12話「一息ついて」
(ただ、今すぐ移動するというのもきついかも?)
やや落ち着いた彼はその懸念を抱く。
「俺はまだまだ平気だし、ジョンも大丈夫かもしれないけど、ユニスたちにはこれ以上の移動は厳しいんじゃないか?」
神器の力で大幅に時間は短縮されていると言っても、王都から国境を越えて別の国の大きな街まで来たのだ。
勇者である翔太自身、近衛騎士として鍛え抜かれているであろうジョンならばいざ知らず、か弱い少女たちにこれ以上の長距離移動は耐えられるか疑問である。
国内の時は大丈夫だと思っていたのだが、今回は移動距離は遥かに長いのだ。
彼女たちが気づいていないところで、疲労が溜まっている可能性は無視できない。
彼の疑問を聞いたユニスは一瞬、答えに詰まる。
そのせいで声を発したのはジョンの方が早い。
「そうですね。その可能性は大いにあります。私は鍛えていますが、姫様やシンディ殿たちはそうではないのですから」
「わ、わたくしはまだ大丈夫です」
騎士よりも数秒遅れて彼女はようやく言ったが、誰の説得もできなかった。
シンディとミラは申し訳なさそうな顔をするだけで、口を開こうとしない。
あるいは彼女たちは指摘されて気づいたのだろうか。
彼女たちの様子をよく見ていたナヴァール伯爵は、小さくうなずきながら彼らに向かって提案する。
「いかがですかな? 勇者様がたさえよろしければ、このレヌンで休んでいかれては」
言外に泊まっていかなくてもよいのではないかと言われたと察したユニスは、しばし逡巡した後に首を縦に振った。
「分かりました。馬にも休みを与えなければいけませんものね」
あくまでも自身が疲労しているかもしれないと認めようとしない彼女だったが、ルーランの老伯爵はむしろ感嘆のこもったまなざしを向けている。
そのことに気づいた翔太は「おや」と意外に思う。
もしかしたら彼女の「強がり」は、このカルカッソンの貴族社会においては評価されるのかもしれない。
「そうだな。替えの馬は用意していないし、今のルーランで見つけるのは大変だろう。ちゃんといたわらないとな」
彼がそう言うとユニスとシンディの宝石のような瞳には安堵が宿り、伯爵の目がやや見開かれる。
ほんの一瞬の出来事であったが、勇者が彼女に理解を示したことはクローシュ人にとっては喜ばしく、ルーラン人にとっては驚くべきことだったらしい。
前者はまだしも、後者にそのような反応をされるのは彼としても覚悟済みだ。
クローシュ人以外にはまだまだ過去の勇者の印象が強いのだろうから。
(クローシュの人だって俺は過去の勇者と違うって分かってくれたんだし、他の国の人もいずれ分かってくれるさ)
と彼はとても楽観している。
「それではこちらで休息されるとよいでしょう。ご案内いたします」
そう言ったのはナヴァール伯爵本人であった。
彼らは伯爵自身に案内されて、街の中へと招き入れられる。
街中はデーモンに襲われたとは思えないほど、綺麗なものだった。
ガーゴイルが外の空に浮かんだまま、中に侵入していなかったせいだろう。
時折人影は見かけるが、全員が跪いて額を地面にこすり付けている。
翔太にとっては不本意であるものの、ここはこういう世界なのだからと納得するしかなかった。
(俺だけならともかく、ユニスもいるからなあ)
さすがに他国の王族に対する礼儀を止めるわけにはいかない。
シンディとミラは彼らの同行し、ジョンは馬車の世話をするのだ。
本来近衛騎士であるジョンが王女のそばを離れるなどあってはならないのだが、今回は彼より遥かに強い勇者がいる上に、馬の世話ができる者が不在である為、彼がこの役目を任されたのである。
「騎士たる者、馬の世話くらいできねば話になりませんから」
翔太たちと一旦別れる際、、ジョンはこう言ったのだった。
彼らはやがて街の迎賓館へとたどりつく。
赤い屋根と白亜の壁の建物は百坪くらいあって、貴族が治めているとは言え街中にあるとは思えない立派な印象を与える。
外国からの使者や貴族をもてなすという利用目的があるからだろう。
翔太たちはその建物の一室に案内され、飲み物を提供される。
透明なガラスにそそがれた水はひんやりとしていて、とても美味しかった。
「よろしければこちらをどうぞ」
黒い地味な服を着た若い女性が赤い小さな果実を差し出す。
見た目はサクランボそっくりだったが、味はリンゴに近い。
「外の果樹園でとれたものです」
ナヴァール伯爵がそう説明してくれる。
レヌンは国内外に人と物が流れる際の中継地として有名であり、実際に収入の大半がそれによるものなのだが、近年街の外で果樹園をはじめた人たちがいるという。
「まだまだ収穫量は少なく、街の産物とは言いがたいのですが」
十年、二十年後に軌道に乗ってくれたらよいと老貴族は語る。
「では将来の名産を今いただいたことになるのですか」
翔太が微笑みながらそう言うと、彼は目を細めた。
どうやら喜びを押し殺した結果の表情らしい。
そう勇者が推測していると、レヌンの統治者は口を開く。
「それにしてもこうして生きているうちに、伝説の勇者様と面識を得られるとは……それに勇者様は伝承とはずいぶんと違うようにお見受けしますが」
ここでもそれかと翔太が思わなかったと言えば、嘘になるだろう。
だが、覚悟は事前にできていた為、表情には一切出さなかった。
その彼を擁護するようにユニスが口を出す。
「ショータ様こそ真の勇者ですわ。過去の勇者たちは、力に溺れたり振り回されてしまった、悲しき英雄なのです」
彼女が外国人相手にはっきりと断言してくれたのは、彼にとって嬉しい。
そしてそれ以上にナヴァール伯爵にとっては驚きだったらしく、今の老人は感情を押し殺せていなかった。
はっきりと目をみはり、眉を動かしたのである。
「それはそれは……ユニス殿下がそう明言されるとは、相当ご立派なお方なのでしょうな」
感嘆まじりに言われてしまうと、彼としては照れくさかった。
しかし、照れてばかりもいられない。
ナヴァール伯の発言から察するに、一国の王女の言葉には相応の重みがあると考えられるからだ。
彼女の言ったことが真実であり続けるように、心がけなければならない。
人の期待に応えるというのは責任重大だが、「彼女の為であれば」と翔太は思えるのだ。
この後の会話は情勢に関するものが主となり、彼は口を挟めなくなる。
その代わりユニスとナヴァール伯の言葉に、しっかりと耳をかたむけていた。
「こちらでもガーゴイルが現れるまでは、特に異変はなかったのです。本当に突然でした。貴国のガムース城が突如現れたデーモンの猛攻撃によって陥落したという情報は届いていた為、とにかく監視の目だけはゆるめないように気をつけていたつもりなのですが」
老貴族は悔しそうに話す。
通常の人間では、デーモンの急襲を察知することすら困難だというのは、彼が思うよりも事態は深刻なのかもしれない。
「デーモンの出現を広範囲に知らせるものを何か、考えてみないといけないかもしれませんね。そうすれば民の死者は減らせるでしょう」
ユニスは憂いを帯びた顔でそうつぶやく。
「御意にございます。ただ、大がかりなものはどうしても開発に時間がかかってしまうのが悩みの種ですな」
老貴族も似た表情で嘆息する。
(そういうもんなのかな。俺が何かやれたらいいんだろうけど……)
翔太はそう思ったが、あいにくと彼の前世はごく普通の会社員にすぎなかった。
日曜大工のようなことすらまともにやったことがない身では、力になれないどころか足手まといになる危惧をしなければならない。
だが、材料集めなどでは力になれるだろう。
神器を使えばあっという間に目当てのものを目当てのところへ運べる。
彼がルーランの国にどれくらい協力してよいのか、アレクシオス王に相談する必要はあるだろうが。
(それよりも今のうちに、神器を使う練習でもするか)
探知範囲を広げることと、探知精度をあげること。
両立させるのが難しいこの二つをやらねばならなかった。
なるべく周囲に気取られることがないように、少しずつ慎重におこなう。
ユニスとナヴァール伯は話し込んでいるせいか、彼の方に気づいていない。
他の者たちも同様だった。
しばらく繰り返していると、神器の範囲の方はより強化される。
だが、精度の方は難しかった。
デーモンの気配が一切存在していなかったせいで、効果が実感できなかったのである。
他の例を考えれば多少は向上しているのだろうから、それでよしとしておくことにした。
二時間ほど休息をとった後、彼らはレヌンの街を発つ。
ナヴァール伯爵は彼らの為に、手紙を書いてくれた。
内容は彼らをクローシュの救援であり勇者であること、レヌンの街も実際に救われたと記してある。
「クローシュ王の書面と一緒に出していただければ、幸いにございます」
もしかすると「黙って通っただけで、ルーランの苦難を見捨てた」と言いがかりをつけてくる輩がいるかもしれない。
そういう者を黙らせるには己の手紙もあった方がよい、と老伯爵は述べる。
本気でそう言っているわけではなく、少しでもルーランに優位な展開に持ち込みたい一心で言い出す貴族がいるかもしれないからだと彼は言う。
「愛国者には違いないのですが、方向性が危うい御仁がいましてな」
恥じ入るような顔で老貴族は打ち明ける。
世界を救う力を持った勇者、いざという時の援助をアテにしたい大国クローシュの王女。
この二人を困らせては結局ルーランが困る結果になりかねない、ということが想像できない視野の狭き者が残念なことにいる。
「そういう声は決してルーランの本意ではないと、あらかじめ私の方からお伝えさせてくだされ」
「……お話は承りました、ナヴァール伯」
ナヴァールの突拍子もないようにも感じられる発言を、ユニスは優しく理解を示した。
「人が多いと、意思統一をするというのは難しいものですものね」
彼女のこの言葉を聞いて、彼はルキウスのことを考える。
いずれは何とかしたいとは思っていたのだが、あまり放置しない方がよいかもしれないと思い直す。
ルキウス自身は勇者に悪意があるわけではなく、国の制度の脆弱さとそれによる危険性を訴えていただけなのだろうが、それにつけ込もうとする輩はいるかもしれない。
(これまでクローシュではいい人しか見てこなかったから、油断していたのかもしれないな)
彼は己の浅はかさを恥じ、反省する。
(クローシュに戻ったら、アレクシオス王に言ってみようか)
そう決めてナヴァール伯爵に別れを告げた。
建物の外に出ると知らせが届いていたのだろう、ジョンが馬車と共に門の向こうで待機している姿が映る。
彼らがそばまで行くと騎士は黙って一礼した。
そして見送る為に出てきたナヴァール伯爵にも頭を下げる。
それから翔太に問いかけた。
「次はどちらに向かわれますか?」
彼は老伯爵に視線を向ける。
「ローヌアとアルプコート、ここからだとどちらの方が近いですか?」
「アルプコートでしょうな。アルプコートは馬車ですとこの街から北へ四日、東に二日といったところでしょう。ローヌアは北西に向かって十日はかかるかと存じます」
ナヴァールは即答した。
「ではアルプコートにしよう」
彼が言うとジョンとユニス、侍女たちは同意する。
このようにして彼らはレヌンという街を救い、また出発したのだ。
翔太が試しに探知を測ってみても、相変わらず何ともない。
とりあえずこの付近にデーモンがいないことを、疑わなくてもよさそうである。