに、それでいて慎重な態度で答える。
それに満足した翔太はユニスにたずねた。
「これは先に陛下に聞いてもらわなくてもいいのかな?」
「まずルキウスに話してもらい、わたくしどもで練り上げたものを陛下のお耳に入れるという手順で、何ら問題はございません」
王女はそう答えた為、彼は視線を壮年の男に戻す。
「ではルキウス殿、お願いできますか」
「その前に一言申し上げたく存じます」
ルキウスはまずそう言って翔太の許可をとり、意見を発する。
「今の私は陛下の怒りを買って地位を解かれ、王都を追われて男爵位しか持たぬ男。それが勇者様に敬称をつけられますと、他の者への示しがつきませぬ。ぜひとも呼び捨てにしてください」
翔太は眉を動かしてユニスを見た。
「そういうものなのか、ユニス?」
シンディが明らかに目下の者に対する態度をとっていた為、おそらくはそうなのだろうとは思う。
それでも念の為王女に確認をとったのだ。
「はい。今のルキウスは爵位を持つだけで無官の身です。ありていに申し上げれば、宮殿内では最も立場が低い者でしょう。誰も何も申さないのは、ショータ様の後ろ盾があると考えられているせいでございましょう」
彼女は彼の意を汲み、本当のことをはっきりと告げる。
「今のままですと皆はルキウスがショータ様の無知につけこみ、恥をかかせているとしか思いません。ショータ様の恥であり、ルキウスの風評がさらに傷つくことは十分ありえるかと存じます」
「それなら教えてくれてもよかったんじゃないか?」
翔太がそう言うとユニスは微笑を浮かべた。
いつも彼に見せている明るく上品なものではなく、魔性の美しさとでも称するべき種類のものである。
「ルキウスが自分で指摘すればよし、さもなくばショータ様に異心ありと判断するつもりでおりました」
それから彼女は冷ややかなまなざしをルキウスに向けた。
「実直さに変わりないようで何よりです、ルキウス」
命拾いしたなという王女の耳には聞こえない言葉を受け取った彼は、無言で彼女に頭を下げた。
背中にじっとりと冷たい汗をかきながら。
彼女がただ美しくて優しいだけの王女ではないと、彼は今初めて知ったのだ。
「なるほど……陛下が何もおっしゃらなかったのは、つまりユニスが俺の側についているからという認識でいいのか?」
勇者が知らないところは娘が補佐するだろうという信頼の表れであったのか。
彼の言葉にユニスはにこりと笑うばかりで、何も言おうとはしなかった。
それを彼は彼女が奥ゆかしい性格だからだと解釈する。
「ユニス、シンディ、世話を焼かせて申し訳ないがこれからもよろしく頼む」
「はい、もちろんです」
彼が頼めばユニスは微笑みながら応じ、シンディは真剣な面持ちで何度もうなずく。
このやりとりもルキウスにとっては、己の不明さを思い知らされるものであった。
(私もこの御仁を支えなければならぬ)
もちろん、勇者の力となることで地位や評判を回復して、家族が肩身の狭い思いをする日々を終わらせたいという気持ちもある。
しかし、それとは別に翔太には力になりたい、支えになりたいとごく自然に思う不思議な魅力があった。
だからこそユニスやシンディも親身になっているのではないか、と彼は感じたのである。
「では改めてルキウス」
「はっ」
翔太が呼びなおすと、ルキウスはこれまでよりもいっそうかしこまった。
そのことに違和感を抱きながらもあえて触れず、彼は年長者にお願いする。
「あなたが考えていたことを教えてもらいましょうか」
「はっ。それでは不肖ルキウスがご説明申し上げます」
ルキウスは立ち上がって最初に翔太を見て、次にユニス、最後にシンディという順に視線を移す。
「これまで非常事態をよそに知らせるのは、早馬でした。しかし、人間が相手ならばいざ知らず、デーモンが相手となると早馬で急を知らせることさえままならぬありさまです。そこで私が考案しましたのは、音で知らせるというものです」
「音で? 煙だとダメなのか?」
勇者がそう訊いたのは、彼の頭の中には狼煙というものがあったからだ。
ルキウスは静かに首を横にふる。
「煙ですと雨の日には使えないという弱点がございます。人間の軍が雨の日に行動するのは難しいからそれもありかもしれませんが、デーモンは雨など苦にはしますまい」
「なるほど」
彼は説明を聞くとそうつぶやいて引き下がった。
雨が降った時の対策がカルカッソンには存在していないのだろうと思ったのである。
「音の方が伝わりやすいのは理由があるのですよ、ショータ様」
そこへユニスが説明側に加わった。
「愛の女神メルクルディ様の歌でございますね、姫様」
さらにシンディまでもがそう言う。
「愛の女神……?」
翔太も名前は知っている。
癒しの力を使う時に呼びかける神であり、ディバインハートを人に与えた存在だ。
「ええ、メルクルディ様に呼びかける形であれば、歌も音も遠くまでとてもよく響くのです。どんな強風にも負けないほどに」
それ故メルクルディは音楽の女神でもあると考えられていると、ルキウスが説明する。
「ひとまず女神の力を借りれば、風と距離の問題は克服できると思っていただければよろしいかと存じます」
シンディにこうつけ足されて、翔太も思わずうなずいてしまう。
と言うより、神の力で何とかすると言われてしまうとそうするしかなかった。