18話「誰かを想う心」
毒効果がある炎を浴びた翔太は、まだ生きている。
とっさに剣と盾の両方を体の前にかざしたおかげか、ブレスの威力は軽減されたのだ。
(そうじゃなかったら、今ので死んでいたかもしれない……)
そう思いながら、彼は歯を食いしばって立ち上がろうとする。
しかし、苦痛のせいか上手く力が入らなかった。
「今のでも死んでいないとは見事なものだ、ショータよ」
サラヴァンは純粋に彼を称えつつ近寄ってくる。
「だが、どうあっても私たちと手を組めないとあっては、始末するのもやむなし」
そう言うと彼は剣を杖代わりにしてかろうじて立ち上がった翔太の目を見据えた。
「最後の勧誘だ。カルカッソンを見捨てて、私たちの仲間になれ。ともにこの世界の奴らを滅ぼそう」
「断る」
迷うことなく拒絶した勇者に、デーモンは仕方なさそうにため息をつく。
「では死ね!」
サラヴァンがブレス攻撃を吐こうと口を開いたその瞬間、翔太は素早い動きで神剣を投げつける。
ぎょっとしたデーモンは慌てて口を閉じようとしたが、それよりもほんの一瞬早くディバインブレードが彼の口の中へ飛び込む。
のどの奥を神剣で貫かれたデーモンは、もんどりを打って倒れる。
一瞬の隙を突いた形勢逆転劇といきたかったが、残念なことにサラヴァンの体はけいれんを繰り返しても、消滅する気配はなかった。
翔太としては追撃を仕かけたいところでも、剣を手放してしまった上にまだダメージが抜けていない。
癒しの力を用いてひとまず回復に専念する。
その隙にサラヴァンは剣を抜き、フラフラとしながら立ち上がった。
圧倒的にも思えた気配がかなり弱まったことから、相当のダメージを与えたことに疑いの余地はないが、倒しきれなかったのは痛かったかもしれない。
勇者を見つめる赤い瞳には、はっきりとした怒りが宿っている。
「今のは驚いたぞ……私がディバインハートを持っていなければ、倒されていたに違いない」
あらゆる悪を拒絶するディバインブレードは、まともに当てるだけでデーモンに大ダメージを与える、言わば存在そのものに特攻効果があるのだろう。
そう話すサラヴァンの言葉は、どこかぎこちなかった。
口内に受けたダメージの影響であろうか。
「だが、そのディバインブレードも、ディバインハートを持つ者には効果がうすれてしまうわけだ。……三巨頭たる私でなければ、それでも倒されていたのかもしれないが」
そこまで言ったデーモンは自身の後方に投げ捨てる。
「残念ながら剣の方は、ディバインハートと違って我が物にはできないようだ。ディマンシュ神はまだ人間を見捨ててはいないのだな」
ディバインブレードを持っていた手から腕にかけて、大きなやけどのような傷跡が生まれていた。
ディバインハートのおかげで効果がうすくなったとは言え、デーモンは持つだけでダメージを与えられていたらしい。
「しかし、勇者ショータよ。大きなダメージを受けたのはお互い様だが、お前は私を倒せる武器を失ってしまったな」
その通りである。
下級デーモンであればまだしも、神剣の一撃にも耐えられる三巨頭相手に、神剣抜きで勝てる気はしなかった。
翔太は冷や汗をかかずにはいられなかったが、あきらめたりこの期に及んで「やっぱり手を組みたい」と言い出そうとは思わない。
「それでも逃げるわけにはいかないんだよ」
そう言った彼の頭にはユニス、シンディ、ジョンの顔が浮かぶ。
結局のところ、彼は本気で世界を救おうと思っているわけではないのだろう。
親しくなった彼らに死んでほしくない、見殺しにしたくはない。
ただそう思っているだけだ。
その願いをかなえる為に世界を救わなければいけないから、救おうと考えている。
窮地に陥ったところで、冷静に自分の気持ちを見つめ返せたように感じられた。
「……たしかにお前は勇者と呼ぶにふさわしい。それは認めよう。だからこそ惜しい」
サラヴァンはゆっくりと左手をかざす。
それが黒く光ったと思えば、石がぶつかったのような衝撃が走る。
ディバインシールドで身を守っていなければ、ダメージをこうむっていたに違いない。
「やはりこれではディバインシールドの守りは突破できぬか。だが、大技を出そうと思えば隙ができる。お前は確実にそれを突いてくる恐るべき敵だ。よってじわじわけずりってやろう」
デーモンは先ほど痛撃を食らったのがよほど堪えたようだ。
すでに神剣は勇者の手元にないのにも関わらず、慎重な姿勢を崩さない。
そのことが翔太にとって厄介きわまりなかった。
(勝てると思って油断してくれれば、何とか反撃できそうなのに)
左手から黒い光弾を飛ばしているだけ、それも離れた場所からとなると突ける隙が見当たらない。
さらにデーモンは油断せず注意深く彼のことを観察している。
これでは翔太はひたすら守るしかなかった。
サヴァランは決して焦るそぶりを見せず、ちまちまと休まず攻撃をし続ける。
その為、彼は常にディバインシールドの力を引き出し続けるしかない。
異形の怪物であるデーモンと生身の人間。
どちらの方が持久戦で不利なのか、火を見るよりも明らかだ。
それでも翔太は攻勢に転じることができない。
どれくらいの時が流れただろうか。
ディバインシールドを持つ手が重く感じるようになり、息も荒くなってきた。
「よく粘る。しかし、いつまで続くかな?」
天機星のデーモンは彼のしぶとさに感心しつつ、間断なく光弾を連射している。
この男が一向に疲れを見せない以上、先に勇者が根負けしてしまうと両者の認識が一致した時、乱入者が現れた。
それは翔太が残してきたはずの、ユニスという名の少女である。
彼女は投げ捨てられていた剣を手にとり、勇者に向かって投げたのだ。
ディバインブレードは勇敢とも無謀とも言える彼女を拒絶せず、素直に翔太のところへ飛んでいく。
「何だと?」
これにはサラヴァンも思わず手を止める。
「ユニス……」
彼は感謝の言葉がとっさに出てこなかった。
それでも剣をしっかりと握る。
「おのれっ、おのれっ」
それとは対照的にサラヴァンは激昂していた。
翔太と対峙している時に見せていた温和で理知的な衣を脱ぎ捨て、すさまじい形相で彼女のことを睨む。
「カルカッソン人めがっ! 一対一の戦いを邪魔するかっ!」
「勇者様がわたくしたちを見捨てようとはしなかったように、わたくしだって勇者様の危機を知らんふりできるはずがありません」
デーモンの強烈な敵意と殺気をまともに浴びたユニスは表情を青ざめさせ、額に脂汗をにじませながらも震える声を発する。
彼女は発見されれば殺されてしまうのを百も承知で、翔太を助ける為に行動したのだった。
「どうする、サラヴァン。どうしても納得できないなら、一から仕切りなおすか?」
勇者はあえてそう呼びかける。
このデーモン相手ならばそれもいいと思っていたし、何よりも彼女から意識をそらすという理由があった。
「黙れっ、黙れっ! 黙れっ!」
ところがサラヴァンは完全に逆上してしまったようで、彼の呼びかけをまともに取り合わない。
「うす汚いカルカッソン人と、あくまでもそれに組する勇者めがっ! まとめて消え去れいっ!」
彼は翔太から見て右に飛びずさる。
それから天高く跳躍した。
「【獄焔滅塵】」
三巨頭ニーズヘッグのサラヴァンの最大の攻撃は、猛毒効果を与えるのに割いていたパワーを全て純粋な火力に転換するというシンプルなものである。
だが、強烈な毒を作り為に使われていたパワーは、翔太たちが思うよりも多かった。
デーモンの全身が黒い光に包まれ、周囲の空間が揺らぐのを見て、勇者はその危険度の高さを直感する。
(あれはやばい!)
彼は神器の力を全て防御に回せば、あるいは致命傷は避けられるかもしれない。
だが、ユニスはまず助からないだろう。
そう考えた彼の行動は素早かった。
黒く燃える炎が彼らを含め、周囲一帯を包んだ時には彼女のすぐそばまで到達する。
そして神器の力を全開にした。
剣と盾が放つ白いまぶしい光と、街を飲み込むかと思うほどの黒い炎のせめぎあいはすぐに終わらない。
この事実にサラヴァンは驚嘆する。
「先ほどよりもずっと、勇者の力が増しただと?」
そう、ユニスを守ろうとした結果、翔太が神器から引き出した力は先ほどの比ではなかったのだ。
さもなければ二人とも黒い業火に焼き尽くされていたに違いない。
誰かを守る為に戦うと言った少年は、言葉通りのことを実行しているのだ。
たとえそれが火事場の馬鹿力のようなものにすぎないとしても。
とうとうサラヴァンの攻撃が止まる。
さしもの三巨頭も、最大の攻撃を延々と放ち続けるわけにはいかなかったようだ。
しかし、翔太の方も息があがっていて、すぐに行動には移れない。
ほんの少し前まで不可能だったことをやっていたのだから、消耗の激しさは想像を絶する。
「も、申し訳ありません。ショータ様。わたくしのせいで」
ユニスは悄然と肩を落とす。
自分が足手まといになってしまったと責任を感じているのだ。
「それは違う。お前を守りたいと思ったから、いつも以上に力が出せたんだ。それにお前が剣を拾って投げてくれなかったら、とっくに殺されていた。お前のおかげで俺は救われたんだ」
そんな少女に対して、翔太は感謝の気持ちを語る。
決して嘘いつわりではなかった。
「ショータ様……」
ユニスの表情が情けなそうに崩れる。
泣き出したいのを必死で堪えていそうだ。
勇者の言葉はさらに続く。
「誰かを守りたいと思う気持ちでここまで強くなれるとは、正直自分でもびっくりだよ」
実のところフィクションなどで主人公がそう言って頑張れるのは、「フィクションの主人公だからではないか」という意識があったのだ。
だが、今はそうでもないと分かる。
「ショータ様……」
ユニスは両手で口を隠して絶句してしまう。
彼女の胸にはどんな想いが去来しているのだろうか。
「おのれ……お前たち」
それを見ていたサラヴァンが屈辱にまみれた声を絞り出す。
だが、彼の憤激は長続きしなかった。
彼は右手を己の胸に当てると深呼吸をして、落ちつきをとり戻そうと図ったのである。
「ショータよ、真の勇者とも言うべき男よ。そこのうす汚い女はともかく、お前には敬意を払おう」
デーモンの声はたしかに冷静さが回復していたが、どこか不穏な気配が宿っていた。
不意に遠く離れた場所で浮かぶ緑色の柱の脈動が大きくなり、勇者の耳に届く。
するとその柱から黒いオーラのようなものが生じて、サラヴァンのところに流れ込む。
「シュガール様の為に使うはずだった贄どもの力を使わさせるとはな。だが、お前ほどの者をここで確実に仕留めておくことは、何よりも優先すべきだろう。お前を倒せば、シュガール様を脅かせる者がいなくなる。たとえ新たに勇者を呼ぼうと、お前に匹敵する存在などいないと、過去の歴史が語っているのだから」
「贄だと? まさかあの柱は?」
翔太は自身への賛辞は聞いていなかった。、
それよりもよほど看過できぬ発言があったのである。
「ああ、あれはこのルーランとやらで過ごしていた者たちよ。ああすることで、シュガール様復活に必要な糧となってもらったのだ。そうすれば奴らの罪は、多少は浄化されるというものだ」
「……お前を今倒せばまだ助けられるということだな、サラヴァン」
彼の闘志はたちまち回復した。
いや、あるいはさらに高まったかもしれない、とサラヴァンは感じる。
目の前の勇者はそういう人物なのだと、このデーモンは理解したのだ。
「そうだ。まだ生きているだろうからな。……私を倒す理由が増えたとでも言いたそうだな、ショータよ」
「よく分かっているじゃないか」
両者にふと笑みが浮かぶ。
互いに倒すべき敵だというのに、奇妙な感覚があるものだと翔太は思う。
それとも認めるべき部分がある敵手と理解しあった場合、このような感情がわき起こるのだろうか。