15話「森の住人たち」
森の中には日が差し込んでないせいでうす暗く、翔太は神器を光らせることで照明代わりにした。
草は彼の腰くらいまでの高さがあるが、先端はゆるいカーブを描いている。
日が差し込まないのにも関わらず、これほどまでに雑草らしきものが生い茂っているのは奇妙なように思えた。
(光なんてほとんどなくても問題ない植物なのかもしれないけど……)
彼に植物の知識など皆無に等しく、目に映る植物たちの名前はもちろん、カテゴリーですらさっぱり分からない。
地球のものとは全く種類が違う可能性は否定できない為、あまり考え込まない方がいいかもしれないと己に言い聞かせる。
そんな彼のすぐ後ろをユニスがついてきていた。
彼女は毅然とした顔つきと、恐る恐るといった動作とギャップがあるが無理もないと彼は考えている。
宮殿で育った王女様が、森の中を歩く機会があるはずもないからだ。
それでも彼女は翔太の足手まといにはなるまいと固く決意をしているようで、懸命に足を動かしている。
彼が彼女の速度にあわせて歩いているのは、普段の彼女ならばとっくに気づいていただろう。
そうではないというだけで、彼女に余裕がないということが分かる。
木と草の群れを抜けた先には大きな広場があった。
そこは木の頂上部が淡く光を放っていて、それらが合わさった結果外の真昼と変わらない明るさになっている。
そしてそこには二十人ほどの人がいた。
彼らの全身から白い毛がぼうぼうに伸び、胸と下半身を布きれで隠しているだけである。
毛と同じ色の尻尾が伸びていることから、翔太は獣人か何かだろうと推測した。
念の為、彼らのことを神剣で探知してみたが、怪しい気配は何もない。
彼が立ち止まったことを疑問に思ったユニスが、その背後からそっと顔を覗かせて理由を確認する。
「ベーリュー?」
彼女は怪訝そうに眉を動かし、名前と思われる単語をつぶやく。
「ベーリュー?」
彼が小声で問いかけると、彼女は小さくうなずいた。
「はい。全身を白い毛で覆われ、尻尾を持つ獣人とも呼ばれる種族です。森を住みかとすると聴いていましたが、ここで見かけるとは……」
彼女の顔と声には、はっきりと意外感がある。
だが、緊張感や警戒心はほとんど見られない。
「危険な種族だったり、俺たちと敵対する可能性は?」
それでも翔太としては訊いておかずにはいられなかった。
ユニスもそれは承知していたのだろう。
すぐに教えてくれる。
「身体能力は高いですし、怒ると大変凶暴で肉食獣ですら逃げ出すと言われています。けれども普段の彼らは温厚で人懐っこく、わたくしたちと友好関係を築ける種族です。怒らせないように気をつけてさえいれば、とりたてて警戒する必要はないと存じます」
「そうなのか。どうすれば怒らせるとか、その辺は知っているかい?」
敵に回さないのは思ったより難しくなさそうで、彼は少しだけ安堵した。
それでも怒るポイントは知っておいた方がよいと質問を重ねる。
「いくつかある侮辱行為さえしなければ大丈夫だとされています」
ユニスは即座にそう答えてから、具体的なことを言う。
一つめはサルや獣と言った罵る言葉を口にする。
(これは当然だな)
どんな人間であっても愉快なことではない。
守って当然の礼儀作法だと感じる。
二つめはあいさつに応じること。
「ベーリューは尻尾をふってから地面にあて、抱擁を求めてきます。それに応じることが大切なのです」
これを聞かされて彼は「おや」と思う。
(わざわざ注意事項に挙げられる割には難しくないな)
もしかするとカルカッソンには獣人との抱擁を嫌がる人が少なくないのかもしれない。
「抱擁に応じるだけでいいんだよね? 俺たちに尻尾はないんだし」
尻尾を使った動作も真似しろと言われても無理だ。
翔太がおどけてそう言うと、彼女は真顔でうなずく。
「ショータ様なら嫌がらないと信じておりましたが、実際カルカッソンでは嫌がる者が多いのです。彼らは身体能力は高いのですが、文明とは距離を置いた暮らしを好みます。それ故野蛮人だとさげすむ輩が出るのですから、困ったものです」
そう話す彼女の声と顔には悲しみが込められている。
彼もまた「ユニスがそういう意識とは無縁でよかった」と思っていた。
「馬鹿にする気はなくてただの確認なんだけど、言葉はちゃんと通じるんだよな?」
「ええ。むしろ並の人間よりも上手ですよ」
彼女のこの言葉にはどことなく人間に対して、皮肉という名の棘が含まれているように感じられる。
それだけ偏見などで苦労させられたのかもしれない。
彼はそう解釈しておこうと思っていると、彼女が提案してくる。
「あの、よろしければわたくしが声をかけましょうか?」
「ああ、その方がいいかもしれないな」
もしも声のかける際のマナーがあれば、彼では守れるはずもない。
ユニスにやってもらった方が無難だろう。
彼がそう認めると彼女はすっと前に進み出る。
堂々としたふるまいに彼はぎょっとして心配したが、それは杞憂に終わった。
「風が駆け抜ける音が実に美しい日ですね、皆様」
彼女が近づいてそう話しかければ、ベーリューたちはうさんくさそうにしながらも応じてくれる。
「うむ。突発的な風と巡り合うのも、偉大なるヴァンドゥルディ様の思し召しであろう。よくぞ参られた」
ひときわ体格のよい者が低いガラガラ声を放つ。
たしかに言葉は流暢だし、身が引き締まるような迫力があった。
「それで客人たちは何用かな?」
じろりと黒い瞳が彼女と翔太を射抜く。
少しでも不審な様子を見せれば、たちまち襲いかかってきそうな剣呑な雰囲気がある。
「わたくしはユニス。そしてこちらにおわすのは、神選の勇者ショータ様です」
神選の勇者という言葉が発せられた効果は抜群だった。
ベーリューたちの瞳が一斉に彼が持つ剣と盾に集中し、それから慌てて跪いたのである。
「た、大変失礼した。猛きディマンシュ様と大いなるヴァンドゥルディ様に選ばれたお方だとはつゆ知らず……」
彼らは心の底から恥じ入り、恐縮しているようだ。
翔太にしてみれば不意に見知らぬ訪問者がやってくれば、警戒するのは当たり前である。
その当たり前のことをしただけなのにも関わらず咎めるのは、悪い気がした。
「気にしていません。あなた達はただ、突然現れた人間を警戒しただけですから」
「おおお……」
彼がそう答えれば、ひれ伏すベーリューたちからは感動したかのような声が上がる。
「何とお優しい」
「とても寛大で立派な方だ。あの伝承はしょせん、伝承にすぎないということだろうか」
声は大きくなかったが、勇者の耳にはしっかりと届く。
やはりと言うか、過去の勇者たちの所業がここでも尾を引いているのだろう。
「我々としてはあなた達をどうこうするつもりはない。ただ、この地にはある災いが封印されていると聞いて、それが何なのかたしかめたかったんだよ」
「この地に封印された災い……ですか?」
ざわめきが再び生じたが、今度は困惑の色合いが多い。
これには彼らの方も戸惑う。
「もしかして心当たりはないのですか?」
翔太が訊くと、獣人たちは一斉にうなずく。
「そういった話はとんと聞きませんね」
「私も」
「俺もだ」
そう口々に言い合う。
「どういうことだろう?」
翔太が不思議に思ってユニスに言うと、彼女も首をかしげる。
「現地に住む者たちが知らないはずがありませんが……人間にとっては災いであっても、ベーリューたちにとっては違うということなのかもしれませんね」
解答を見出したと言うよりは自分自身を納得させようとしているようだった。
彼も似たような気持ちだった為、首を動かすことで同意を示す。
「そうなるとどこをさがせばいいのかな?」
「質問を変えてみましょう」
ユニスはそう言ってベーリューたちに問いかける。
「あなたがたの居住区とは別に、立ち入りが禁止されているようなところはありませんか? たとえば神聖な区域であるとか」
これにベーリューたちはお互いの顔を見合わせた。
「そう言えば……あそこがそうなんじゃないのか?」
「うん。でもよそ者を入れてもいいのか?」
がやがやと抑えきれぬ声で相談しあう獣人に、翔太が頼む。
「何なら俺だけで入るので、お願いできませんか。この世界の為に必要なことかもしれないのです」
彼の真剣な顔を見て、声を聞いた彼らはうなずきあう。
「神選の勇者様の要請を断るわけにはまいりません。そちらの女性の立ち入りも認めましょう」
これにはユニス自身が目を丸くする。
「ありがたいのですが、本当によろしいのですか?」
「ええ。勇者様の従者も勇者様と待遇は同じですよ」
一国の王女をただの従者と勘違いするのは、本来ならば許されない無礼であろう。
しかしながらこの場においては、あえてそれを指摘しない方が波風は立たないと翔太とユニスは判断する。
「じゃあよろしくお願いします」
「ええ。こちらです」
彼らのうち一番体格のよい者が立ち上がり、案内をかって出てくれた。
「勇者様の威光が彼らにも通用するとは、お恥ずかしながら存じませんでした」
ユニスは小さなそう言って、目を伏せる。
ベーリューだってこのカルカッソンに生きる民なのだから、世界を救う勇者が特別であっても何もおかしくはない。
そのことに思い至らなかったのを恥じているのだろう。
だが、実のところも翔太も同じような気分であった。
(俺ってあくまでも人間にとっての勇者だと思っていたんだよなぁ)
彼もこっそり打ち明け、二人で反省する。
「勇者様?」
そんな彼らにベーリューが怪訝そうな声をなげかけた。
「あ、ごめんなさい」
慌てて謝り、曖昧な笑みでごまかしを図る。
幸いなことに獣人はそれ以上追及してこなかった。
獣人に先導されて、広場の脇にある小道へと入る。
その小道は翔太の肩幅よりも少し広い程度のスペースしかなく、おまけに曲がりくねっていて通りにくかった。
あえてそんな道を通る理由でもあるのかもしれない、と彼は推測する。
案内役のベーリューはある時立ち止まって、彼らに振り返った。
「あそこです、勇者様」
彼が右にずれてくれたので、翔太はその先を見ることができた。
灰色の石で造られたと思われる小さい祠があり、その周囲には棒や槍を持ったベーリューが六人いる。
おそらく祠を守っているのだろう。
周辺の草は綺麗に刈り取られていて木々もないせいか、雰囲気が少し違っているように感じられた。
「では奴らに話を通してきますので、しばしお待ちを」
案内役の男はそう言い残して、仲間のところへ歩いていく。
何事か言葉が飛び交うと、ベーリューたちは翔太の方を見て一斉に跪いた。
「どうぞ、こちらへ」
「いや、あそこまでしてもらわなくてもよいのですが……」
彼はそう言わずにはいられず、戻ってきた案内役の男に告げる。
獣人はやや戸惑ったものの、短く首を縦に振った。
「かしこまりました。勇者様のお許しがあるならば」
彼は再び仲間たちのところへ行き、立ってもよいと言う。
はじめは戸惑っていた者たちも、勇者の望みだと知ると恐る恐る立ち上がる。
「勇者様はとても慈悲深く寛大なお方でな」
案内役の男は自慢げにそう話し、翔太を困らせた。
「祠の中にある不思議なものが祭られている為、決して開けてはならないと伝わっております。しかし、勇者様であれば大丈夫でしょう」
彼の言葉にうなずいた勇者はそっと祠の前に立つ。
神秘的な空気は正直ないが、それでもどこか他とは違う気はする。
翔太がそう感じながら手を伸ばした時、ユニスが悲鳴のような叫びをあげた。
「ショータ様!」
彼が振り返った瞬間、衝撃と柔らかい感触が走る。
ベーリューが彼に向かって棍棒を振り下ろしたのだが、彼女が身を投げ出して彼を庇ったのだ。
「ユニス」
ぐったりと倒れこむ彼女の姿を見て、彼は素早く癒しの光を使う。
無事に光が彼女を包んだことで安心し、獣人たちを睨みつけた。