13話「アルプコート」
ルーランの地理を頭に叩き込んでいたジョンのおかげで、アルプコートにも迷わずたどり着ける。
だが、平穏無事とはいかなかった。
ディバインブレードがデーモンの気配を探知したせいで急行したのだが、アルプコートの外壁は崩れていて、街の警備兵と思しき者たちがいくつも転がっている。
呻き声が聞こえたり、身じろぎしている者が多かった為に翔太は駆け寄って確認した。
不幸中の幸いとも言うべきか、死者はいなかったので彼の癒しの力で治すことができる。
「うっ……あ、あなたは?」
急に痛みが消えて傷が癒えたことに驚きたずねる兵士に、彼は答えた。
「名乗るほどの者じゃないよ」
実は一度言ってみたかったセリフというやつである。
言った本人は若干恥ずかしくて耳たぶが赤くなっていたが、言われた兵士は「何と謙虚な人だ」と感動していた。
ひとまず全員を助けることに成功したが、きらきらと輝く瞳を一斉に向けられてしまい、微妙に居心地がよくない。
そんな彼にとって助け舟とでも言うべきか、街の中からまだ物音が響いてくる。
「ジョン、俺は行くぞ。後は頼む」
「はっ」
翔太はまずデーモンが近くにひそんでいないか確認し、それから近衛騎士に一言かけた。
音が聞こえる方角へ急進したのはその後である。
彼が止まった場所は、街の中央の広場の噴水の近くであった。
「何度言えば分かる? お前たちのような下等生物では俺には勝てん。さっさと古文書のありかを吐け」
そこにいるのは青い鱗のような皮膚を持った、ワニ顔の男だった。
その男は右手で四十代くらいの立派な服を着た男性の首をしめている。
その近くには地面に倒れ、呻いている兵士たちが五人いた。
さらにその魚男に攻撃をしかけて返り討ちにされる者が三人ほど。
「お、お前こそ何度言えば分かる……? デーモンに話す、ことなど、ない」
男性は苦しそうに表情をゆがめながらも、デーモンの要求を拒絶する。
それにワニ顔のデーモンは舌打ちした。
「頭の悪い奴だな。正直に話せば命だけは助けてやると言っているのに、無駄に命を捨てるのか?」
「お前が約束を、守るという保証、がどこにある?」
自身の正当性を誇るようなデーモンに向かい、男性は言い返す。
「それに、お前が、約束を、守っても、魔王が、復活、すれば、どうせ私たちは、死ぬのだ」
「……それは否定できぬな。俺たちデーモンにとってシュガール様は絶対だ」
ワニ顔は意外なことに、相手の指摘の正しさを素直に認める。
「正直に話せば殺さない」と言っていることもあり、これまでのデーモンたちと少し毛色が変わっていると言えそうだ。
「だったら倒すしかないよな」
翔太がそう声をかけると、ワニ顔は驚きもせずに振り返る。
信じられないものを見たような顔で彼に視線を向けた男性や兵士たちとは対照的だった。
おそらくは彼がきていたことにとっくに気づいていたのだろう。
彼が剣を抜くとワニ顔のデーモンは息をそっと吐き、掴んでいた男性をそっと地面におろす。
その動作が優しかった為に「今までのデーモンと少し違う」という認識が強くなった。
「今代の勇者か。俺は地醜星マガラのビセンテという。アブラハム様を倒した貴様に俺がかなう道理はないし、俺としては抵抗する気もない。出て行けと言うのであれば、おとなしく出て行こう。それでも戦わなければならないか?」
外見とは裏腹に温厚で思慮深そうな発言をするビセンテに、ルーラン人たちは呆気にとられる。
しかし、それは一瞬のことで翔太に呼びかけた。
「ゆ、勇者様ですか? こいつです、この街を襲ったデーモンは! 倒してください、お願いします!」
一つの叫びがいくつもの叫びと変わり、デーモンは忌々しそうに舌打ちをする。
「これだから人間は嫌なんだ。素直に話せば攻撃しないと言っているのに何も話さない、黙って引き上げると言っているのに殺せと叫ぶとは」
人の世を蹂躙する魔王の配下とはとても思えない言葉に、翔太はわずかにだが好感を持つ。
襲われて傷つけられ、街を破壊されたアルプコートの人にしてみればたまったものではないだろうが、たしかにマガラのビセンテはむやみに人を殺してはいなかったのだ。
「この街に何の用だったんだ? 素直に話すなら見逃してもいいぞ」
「そんなっ?」
ルーラン人たちは驚愕の叫びをあげたが、ビセンテもまた大きく目を見開く。
「本気か?」
「ああ。傷ついた人の手当をする方が、むやみに人を殺さないデーモンを倒すよりも優先するべきだろう」
ビセンテがこれまでに人を殺してきていたのであれば、優先順位は当然変わる。
だが、殺しを好まない存在ならば、何が何でも今すぐ倒す必要はないと彼は考えたのだ。
「まさか勇者から本当にそのような言葉を聞けるとはな。過去の勇者はどれもクズだったと聞いていたが、今代の勇者はまともなのか? それとも勇者としては過去の連中こそがまともで、お前が変わっているのか?」
「さあ」
翔太は肩をすくめると再び問う。
「それで? この街に来た目的は?」
「……話すわけにはいかない。一応、上からの命令なんでね」
ビセンテはかなり本気で残念がっているようである。
そして彼はすっと戦闘態勢に入った。
「俺にかなうわけがないとか言っておきながら、俺と戦おうと言うのかい?」
翔太のこの言葉は嫌味ではなく、純粋な疑問である。
ビセンテと名乗るデーモンはどこかブレがあると言うか、ちぐはぐな気がしたのだ。
彼の問いを聞いたワニ顔は、どこともなく残念そうにうなずく。
「これでも俺はシュガール様配下のデーモンなんでね。俺たちデーモンはシュガール様のおかげで生まれることができたし、シュガール様と共に滅びる運命にある。裏切るわけにはいかないんだよ」
「……レヌンの街にいたガーゴイルと同じ目的か?」
翔太がこうたずねたのはただのカマかけのつもりだった。
しかし、ビゼンテの体がピクリと震える。
「あいつ、やられちまったのか。……まあ、俺ら下っ端は使い捨てみたいなもんだけどよ、そうと知ったからには敵討ちって目的ができちまったぜ、勇者さんよ?」
次の瞬間、彼の戦意がはっきりとふくれあがっていた。
ただ、自分で言っていたように、十二将クラスのデーモンが放っていたプレッシャーには及ばない。
翔太が何となく敵意を持ちにくいのは、目の前のビゼンテがどことなく人間くさいからだった。
「魔王を裏切れないなら、遅かれ早かれ倒さなきゃいけないか」
それでも戦わなければいけない理由はきちんと存在している。
「おうよ。個人的には恨みなんてねえ。だが、シュガール様の為、あんたにやられた他のデーモンの為、あんたを倒す!」
彼がそう吠えた直後、ディバインブレードの剣先が彼の体に届いていた。
鍛錬した勇者の踏み込みは十二将を倒した時よりもさらに磨かれていたのである。
(何かやりにくい相手だったな)
ビゼンテの体が粒子となって消えた後、彼は内心ため息をついた。
バジリスクやドゥルジーナスのように非道な敵であれば、いくらでも容赦なくなれる。
だが、ビゼンテのように誰かの為、何かの為に戦うタイプはあまり会いたくはなかった。
これはカルカッソンの人には知られない方がよいだろう、と思う。
デーモンを倒して剣をおさめた彼に、上等な服を着た男性が恐る恐る話しかけてくる。
「あの、もしかして、勇者様でしょうか?」
「そうです。あなたは?」
彼がよどみなく応えると男性は、「おおお」と感動してその場に跪く。
「私はこの街の図書館の館長です。このたびは危ないところを助けていただきまして、まことにありがとうございます。伝説の勇者様にお目にかかれて、とても光栄です」
翔太はこのような反応をいまだに大げさだという感覚を捨てしきれずにいるものの、同時にこの世界の人々の標準的な反応だと理解もしている。
「なるほど……」
男性の役職を聞いた彼は、デーモンが何か質問をしていた理由を察した。
「実は我々も似たような理由で、こちらを訪れたのですよ」
彼は手短に自分たちがここまで来た事情を説明する。
真摯に耳をかたむけていた男性は、表情を輝かせて言う。
「それでしたら、お役にたてるかもしれませんね。昔ながらの伝承が記された書物は、この図書館に保管されているはずですから。よろしければ、私どもが探しましょう」
「おお、それはよかった。お願いしてもいいですか」
彼はほっとしてそう応えてから、ユニスたちのことはどうするかと考える。
「ユニス王女もこちらに来ているのですが、いかがいたしましょう?」
彼としては自分だけ先に図書館に入ってよいのか、判断しかねたのだ。
「それでしたら何はともあれ、ユニス殿下にごあいさつをしなければならないでしょう」
男性は困惑したように応える。
何を当たり前のことを、と言いたくても勇者が相手では言えないのであろう。
これはたしかに翔太の落ち度であった。
「では呼んで来ましょう」
「とんでもありません! 勇者様にそのようなことをしていただくなど!」
彼は軽い気持ちで言ったのだが、ルーラン人たちはおそろしい勢いで反対する。
勇者がそれだけ重い存在だというのは、彼も何となく理解はできるようになっていた。
ただ、このような場合はどうすれば正解となるのか、という知識が不足しているのである。
(こりゃ帰ったらやらなきゃいけないことに、この世界の習慣の勉強も追加した方がいいだろうな)
彼はそのことを痛感して、脳内のメモ帳に新しい項目を追記した。
その後、ユニスたちは、守備兵たちによって案内されてくる。
それから起こったのは、もはや翔太にもおなじみとなった「ご尊顔を……」というあいさつであった。
それを終えてレヌンでナヴァール伯爵とやったようなやりとりがはじまる。
違う点はここが目的地である図書館がある為に閲覧できるよう、ユニスが要求したことであろう。
「デーモンたちも何かをさがしていたとか。その目的になりそうなものについて、何かご存知ではありませんか?」
クローシュの王女の問いに図書館の館長は、首を縦に振る。
「自信を持って断言できないのですが、もしかしたらと思うものがございます」
その言葉で勇者一行の期待を引き出しつつ、彼は慎重そうに続きを口に出す。
「神器にまつわる伝承は残念ながら、我が国でも耳にしたことはございませんが、この国には魔王シュガール率いるデーモンとの戦いに重要なものがあるとか」
「重要なもの?」
翔太が聞き返すと彼はうなずく。
「はい。それは人間の手でしか扱えず、デーモンにも劣らない災いを封じているとか……何しろこの国が興る前からの話ですので、信ぴょう性には疑問が残ります。果たして勇者様のお役に立てるかどうか分かりませぬが、デーモンがわざわざやってきたことを思えば、調べてみる価値はあるかもしれません」
「ではそれに関する本を見せてもらいましょう」
勇者がそう言うとユニスも賛成する。
彼女の表情は憂いと疑問の両方が宿っていた。
「そのような話がこちらの国にあるとは意外でした。確認しておいた方がよいでしょうね」
その彼女の複雑な感情を知ってか知らずか、ルーラン人たちは彼らを図書館へと招き入れる。




