20話「ルーラン王」
翔太が目を覚ましたのは、ヴァンドゥルディが姿を消してから間もなくのことだった。
彼は自身の疲労がすっかり抜けていることに気づいて首をひねる。
「あれ、俺は一体……?」
彼は気絶していたことさえ理解していなかった為、すぐには現状把握ができない。
「お目覚めになられましたか、ショータ様」
ユニスはいつもの彼を慕う少女の表情で話しかける。
「ああ、ユニス」
彼は彼女の顔を見て、ほっとした。
状況が飲み込めない時に知り合いの姿があるというのは、案外馬鹿にできない効果がある。
「俺がどうなったのか分かるか?」
彼はそう問いかけながらも立ち上がっていた。
ルーランの人の為に必死だった姿勢は、意識を失ったかどうかでは変わらないということだろう。
「いえ、ショータ様が意識を失ったと思ったら、ディバインハートが突然光りはじめて、ショータ様やこのあたり一帯に飛んでいき、今みたいな状況になったのです」
ユニスは本当に信じられない者を見たような表情でそう話す。
それだけに彼はあっさりと信じる。
「そうか……」
彼は自分の体をチェックして、それからあたり様子を見回した。
さすがに建物はどうにもできなかったようだが、変色していたと思われる地面は元通りになっているだけでも、受ける印象は違う。
「神器が助けてくれたんだろうか?」
彼はぽつりとつぶやく。
サラヴァンにしてやられて絶体絶命の危機になった時のように。
そう推測する彼に対して、ユニスは何も言わずにそれを聞いていた。
どう言えば彼に信じてもらえるのか、すぐには分からなかったのかもしれない。
ただ、彼はいつまでもぼんやりしていなかった。
「俺はルーランの人をさがしに行く。ユニスはジョンたちと合流してくれ。……もう無茶はしないでくれよ」
「はい。ショータ様」
彼の苦笑交じりのお願いに彼女は、微笑で応じる。
彼女としても好きこのんで無茶をしたわけではない。
二人は一度別れて、翔太は王城へ駆け出した。
彼の目に飛び込んできたのはある意味奇妙な光景である。
おそらくサラヴァンに贄にされていたと思われる人々が、皆事態を飲み込めないといった表情で何か話しているのだ。
とてもデーモンを倒した後とは思えないような光景を見て、彼は思わず足を止める。
何だかデーモンを倒した勇者ですと名乗り出るのはためらわれてしまったのだ。
自分の力で勝ったという意識が乏しいせいもあるのだろう。
しかし、人々の方で彼の姿に気づく。
初めは「あれは誰だ」という声で、次第に「勇者ではないか」と変わっていった。
どうしてさほど間を置かずそうなったのか、彼には理解できない。
ただ、勇者だと判明した以上、そのつもりで接しなければならないと肝に銘じる。
彼は短く咳ばらいをして彼らとの距離を縮めていくと、人々の中からひときわ立派な服を着た五十代の男性が姿を見せた。
その周囲には同年代と思われる男性たちと、騎士らしき人たちが並んでいて、人々は彼らの為に道を開ける。
「失礼、不躾ながらあなたが勇者様ですね。私はこの国を統治していた者です。このような場で、このようなあいさつですませることをどうかお許しを」
ルーラン王はそう名乗ると哀愁ただよう緑色の瞳を彼に向けた。
元よりそう言ったことにこだわりはない彼は、気にしていないとうなずく。
「我々はニーズヘッグのサラヴァンと名乗るデーモンに突然襲撃されて捕らえられていたのですが、あなたが剣と盾を持ってあの恐ろしいデーモンに立ち向かわれていたのは、うっすらと記憶にあるのです。贄にされていても意識が完全に奪われていなかった、と言うべきでしょうか」
そう話す眉間にしわを寄せる。
どう言えば己の説明が勇者に伝わるのか、と苦慮しているようだ。
幸いなことに翔太にとっては、その手のことを想像するのはさほど難しくはない。
彼が日本で触れてきたフィクションでは、割とありふれた展開だったからだ。
「なるほど。それではお恥ずかしいところを見られてしまいましたね」
彼はそう言って自虐したが、これは本心である。
剣を取り上げられてしまったのをユニスのおかげで助かったし、最後でも剣を止められて絶体絶命の危機になってしまったのだ。
勝てたからよかったものの、彼の助けを待っていた人たちはさぞやきもきことだろう。
あるいは「勇者もその程度なのか」と失望されたかもしれない、とさえ考えていた。
「滅相もございません。クローシュからのしらせによれば、あなた様は召喚されてまださほど時が経っていないとのこと。それなのにも関わらず、三巨頭の一角とまともに戦えるとは驚異的だとしか思えません。まさに伝説の勇者だと感服しております」
「ありがとうございます」
これだけ称賛を浴びせられるのは何度も経験したことだが、今回は素直に喜べない。
彼らの表情が明るくないのも一因であった。
「ただ、我々はこうして勇者様に救われましたが、他の地が現状ではどうなっていることか……」
ルーラン王は悲しそうに目を閉ざす。
この懸念こそが、彼らの表情が暗い原因なのだろう。
彼は一瞬迷ったものの、これまでに経験してきたことを全て話すことにした。
「何と……そのようなことが……」
王とその側近と思われる男性たちは、注意深く彼の話を聞く。
そして彼の口が止まると痛ましげに嘆息した。
村や集落は残存している可能性が高いこと、レヌンやアルプコートは救われたといってもよいという情報には安堵していたものの、国境砦をはじめ少なくない被害が出たことは事実である。
「改めて御礼を申し上げます、勇者様。あなた様がいらっしゃらなければ、この国は滅んでいたでしょう。あなた様を送ることを決めたアレクシオス王にも、どれだけ感謝の言葉を贈ればよいのか分かりません」
翔太は王の感謝を素直に受け取っておく。
このような場合はそれが礼儀なのだ。
「実はユニス王女も来ているのです。このような事態なので通常の形式を守れないことをお許しください」
「危ういところを救っていただいたのに、どうしてそのようなことを申せましょうか」
ルーラン王はそう言って、主賓格であるはずの王女が今不在であることを許してくれる。
馬鹿馬鹿しくても命がある以上は、守っておいた方がよいのだ。
この場合は翔太が「恩を笠に着て」と謗られるのと、王が「助けてもらったくせに」と批判されるのと両方を防ぐ意味がある。
魔王シュガールとその配下のデーモンの脅威が現実となっているのにも関わらず、そのような風評を気にしなければならないということこそが、人の愚かさと言えるかもしれない。
ディマンシュ神が「救う価値があるかたしかめよ」と翔太に告げたのは、理由がないわけではなさそうだ。
(まあ、地球もあんまり、よそのことをとやかく言えない気がするな……)
彼はそう思っただけで、それ以上のことは慎む。
「今後のことはユニス王女を含めて話し合うといたしましょう」
ルーラン王がそう言った頃、ユニスはジョンたちと一緒にやってくる。
異国の王の姿を見た彼女たちは、王女を除いてその場に跪く。
彼女自身も胸に手を当てて、王に向かって頭を垂れる。
「お久しぶりでございます、ジェフロワ陛下。クローシュのアレクシオス二世が娘、ユニスにございます」
「ああ、ユニス殿。二年ぶりかな? ますます美しくなられた」
ジェフロワはなつかしそうに目を細めた。
「このような仕儀になってしまい……」
悲しそうに目を伏せる彼女に対して、王は首を横に振る。
「いえ、貴国の厚意によって、最悪の事態だけは免れたようだ。勇者様にも申し上げたが、改めて厚く御礼を申し上げたい」
その言葉をユニスは受け入れた。
その後は王族同士の話し合いである。
翔太はそれを聞きながらそっとデーモンの残党がいないか、確認してみた。
結果として、王都周辺にそれらしき者はいないと判明する。
(これならば少しは落ち着いて善後策を考えられるだろうか)
そう思ってユニスたちのことを見守っていた。
やがて話を終えると彼女は彼の方を向きなおる。
「ショータ様、いかがいたしましょう? このままこちらに泊まる、他の地域の様子を見に行く、一度クローシュに戻るという三つの道があるかと存じますが」
「その中だと二番めだな。他の地域がデーモンの被害を受けていないか、確認しておきたい」
彼が即答すると、ジェフロワ王の周囲から息を飲む音が漏れた。
この世界の人々の為に精力的に動く勇者というのは、やはり驚きの対象なのだろう。
これまでに何度も経験した上に理由も分かっている為、彼はもう気にしてはいない。
「しかし、まさかこれから出発なさるおつもりですか……?」
王が驚いたのはこちらの点であった。
「幸いにもいくつかの建物は無事です。休みを取られてはいかがですか?」
たしかについ先ほど三巨頭を撃破したばかりだと考えれば、強行軍にもほどがある。
勇者である翔太はともかく他の者、特に少女たちには過酷すぎるかもしれない。
遅まきながらそのことに気づいた彼は、彼女たちの顔色を見る。
「そうですね。やはり休ませていただきべきかもしれません」
「あ、いえっ」
少女たちは一様に慌てた。
自分たちのせいで勇者が本来やりたいことができないというのは、彼女たちにしてみれば望ましくない。
シンディは我慢してでもついていきたいと思う。
それを制したのはユニスであった。
彼女はまずジェフロワ王を見て、それから翔太に瞳を向ける。
「わたくしたちはここで待つ方がよいかもしれません。この国の土地であれば、ルーランの騎士をお借りすれば解決できますから」
ジョンはまだまだ余力が残っていそうだが、その立場ゆえにユニスたちを放り出して彼についてくるのは無理だろう。
デーモンを倒したばかりなのに騎士を借りてもよいのか、と思ったのは勇者くらいだった。
「それはいい!」
ルーランの王やその側近たちは名案を聞いたとばかりに、表情を輝かせたのである。
「ただ勇者殿に助けてられてばかりというのも、申し訳ない話ですからな。たとえ道案内だけとしても、我が国の者がお役にたてるのであれば、これにまさる喜びはありません」
ジェフロワはそう告げてから、自身の近くにいる騎士たちの顔を順に見ていった。
「ランディ、お前に任せよう」
「はっ、身に余る栄誉ではございますが、精いっぱい励ませていただきます」
三十くらいだと思われる黒髪を短く刈った騎士は、力強く応えると翔太のそばへと移動する。
そして改めて礼をした。
このあたりはジョンたちの時と似ている。
「それでは勇者殿、馬を用意させましょう。幸か不幸か、馬はデーモンの標的ではなかった為、長距離移動に耐えられる状態かと存じます」
ジェフロワの言葉で翔太はサラヴァンの言動を思い出す。
あのデーモンはカルカッソンの民に強い恨みを持っていたようだったが、それはあくまでも人間だけだったらしい。
それから王に対して己の恥を打ち明ける。
「実は私、まだ馬には乗れないのですよ。故郷ではそういう機会がなく、こちらに来ても練習はしていなかったので……」
「そうでしたか、それは大変失礼いたしました」
王は目をみはったものの、一瞬にも満たぬ間にそれを消して、馬車の手配を命じた。
「……本当に大丈夫ですか? 贄にされていた影響は抜けていないのでは?」
翔太は今さらながら不安になる。
自分だけであれば大丈夫だと思うが、他の人はそうもいかないのだと知っていた。
ユニスの問いかけに対して考えずに即答してしまったのも、後悔の材料である。
彼の心配を見て取ったジェフロワは、何の心配もいらないと笑みを浮かべた。
「ディバインハートは愛の女神メルクルディ様の神器。それを持てば悪しき存在を知り、かざせば様々な存在を癒すと言われています。ディバインハートの癒しを受けたのであれば、何の心配もございません」
「そうでしたか」
神器の力がすさまじいのは過去に何度も思い知っている。
(それに癒しの力は愛の女神の管轄だったよな?)
あれらの癒し版だと考えれば、不思議ではないように感じた。
納得したところで翔太には別の疑問が浮かぶ。
「悪を知る、ですか?」
彼の問いにジェフロワ王はうなずく。
「はい。デーモンのような邪悪な存在、己に敵意を持つ者を感じ取る力があると言われています。ですから三巨頭の手に渡ったらしいと聞いた時には、絶望するしかありませんでした」
そのような力があったからこそ、神器による探知を無効化されていたのだろうか。
彼はそう推測した。
「しかし、それは杞憂でした。真の勇者の前に神器は戻り、三巨頭は滅んだのですから。お恥ずかしい話ですが、メルクルディ様に見捨てられてしまったのでは、と恐怖した者も少なくありませんでした」
だからこそ勇者の偉大さが分かるのだと、王は熱気がこもった言葉をつむぐ。
「これからも期待に応えられるように頑張ります」
感謝と敬意を向けてくれる相手に対する答えとしては、ずいぶんと味気ないものだった。
しかし、相手の身分を考えればうかつなことは言えないし、今はそれよりもルーラン各地の状況が知りたいという思いがある。
そのことをうすうすと察したのだろう、ジェフロワは表情を改めた。
「お願いします。各地の状況が分かり次第、一度お戻りください」
とだけ言うと黙ってしまう。
そこへ馬車がやってきた為、翔太は王とユニスにうなずいて見せて乗り込む。