3話「許すもの」
「勇者様、愚弟をどうかよろしくお願いします。不器用でせっかちですが、この国と民を想う気持ちは誰にも負けない男でございます」
サミュエル男爵の言葉に翔太は何度もうなずく。
誰よりも真剣に国の為を想っているし、勇者のことを神聖不可侵の存在と見なしていないこの男こそ、今のクローシュにとって、そして彼個人にとって必要である。
「さすがにこの国への想いではルキウス殿にかなうとは思いませんが、私もデーモンの被害を受ける人を減らしたいという気持ちは持っているつもりです。改めてよろしくお願いいたします」
「め、めっそうもございません」
彼に頭を下げられたルキウスは、涙の跡をぬぐうひまもなく慌てて応対した。
まだ短い間ではあったが、この勇者が物わかりがいいばかりではなくて腰も低いことが分かりはじめている。
勇者にこのような態度をとられてしまうと、他の者は大いに困ってしまうのではないかと懸念したくなったほどだ。
(伝承通りの傲慢で人を人と思わぬ勇者より、数万倍もいいのだが……)
勇者がこのような人物であるからこそ、ルキウスは処罰されなかったどころか許されたのだから、不満を抱けば神罰が下るに違いない。
三つの神器は神に選ばれた者しか所持できないという伝承を思えば、この勇者こそ守護三神の加護を受ける人物に他ならないのだ。
その為気さくで腰が低い相手だからと言って、気軽に話しかけるのは難しい。
大体どの面をさげてそのようなふるまいができるのか、という思いもある。
(私とて恥は知っている)
故に徹頭徹尾、勇者の為に働く男という姿勢を貫こうと誓う。
それでこそ愚かな自分を快く許してくれた勇者、それを認めたアレクシオス王。
この二人の恩義に報いることになると彼はそう思うのだ。
一方で翔太はと言うと、そのようなルキウスの堅苦しい態度を見て、内心辟易する。
防衛制度という人の命に関わることを扱っていく以上は真面目な性格な方が望ましいのだが、彼は真面目を通り越して息苦しささえ感じるようなタイプであるらしかった。
もっともだからこそ、神聖不可侵な存在であるはずの勇者を批判し、勇者に対して盲目的だった王に異を唱えて直訴までしたのであろう。
頭では理解できているが、いざ手を取り合っていこうとなると別問題だ。
そして問われているのは自分の度量なのだと翔太は己に言い聞かせる。
両者の間にはぎこちない空気が流れているが、不思議と気まずさのようなものは感じない。
これは互いの本来の気質によるものだろう、とお互いに思っていた。
二人が馬車まで行くと、今回の御者に選ばれたリックがルキウスに礼をする。
それだけで何も言わぬあたりがこの騎士らしい、とルキウスは懐かしさまじりに思う。
彼らを乗せた馬車は翔太とリックにはおなじみの速度で疾走する。
唯一初体験だった男は降りるや否や、
「神器の力とはすさまじいのですな」
となかば呆然としてつぶやいた。
「だいぶ使えるようになってきた気はしますね」
翔太は照れを隠す為にそう返す。
これは謙遜半分、本音半分と言ったところである。
少なくとも魔王シュガールは三巨頭よりもはるかに強いのだろう。
それなのにも関わらず、まだ三巨頭の一人を何とか倒せる程度なのは自分が使いこなせていないから。
彼はそう考えているのだった。
「なるほど……ディバインブレードは全ての邪悪を断ち、ディバインシールドはあらゆる災厄を退け、ディバインハートは世界を愛で包み安らぎを与えるという話ですからな。いくら守護三神に選ばれた真の勇者様と言えども、これらの巨大すぎる力は簡単には御せないということなのかもしれませんね」
ルキウスはむしろ納得したような顔で話したが、彼にとっては初耳の情報である。
「全てを断ち、災厄を退け、世界を愛で包むか……」
彼がまだ一国に力を及ぼすようなことはできない。
未熟な勇者と言われても仕方ないのだと感じた。
彼は誰にも聞こえぬように小声でつぶやいたつもりであったが、ルキウスにはしっかり聞かれてしまう。
「ご存知ではなかったのですか?」
「色々なことが急にありすぎたせいか、まだまだ知らないことは多いですね」
目を見はって投げかけられた問いを翔太は肯定する。
「そう言えば勇者様はこちらにいらっしゃってから、そこまで時間が経ってないのでしたな」
ルキウスはどことなく気まずそうに言う。
まだ十代の少年(としか見えない)に重荷を背負わせすぎている、という構図を恥じたようだ。
「そんなことを言っている場合ではありませんから」
翔太は話を切り上げる為にそう答える。
彼自身にだけ背負わせて申し訳ないという言葉を聞くのは、何となく避けたかった。
カルカッソンの人々は「勇者が自分たちの為に戦うのは当然」と思っているのであればともかく、どうもそう思っている人はあまりいないらしい、という点が大きい。
だからこそ彼は頑張ろうと思えるのだ。
やがて馬車は宮殿の前で止まり、ルキウスの顔が緊張でこわばる。
勇者が許したからそれで全てが解決したわけではない。
少なくとも彼の中ではそうなのだろう。
「行きましょう」
翔太は彼を促して中に踏み込む。
久しぶりに帰ってきた元近衛騎士のトップの姿を目にした人々は、複雑そうである。
冷ややかな視線を浴びせるくらいはされても文句は言えないはずだが、それを阻止しようとしているのが真っ先に彼を糾弾するべき勇者だからだ。
自身を不当に貶め見当外れの批判を繰り返していた愚者と、それを人々の為に許した慈悲深き勇者という見方がされている。
その勇者としては頭を抱えたくなる状況なのだが、己の評価がさらに高くなればルキウスを守ることができると前向きに捉えていた。
そうとでも思わなければやっていられない、という気持ちがあったのは否定できないのだが。
やがて彼らは謁見の間へとたどりつく。
その中には武装した近衛騎士たちに守られたアレクシオス王が、彼らを待っていた。
他にも廷臣たちが勢ぞろいしている。
そばまで行くとルキウスは床に両手と両膝をつき、額をじゅうたんにこすりつけた。
「ルキウス。従来であれば貴様は処刑するべきである」
開口一番、王は厳しい言葉を彼に叩きつける。
翔太は思わず抗議をしようと口を開きかけたが、必死にそれを制止しようとしているユニスに気づいたのでどうにか我慢した。
「はっ……」
黙ってそれを受け入れる男に王の言葉は続く。
「だが勇者殿は貴様でも役に立つことがあり、死なせるのは惜しいとお考えのようだ。この世界を救う勇者殿のご意向を無視するわけにはいかぬ。よって貴様の命は助け、勇者殿に預けることとする。貴様が生き長らえるか否かは、どれだけ勇者殿のお役に立てるかだ。己の罪を自覚するならば、死ぬ気で勇者殿の為に尽くせ」
「ははっ」
ルキウスは大声で返事をする。
「では去れ」
王の命令に従い彼はこの場を去っていく。
身分を剥奪された男では、国王の許しがないと自ら言葉を放つことはできないのだ。
それを無言で見守っていた人たちの顔からは、理解や納得の色がうかがえる。
信頼と人望を集めながら勇者批判という禁忌を犯した男に対して、国王が厳しい態度を貫いたことが大切なのだろう。
ようやく翔太はそのことを理解する。
あるいはアレクシオスも彼なりのやり方で、ルキウスを口さがない人々から守ろうとしたのかもしれない。
「勇者殿。己を不当に貶めた愚者を慈悲をもって許した真の勇者殿よ」
国王はどこか芝居がかった口調で翔太に話しかける。
「はい、陛下」
それに対応した作法が分からなかった為、彼は仕方なくいつも通りの態度で応じた。
「先ほど申した通り、あの愚か者はあなたに預けます。あなたの為に粉骨砕身働いて手柄を立てればよし、さもなくば煮るなり焼くなりご自由になさってくだされ」
「かしこまりました」
彼らはどちらもルキウスが本気で役立たずだとは思っていない。
しかし、役に立たなければ死刑もありうると示すことにより、公正さを打ち出す必要はあった。
さらに勇者に預けて自由にしてもらうというのも上手い手だと翔太は思う。
一国の王の政治的なズルさとも言えなくはないが、今回は好ましい。
「それでは失礼します」
彼がアレクシオス王にそう言って退出すると、ユニスが当然と言わんばかりに後をついてくる。
その斜め後ろにはシンディも王女と同じような表情で歩いていた。
これには彼も苦笑を禁じ得ない。
ルキウスの味方は一人でも多い方がよいのだろうから、あえて止めはしなかったが。
彼らは翔太にあてがわれている部屋へとまっすぐ向かう。
中に入れば壮年の元騎士は、ユニスに対して平伏した。
「お久しぶりでございます、姫様。勇者様と陛下のご厚情を賜りまして、おめおめと戻ってまいりました」
「……ショータ様がお許しになった以上、わたくしからお前に言うことは特にありません」
彼女の声は感情を殺した淡々としたもので、表情に優しさはない。
滅多に見せない態度をはっきりとあらわにしたことから、彼女の怒りが解けてはいないとルキウスには想像できる。
翔太としても自分の為に怒ってくれて、またそれを自身の為に抑えてくれている相手にどう声をかければよいのか、判断がつきかねた。
ルキウス本人がそのような仕打ちをされるのは当然という態度であった為、ひとまず様子を見ることにする。
王女の延々と怒りを発露するつもりはなかったらしく、ほどなくして勇者に視線を向けた。
「ショータ様、さっそく防衛制度の構築に向けて動かれるのでしょうか?」
彼女の声の調子はいつもの調子に戻っている。
それだけに翔太も自身の存念を打ち明けやすいと判断した。
「いや、その前に相談しておきたいことがある」
彼の厳しくはっきりとした口調を聞いた者たちは、居ずまいを正して続きを待つ。
それに好ましさを覚えつつ彼は次の言葉を発する。
「サラヴァンは……俺が倒した三巨頭の一人は、世界を救うつもりがあるなら、自分たちも救ってみろと言っていたんだ」
「ええっ?」
「そんな馬鹿な」
シンディとルキウスは目を見開き叫ぶことで、自身が受けた衝撃を表現した。
翔太は唯一驚きを見せなかった少女に声をかける。
「ユニスも聞いていたよな」
「……はい」
ユニスは複雑そうな顔でうなずく。
デーモンに加担するようなことは言いたくはないが、勇者に嘘はつけない。
そのようなところだろうと皆は思う。
「まさか……我らやこの世界と、デーモンどもは決して相容れぬことがない、不倶戴天の怨敵ではありませんか」
ルキウスは彼女の証言があってもなお信じられない、という顔をしている。
無理もないと翔太は感じた。
(俺だって正直、半信半疑なんだからな)
シンディが首をかしげながら問いを放つ。
「そうやって勇者様に揺さぶりをかけたとは考えられませんか?」
これに対して彼は「可能性は低い」と答える。
サラヴァンが嘘をついたり彼を騙そうとするような性格ではない、と自信を持って断言できなければ彼も聞き流していたただろう。
だが、あの男がそのようなまねをするとは思えなかった。
「劣勢だった俺に降伏して自分の仲間になるよう、何度も呼びかけてきた男だ。カルカッソンの人たちに対しては並々ならぬ怒りと憎しみを持っていたようだけど、俺のことは異世界からやってきた無関係な人間だと思っていたようだ」
倒したデーモンのことを振り返りながら語る。
「勇者様がデーモンの仲間に!?」
再び二人の叫びが部屋に満ちた。
「俺を仲間にすることにこだわらなかったら、今頃俺はこうして生きてはいなかったかもしれない。それくらい強かったよ」
度重なるショックが原因か、彼らは絶句してしまう。