14話「災いが眠る地へ」
「かしこまりました。どうぞこちらへおみ足をお運びください」
館長の後をついて歩きはじめた翔太は、改めて目標の建造物を映す。
こげた茶色のレンガ造りで真っ白な屋根がまぶしく、窓ガラスの並びと壁の高さからして三階建てなのであろう。
「図書館」というだけあってか翔太がこちらの世界で見たどの建物よりも大きい。
もちろん、城や宮殿といったものを除外しての話である。
彼らは入り口を抜けて右手に曲がり、職員たちの訝しげな視線を浴びつつ館長室へと案内された。
館長自身は部屋に入る前に、職員たちに何か指示を出す。
中に入った館長は翔太とユニスに深々とお辞儀をする。
「改めて勇者様、ユニス殿下、ようこそいらっしゃいました。私はこの図書館の長であり、この街の長でもあるディルスにございます」
館長こそがこの街の長でもあると初めて知った彼は、眉を動かして驚きを示す。
ユニスの方は知っていたらしく、小さくうなずいてディルスのあいさつを受け入れたのみだった。
彼にすすめられるがまま、勇者と王女は来客用の上等な椅子に腰かける。
彼がかいつまんで街に関する情報を彼らに話していると、ドアがノックされて男性職員が入ってきた。
その職員は彼らに礼をしてから抱えていた分厚い黒表紙の本を、彼に手渡す。
それを彼がシンディへと手渡し、彼女が翔太とユニスの前に差し出した。
「こちらが件の書物にございます」
「見ましょう」
手に取りページを開いたのは王女である。
二人が一つの本を仲良く読むという構図になった。
彼女からほのかによい香りがただよってきても、翔太は特にときめかない。
一緒に風呂まで入ったせいだろうか、と彼は自己分析して記述内容に集中する。
記されているのはいつどこから誰によって伝えられたのか不透明だが、ルーランという国がある地域に大きな災いがあったという。
「それを封じ込めているのが、赤い腕輪……?」
ユニスはどことなく怪訝そうにつぶやく。
クローシュにはそのような情報が一切ないからだろうか。
翔太はそう推測しながら、ページをめくる。
その腕輪があるのはダジョールという地だという。
他には取り立てて変わった記述はない。
ルーランが興ってから、あるいは興るまでが記されているが、どこの国にもあるような歴史と言えそうだ。
「このダジョールというのは?」
翔太が質問するとすかさずディルスが教えてくれる。
「ここから馬で五日ほど離れたところにあります。昔はいざ知らず、今は森になっていて誰も住んでいませんよ」
だからこそ、あまり知られていなかったのかもしれないと彼は自身の見解を述べた。
「ただ、どうして誰も住まなくなってしまったのかまでは分かりません。そのあたりの情報は残されていないのです。それ故、単にあまり近づかない方がよい地域、と思われている傾向が強いかと存じます」
肝心な部分の情報がぼやけているからこそ、ディルスは自信がないと言ったのだろう。
翔太はそう納得してユニスに声をかける。
「ここは一つ、そこへ行ってみた方がよさそうじゃないか?」
「そうですね……他に手がかりもないのでしょうし」
彼の言葉に彼女はうなずいた。
どことなく不思議そうにしているのは、クローシュに伝わっていない情報があることがそれだけ意外なのだろうか。
彼がそう予想していると、ディルスに話しかけられる。
「お二方のお役に立てたようで、何よりです」
彼は心底安堵しているようだ。
彼らは出された水を飲みほして、移動するべく立ち上がった。
「ジョン、ダジョールというところは分かるかい?」
「ええ。ご心配なく」
彼の問いには頼もしい答えが返ってくる。
ルーランという見知らぬ地を時間を無駄にすることもなく駆け回れているのは、この騎士の存在が大きい。
かなり慌ただしいが、デーモン対策となると仕方ないと翔太は思う。
彼らが休んでいる間、デーモンが何もしてこないのであれば休んでいてもよいのだろうが、現実はそうではない。
少なくともルーラン国内にいるデーモン全てが、撃破されるか撤退するかさせなければならなかった。
(そう考えると、広範囲でデーモンの存在を探知できるようになれば、かなりありがたいんだよな)
現状ではルーラン全ての街と村に行ってみなければならない。
探知ができれば必要なところだけ行けばよくなるのだから、割と重要な要素であった。
幸いなことに探知範囲は順調に伸びている。
このままいけば一瞬で国内全ては無理でも、数回こなすだけ国内を網羅できるようになれそうだ。
(もっと磨いていけば……)
彼は努力しながらユニスに話しかける。
「ダジョールには何があると思う?」
「そうですね……」
王女は悩むと言うよりは戸惑っているような表情で、彼の問いに応じた。
「魔王シュガールとデーモン以外の災いなど、これまでに聞いたことはありません。彼らに匹敵するものであれば、ルーラン国内に話がとどまっているはずないのです。となれば一番可能性が高いのは、デーモンの誰かではないかと」
この意見に翔太は目をみはる。
「え? デーモンの誰かが、そうとは言われずに災い扱いされるって、そんなことありえるのかな?」
首をかしげる彼に対して、彼女はあいまいな笑みを浮かべた。
「わたくしもその点は疑問です。されど、他にどのような可能性があるのか、それが問題なのです」
「それもそうなんだよなぁ……」
他に災い扱いされるような怪物がいるはずがないといったニュアンスの発言がくれば、彼としては引き下がるしかない。
やがて馬車はダジョールという地にたどり着く。
そこは翔太が空を仰がなければならないほど、育った木々が見る者に圧迫感を与える。
「ここか……人が住んでいないかどうかまではちょっと分からないけど」
彼は一言つぶやいた。
日本でも「誰も住んでいないと思われていた森で生きている人がいた」というニュースを見たことがある。
カルカッソンの森は人が住めるものなのか分からないが、それはそばにいる人たちに訊けばよかった。
「森って人が住めるものなのかい?」
「水と食べ物があれば住めなくはないでしょうが、人間が住めるようなところであれば、人間も捕食する肉食獣がいると思います」
ジョンがすらすらと答えてくれる。
「そういった獣から身を隠すすべを持っていれば大丈夫でしょうけれど、そうでなければエサになるだけでしょうね」
シンディがクールな表情で続きを言う。
騎士とは違って若干顔が青くなっているのはご愛敬だ。
(まあそういうものだろう)
翔太にも納得できる答えだったが、それだけにある問題が発生する。
「中に入るのはどうする? 俺一人で行ってこようか?」
騎士として武装しているジョンはともかく、他の少女たちはとても森の中を歩けるような恰好ではない。
それなりに運動しやすい服装も用意されているのだが、クローシュの人間としてルーランの人間と対面することを考慮されたものばかりだ。
身軽さと移動速度を重視されたし、翔太がいれば神器の力を用いて高速移動できるのだから、着替えはあまり持ってこなかったのである。
さすがに森の中に突入することは想定されていなかった為、準備不足だと咎めては酷だろう。
「いえ、わたくしもまいります。どうかお連れください」
「ユニス?」
彼女がそう言い出すのは、翔太にとって意外であった。
しかし、サファイアのような瞳に宿る強い決意の光を見ると、うかつなことは言えなくなる。
「どうかお願いします」
何も理由を明かさずにお願いだけするというのは、どことなく彼女らしくない。
それでもその必死さを感じた彼は認めることにする。
いつだって彼女は優しくて責任感が強く、無辜の民を考える王女だ。
今回の件も何か事情があるのだろうし、後から教えてもらえればよい。
「分かった。じゃあ、二人で行こう。ジョン、後は頼むな」
「はっ」
王女の突然の申し出に驚いていた彼も、翔太がよいならばと引き止めなかった。
勇者が一緒であれば、森の獣など物の数ではあるまい。
心配するだけ無駄というものだと誰もが思う。
「それでしたら姫様、お着替えをされた方がよいかと存じます。スカートで、それに腕を露出したまま森の中を歩かれるのは危険でしょうから」
シンディの言葉に彼女はこくりとうなずく。
先ほど出た肉食獣とは別に、鋭利な葉を持った植物、毒を持った虫などもいるかもしれない。
露出はできるだけ控えめにするべきであった。
彼女が馬車の中で着替えている間、翔太は森の周囲をうろうろして通りやすそうな道がないかさがす。
神器の力を使えば大概のことは何とでもなるかもしれないが、可能であれば歩きやすい道を進みたいのである。
特にユニスも来るというのだからなおさらだ。
彼女がいれば彼では分からないことでも、あるいは分かるかもしれないという期待がある。
彼が彼女の同行を認めたのは、そういう計算もあってのことだ。
やがて彼はある部分に成人した人間が二人くらい、何とか通れそうな幅を見つける。
安全性を考えれば横ではなく、縦になって進むべきなのだろうが、いざという時戦えるスペースがあるのはありがたかった。
もう少し広い方がいいのだが、これ以上探索に時間をかけるとユニスを待たせてしまうかもしれない。
一度戻ってみると、ちょうど馬車からユニスが出てくるところだった。
彼女はグレーの襟つきシャツと紺色のズボンという簡素で動きやすく、肌の露出がほぼない恰好になっている。
さらに生地はうすいがベージュの手袋もはめていて、首から上は大体隠せていた。
彼よりもよほど森に入るのにふさわしい姿だと言えるだろう。
「それじゃあ行こう」
彼はユニスにそう告げた後、ジョンに話かける。
「何かあったらすぐに知らせてくれ。この周辺にデーモンはいないようだけど、油断はしない方がいいだろうな」
おそらく近衛騎士であれば、自分がいちいち言わなくても分かっているはずだ。
そう思ってはいるものの、立場上何も言わないわけにもいかない。
そのような彼の心理を理解したのか、ジョンは持ち前の明るい笑顔を浮かべてうなずいてくる。
「お任せを。いざとなれば笛を吹きます」
彼は懐から小さな白い角笛を取り出して見せた。
それにならうようにシンディとミラもそっくりのものを取り出す。
「三人が笛を吹く間も殺されるということは、滅多にあるものではないでしょうし、馬車を盾にしますから」
ジョンはすらすらと語り、いざという時の対策は彼以上にしっかり想定していることがうかがえた。
さすが王族の護衛を任せられる近衛騎士だと彼は感じ入る。
(生兵法はけがの元……いや、この場合は餅は餅屋の方がいいのか?)
いずれにせよ彼があれこれ指示を出すより、ジョンに任せておいた方がよいのはたしかであろう。
「ですぎた真似をしてすまなかった。ごめんなさい」
そう感じた彼は素人に過ぎない自分が余計なことを言ったと、頭を下げて詫びる。
これに慌てたのは騎士の方だった。
「いえいえ、滅相もございません! ご心配をいただきまして、恐悦至極に存じます」
ジョンばかりかシンディとミラも必死にフォローの言葉をかけてきたので、彼は素直に受けとめておくことにする。
思いもよらぬ一コマが発生してしまったが、翔太はユニスとともに災いなる存在が封じられているという地へ足を踏み入れたのだった。