16話「封じられていたもの」
「失敗」
「女に邪魔された」
「それは誤算」
ベーリューたちの目からは光が消えていて、虚ろな言葉がつむがれる。
その尋常ではない様子に翔太は、彼らが何者かに操られていると勘づく。
しかし、誤算なのは神器の力によってデーモンの気配が探知できないことであった。
(これが災いの正体なのか……?)
ただ操られているだけにすぎない以上、獣人たちをいたずらに殺傷するわけにもいかない。
そうかと言って誰が黒幕なのか分からないとなると、今できることは限られている。
(ひとまずユニスを守りながら、ジョンたちと合流するべきかな)
もしかすると彼らもベーリューたちに襲われているかもしれないのだ。
精鋭でもあるジョンが残っているが、身体能力で上回る獣人たちに数で押されると苦戦は必至だろう。
まして彼にはシンディとミラを守らなければならないというハンデもある。
「悪いが気絶くらいは覚悟してもらうよ」
本来の獣人たちに一言詫びた。
「勇者、死ね」
「死ね、勇者」
返ってきたのは虚ろな敵意である。
そして次の瞬間、彼らは同時に飛びかかってきた。
なるほど、たしかに彼らの俊敏性は人間とはかけ離れている。
だが、デーモンの十二将クラスと比べれば、残念ながら及ばなかった。
それ故に翔太は難なく彼らの攻撃を回避し、囲みを突破してしまう。
残念ながら彼は武術や剣術の達人とは言えない為、すれ違いざまに一撃入れるといった芸当まではできなかった。
(帰ったらやるべきことに、武術の鍛錬も追加した方がいいのかも)
そう考えるゆとりはあったのだが。
包囲を突破したのだからと、彼らを相手にはせずに走り出す。
「気絶は覚悟してもらう」という発言は何だったのかという展開だが、今の彼らをまともに相手にする必要性は感じたなかった。
「勇者、逃げる」
「勇者、逃げる」
彼らもしくは彼らを操る者にとっては、翔太が彼らから逃げ出すというのは想定外だったのか、とっさの反応がにぶい。
その隙に一気に差を広げる。
つくづく神器の身体能力強化は便利で、通常なら通りにくい曲がりくねった道も簡単に走破できた。
広場に戻った彼の視界に飛び込んできたのは、虚ろな瞳のベーリューたちである。
居住区から集まってきたのか、その数はざっと数えても五十は超えていた。
立ち止まってもいいことはないと判断して、その間隙を一気に駆け抜けてしまう。
その速さに彼らは何が起こったのか、理解できなかったようである。
数瞬遅れて「勇者」と声を上げはじめた。
しかし、その頃の彼はすでに広場を抜けて来た道を通り、入り口までやってきている。
そこではジョンが剣を抜き放ち、背後に少女たちを庇いながらベーリューたちを睨んでいた。
「ジョン!」
「勇者様?」
彼が真横に到達すればまず騎士は確認し、それから気絶したユニスの姿に驚く。
「何があったのですか?」
「俺の落ち度だ。不意打ちされた時、ユニスが庇ってくれたんだ」
翔太の言葉を聞いたジョンとミラは怪訝そうになり、シンディは腑に落ちたという表情になる。
この差が彼には興味深く感じられたが、後回しすべきことであった。
「戦うのは俺がやる。皆はユニスのことを頼みたい」
「承りました」
彼が抱えていた王女を、シンディとミラが二人がかりで受け取る。
神器の恩恵を受けている彼には軽かったが、彼女たちにとってはそうはいかず重そうであった。
それでもジョンは心配そうにするばかりで、手伝おうとはしない。
本人の許しを得ずに王族に触れることができないのか、それとも気絶した女性に触れるのがいけないのだろうか。
いずれにせよ、騎士は役に立てないようだった。
そこで翔太は彼にベーリューに注意するように頼む。
「気をつけるけど、打ち漏らしができるかもしれない。その場合はすまないが、ジョンが頼りになる」
「かしこまりました。お任せください」
彼に頼まれたジョンは、戦う者の顔つきに戻る。
「恐らくだけど、彼らは操られているだけだ。なるべく殺さないでほしい。皆の安全が最優先だから、強制できないけど」
「心得ました」
無理がある翔太の要望を、騎士はあっさりと受け入れた。
そのことに頼もしさを感じつつ、彼は問いかける。
「べーリューは身体能力が高いと聞いているけど、大丈夫かい?」
「ええ。べーリューに勝てないようでは、クローシュの近衛騎士は勤まりません」
その声に気負いがなかった為、彼はひとまず安心した。
「勇者、死ね……」
「勇者死ね」
「勇者倒す」
そこでべーリューたちの声が被さってくる。
よく見ると、祠にいた者たちがここまでやってきたのだ。
しかし、それが翔太に違和感を与える。
(どうして俺とジョンが会話をする余裕があったのか……そもそもジョンたちは囲まれるだけで、襲われていなかったのか?)
まさか彼との合流するのを待っていたわけではあるまい、と思う。
彼が勇者だと知っているのであれば、彼こそが最大戦力だと知っているはずだ。
そしてジョンが彼ほどではないにしても戦えるということも、分からないこともないだろう。
確実に倒したいのであれば戦力の分断をすべきなのに、それをしなかったのはどういう理由があるのか。
翔太は不思議に思って観察すると、祠にいたべーリューの一人の瞳の光にわずかな揺らぎがあることに気づく。
他の者たちと同様虚ろであるからこそ、それが引っかかった。
(あいつが指揮官役……もしくは他のべーリューを操る媒介なのか?)
そのべーリューがいなくては単純な行動しかさせられないのかもしれない、と判断する。
その仮説が正しいかどうかたしかめるべく、彼はまずそのべーリューの腹部に一撃を入れて、拳であごを撃ちぬく。
強化された攻撃は軽くべーリューを吹き飛ばす。
そしてそのまま立ち上がらない。
他の獣人たちには何があったのか理解できなかったようで、棒立ちになっていた。
「勇者死ね」という言葉さえ発しなくなったのは、先ほどの者を最初に倒すという判断が当たっていた証なのだろうか。
彼はそう思考しながらジョンのそばに戻り、油断なく周囲を見回す。
そうするとどこからともなく忌々しそうな声が聞こえてくる。
「おのれ……何故分かった?」
べーリューたちの声とは違う、しわがれた老人にそっくりであった。
目を凝らして観察してみると、一本の大きな木が不意に激しく揺れて飛び上がる。
幹には赤い一つの目が開いていた。
「わしは地蔵星フオルンのベルナール……どうして、その獣こそがカギだと分かったのだ?」
「デーモン」
翔太は呆然とつぶやく。
何度やってもフオルンの存在は感知できない。
だからこそ見逃したのだろう。
「答えろ! 何故分かった!」
焦れて怒鳴りつけてくるベルナールに、彼は冷静に切り返す。
「その人だけ何かおかしかったからな」
「馬鹿な……勇者にそんな知能や観察眼があるだと……」
フオルンのデーモンは愕然とする。
翔太の冷静な対応がよほど意外だったらしい。
「何故あんたからデーモンの気配がしないんだ?」
彼はダメで元々というつもりで訊いてみたのだが、聞かれたベルナールは笑い出した。
「何も知らんのか。やはり勇者は愚図だな。先ほどのはただのまぐれか。いいだろう、死にいく者への慈悲だ、教えてやろう。ディバインハートの力なのだよ!」
デーモンが放った言葉は人間たちに大きな衝撃を与える。
「ディバインハートの力だと……?」
翔太は「嘘だ」と言い返したいのを堪えたが、ジョンは我慢し切れなかった。
「馬鹿な! ありえない! 神器をデーモンが持てるはずがない!」
その叫びは彼の気持ちを代弁したものである。
だが、返ってきたのは嘲笑だった。
「どこまでも愚かな奴め。愛の女神は貴様らを見放し、ディバインハートはその神秘性を失った。嘘だと思っているか? では訊いてやろう。ディバインハートがどこにあるのか、貴様らは知っているのか?」
悪意と毒に満ちた言葉が、人間たちの心をむしばむ。
答えられない翔太とジョンをデーモンが嘲弄する。
「何故答えられない? どうしてディバインハートの情報が貴様らから失われたと思っているのだ? 答えは唯一つ、貴様らは神に見放されたからだ!」
翔太とジョンの心に雷鳴のような衝撃がとどろく。
彼らはとっさに言葉が出てこない。
何か言い返すべきだとなけなしの理性が忠告を発しているのに、舌が凍りついてしまっていた。
「守護三神が揃えばこそ、貴様らはシュガール様に抗えた。愛の女神の力を失った貴様らなど、シュガール様に成敗されるだけの豚に過ぎぬわ!」
「ち、違う……」
勝ち誇るベルナールに反対する声があがる。
弱弱しい声の主はユニスだった。
「女神は……メルクルディは……人を見放していない……」
「ユニス」
彼女の言葉は何故か翔太の胸の奥まで響き、彼を衝撃から立ち直らせる力があった。
「はっ! 神にすがるしか能がない豚どもは、そう思いたいのであろうよ!」
そうとは気づかず、ベルナールはさらに嘲弄を繰り返す。
「そんな貴様らを絶望させてやろう! この地に眠っていたのは三巨頭が一角、サヴァラン様だ! そしてサヴァラン様を封じていたのがディバインハートよ! だが、今やディバインハートはサヴァラン様の力を高める道具に成り下がった! 勇者がデーモンの気配をさぐれなくなっているのも、それ故よ!」
デーモンは言い終えると勝ち誇るかのように、体を揺らした。
「なるほど、サヴァランとやらを倒して神器を奪い返せば解決するわけか」
「はっ、無駄だ。三神の力なしで貴様が勝てるはずがない。大体、神に見放されておらぬなど、とんだ世迷いごとよ」
ベルナールはどこまでも彼を、人を嘲笑い続ける。
「どうしてユニスよりも、お前の言葉を信じなきゃいけないんだ?」
翔太は真顔で言い放つと、ディバインブレードをかまえる。
もう彼には迷いはなかった。
「わしを倒せたところで、貴様らに帰る場所などない……サヴァラン様の圧倒的なお力の前に、カルカッソンなど滅び去るのみ。せいぜい冥府への土産を選んでおくのだな」
フオルンのベルナールはそう言うと、口を開く。
「さあ死べ」
デーモンは死ねと言うことはできなかった。
それよりも先にディバインブレードで口の中を貫かれてしまったのである。
デーモンの体が淡く光、粒子状となって消滅した。
その後、虚ろな瞳で棒立ちになっていたべーリューたちは正気を取り戻す。
「俺は一体……?」
「あれ、ここはどこだ?」
彼らは全く事態が飲み込めておらず、きょろきょろと見回して互いに言葉を交わしあう。
やがて剣をおさめた勇者の姿に気づいた一人が声をかけてくる。
「勇者様は一体どうなさったのです? 我々がどうしていたのか、ご存知ですか?」
彼はほっとして息を吐くと、簡単に何があったのかを教えた。
「な、何と、デーモンがここにっ?」
「三巨頭が封じられていたですと?」
「しかもディバインハートがこの森に!?」
驚きと恐怖の叫びが次々と生まれる。
彼らにひとしきり声を吐き出すのを待ってから、翔太は口を開いた。
「俺は三巨頭さがしに行こうと思う。ディバインハートを取り戻さないかぎり、大きなハンデを抱えたままになってしまうしね」
「は、はい。ご武運を」
べーリューたちに別れを告げると彼は、ジョンにたずねる。
「三巨頭が行きそうな場所、どこだと思う?」
「はっきりと申し上げることは難しいのですが……デーモンどものことを考えると、可能性が高いのは王都ルーランではないかと」
近衛騎士の答えに彼はうなずく。
「そうだよな。これまでルーランで出会ったデーモンは、神器と三巨頭をさがすのが本来の目的だったのかもしれない」
「ドゥルジーナスなどは、勇者様の足止めが狙いだったのでしょうか?」
ジョンが首をかしげながら言ったことは、彼も考えていたことである。
「そうかもしれないな。十二将クラスが一体もいなかったのは、そういう事情だったからだろう」
勇者相手に時間を稼ぐだけならば、下級デーモンだけで十分というわけだ。
仲間あるいは部下に対して冷徹だと感じるが、事実見事に足止めされてしまった感は否めない。
翔太が内心悔しがっていると、ジョンが疑問を口にする。
「ですが、どうしてデーモンどもはこの地に三巨頭が封じられていて、それに神器が使われていると知っていたのでしょうか?」
「それはデーモンに訊いてみないと分からないだろうな。フオルンみたいに口が軽い奴がいるとありがたいんだけど」
彼がそうおどけると、騎士も口元をほころばせた。
緊張を多少はほぐされたようである。
「しょ、ショータ様」
そこにユニスの声が聞こえたので、彼は彼女に近づき話しかけた。
「もう少し回復してから聞くよ。今は寝てくれ」
彼女は一瞬不安と不満が混ざった表情になったが、彼が笑顔で見つめると仕方なさそうに目を閉じる。
その彼女を丁重に馬車に乗せ、彼らは王都ルーランを目指して出発した。