11話「レヌンの街」
一行が駆けつけたレヌンは高い外壁に守られた、大きな街であった。
しかし今、そこからは大きな喚声と音が飛び交っている。
外壁の空には一つの影があり、それへめがけて矢が射かけられているようだ。
雨のように矢を浴びせられても、影は平然と空に浮いたままであることから、人外なのは明らかである。
「デーモンか」
馬車が止まってすぐ上空を見上げたジョンがそう断定した。
空に浮かびつつ、矢が一切通用しない存在など他にいないので無理もない。
「でも、変だよな。何であそこから動かないんだ?」
翔太はそう疑問を口にする。
まるで何かを待っているかのようにその影は動かないのだ。
「考えられるとすれば、囮でしょうか?」
彼に応えたのはジョンである。
騎士としての考えであったろうし、彼もこの意見に賛成だった。
「そうだな。けど、何の為に囮をやっているんだろう?」
それが分からないうちに、あの影に攻撃を仕かけてもよいのだろうか。
そう疑問を抱く彼にユニスがためらいがちに話しかける。
「あの、レヌンに何か探しものがあるのではないでしょうか? たとえば魔王を復活させる為に必要なものとか……」
「そうかもしれないな」
翔太は彼女の意見を笑わずに聞き入れた。
「そうなると街の中を捜索している別のデーモン、あるいは部下がいることになるんだけど……」
現在のディバインブレードの探知では、反応が一つしかない。
そこまで精密な判定ができていないと言うべきだろうか。
やみくもに探知可能範囲を広げようとしていた反動かもしれないと思い、彼はデーモンの気配の数を探そうと試みる。
すると反応は一つしかなかった。
「あれ? 反応が一つしかないぞ?」
思わず驚きが口をついて出てしまう。
「えっ? 一つですか?」
ジョンたちも訝しげに首をひねる。
デーモンが他にいないのであれば、あの動きは不可解そのものだ。
「ああ。考えてみればドルゥジーナスを探知するのも難しかった。もしかしたらディバインブレードに探知されるのを防ぐ、あるいは難しくする方法があるのかもしれないな」
翔太は己の見解を述べる。
過去に神器を手にしたデーモンは複数回戦っているのであれば、それくらいできるになった存在がいてもそれほど不思議ではなかった。
ただそうなると、勇者の方が経験や知識をリセットされてしまっているのが難点であろう。
デーモンの勇者対策が生まれているのにも関わらず、勇者の方では進歩がないというのは看過してよいことではない。
(まあ、今気にしても詮ないことか)
思考を切り替える。
まず優先すべきなのはレヌンの街に降りかかっている、デーモンの脅威を打ち払うことであった。
他に気配がないのであれば、先に倒してしまうのも一つであろう。
街の人間に勇者だと示すことができれば、協力を得られるかもしれないからだ。
その方が単に神器やアレクシオス王の書面を見せて協力を要請するよりも、好意的な反応を期待できるだろう。
そのような計算もあったのは否定できない。
翔太は少女たちとジョンを下がらせて、ディバインブレードを抜き放つ。
そして空に浮かぶ影を目指して光の斬撃を繰り出す。
影にしてみれば背後から突然勇者に不意打ちされたようなものだ。
異変に気付いて振り返ったものの、そのまま体を両断されて消滅してしまう。
街からは大きなどよめきが起こる。
自分たちが必死に攻撃をしてもびくともしなかった存在が、あっさりと倒されてしまったのだから。
叫び声がしばらくの間飛び交い、やがて門が開いて三つの影が姿を見せる。
一人は銀色の鎧をまとった三十代と思われる金髪の騎士、残り二人は青い髪の若者たちだ。
彼らは警戒するような目を翔太の方に向けながら、大声で呼びかける。
「貴公らは何者だっ? どうやってあのガーゴイルを倒したっ?」
予想とはやや違った反応であったが、街の守備を担う者たちがデーモンを倒せるのは勇者だけだと脊髄反射で喜ばないのは、むしろ好ましいと翔太は思う。
彼が答えるよりも先にジョンが叫び返す。
「我々はクローシュの者である! こちらにおわすのはディバインブレードに選ばれた勇者ショータ様、そしてクローシュの王女ユニス様だ! 貴国の礼をもって応じられよ!」
この叫びが響き渡った時、レヌンの騎士たちの表情がさっと変わる。
左右の若者たちが慌てて街の中に戻っていくのと同時に、最年長の騎士はその場で素早く膝をつく。
それから一礼して彼らに話しかける。
「失礼いたしました! 私はこの街の守備を預かるアンセルムと申す者! そちらにおわす勇者様とユニス姫にあいさつをしてもよろしいですかっ?」
ジョンはその場では返答せず、二人に目をやって許可を求めた。
翔太が小声で「してもらった方がいいよな」とたずねると、ユニスはそっとうなずく。
「許可は出た! アンセルム殿お一人で参られよ!」
近衛騎士が再び叫ぶと、アンセルムは立ち上がって彼らの方に近寄ってくる。
そして翔太の二メートルほどの手前で立ち止まり、今度は両膝をついて頭を垂れた。
「ご尊顔を拝謁する栄誉を賜り、恐悦至極に存じ奉ります、勇者様、ユニス殿下」
必ずと言っていいほど王女よりも先に名を言われることに関して、勇者は慣れてきている。
したがってここですぐに彼が返事をしてはいけないことも分かっていた。
「発言を許します。顔をあげなさい」
ユニスがそう発言して、やっとアンセルムの顔が上がる。
年相応の渋さで鋭さを厳しさに変えるような雰囲気を持った男だった。
「翔太と言います。今回は国境で貴国に異変が起こっていると知らせを受け、やってきました」
「はっ。勇者様直々の来援、ルーランを代表して御礼申し上げます」
彼のあいさつを聞いた金髪の騎士は、再び頭を下げる。
そこでユニスが口を開く。
「本来ならば国境砦に立ち寄り、先触れが行き渡るまで待つのが礼儀なのでしょうが……」
彼女は最後まで言わず、言葉尻を濁す。
するとアンセルムがそれを受ける。
「勇者様とユニス様の機転によって、レヌンは救われました。喜びこそすれ、抗議をいたすようなことはございませぬ。もうじきレヌンを統治しているナヴァールが、お二方の御意を得る機会を望むかと存じます」
「ありがとうございます。ですが、貴国の国境砦は残念な結果になってしまいました」
ユニスが目を閉じてそう告げれば、金髪騎士の眉がぴくりと動く。
だが、それはほんのわずかである。
「そうでしたか……ですが、我らは国と民を脅かす者と戦うのが本分。力及ばず敗れ去るのも、戦いに生きる者の定めです。お気になさらずに」
そう話す壮年の騎士の言葉は実に割り切ったものだった。
いざとなれば僚友たちの訃報を聞く覚悟はできていたということなのであろう。
「そうですか……」
ユニスの顔は晴れなかったが、彼らの覚悟は理解した色を浮かべる。
(防衛を守る騎士に選ばれるだけあって、立派な人なんだな)
翔太の方はアンセルムが語る騎士の覚悟に、素直に感銘を受けていた。
残念ながら彼自身は彼ほど割り切れてはおらず、「できるだけ死にたくない」と思う。
態度に出せば幻滅されるかもしれないので、とても出せるものではないが。
彼らの間に沈黙がやってきた頃、街の中から白い上等な絹服を着た白髪頭の男性が、複数の騎士たちに守られるようにしてやってくる。
「あの方がナヴァール伯ですか?」
ユニスの問いにアンセルムが「御意」と答えた。
ナヴァール伯爵が近づいてくると彼は立ち上がり、翔太たちのことを説明する。
老年の貴族は一瞬目をみはったものの、すぐにその場で跪く。
動きは若者と比べればやや緩慢だったが、一つ一つが洗練されていた。
「ご尊顔を拝謁する栄誉を賜り、恐悦至極に存じ奉ります、勇者様、ユニス殿下」
そこからのやりとりは大体アンセルムの時と同じである。
違うのはアレクシオス王の書面を彼には見せたことだ。
「お話は承りました。貴国からのご友誼、我らが王に代わり心から御礼申し上げます」
老伯爵は額を地面にこすり付ける。
「問題は貴国の王都ですね。無事であればよいのですが……」
ユニスが心配そうに言うと、ナヴァール伯が応じた。
「残念ながら私どもでは他で何が起こっているのか、とんと見当もつきませぬ。数時間ほど前に突然、地飛星ガーゴイルを名乗るデーモンが現れたので、各地に急報を告げる早馬を出しつつ応戦していただけですから」
早馬がどれだけ頑張っても、各地からの救援部隊が来るのには時間がかかるだろうと彼は語る。
(さっきのが地飛星ガーゴイルか……)
ナヴァール伯とユニスとのやりとりを黙って聞いている翔太は、デーモンについて思いをはせた。
これで七体ほど倒したことになるが、まだ百体くらい残っている計算だと考えると、いささかうんざりとしてしまう。
そんなデーモンがこの街で一体何を企んでいたのか、とても気になっている。
ガーゴイルは陽動、あるいは時間稼ぎとしての役目を与えられていたとしか思えないのだ。
ユニスも彼と同意見だった為、ナヴァールに次のような問いを発する。
「ところでナヴァール伯。わたくしたちはガーゴイルがこの街にいたのは、我々の目をそらす為ではないかと考えているのですが、デーモンの目標となりうるものに心当たりはありませんか?」
問われた伯爵は、難しい表情を作った。
「それが全く心当たりはございません。このレヌンは南部屈指の都市であり、貴国との国境を結ぶという意味では重要な位置づけかもしれませんが、それはあくまでもルーランという国にとっての話。デーモンどもにしてみれば、無価値に等しいのではないかと存じます」
この返答にユニスは形のよい眉をひそめ、翔太と顔を見合わせる。
彼が代わりに老伯爵に問いかけた。
「何か伝承みたいなエピソードは残っていないのですか? どんなささやかな、信ぴょう性のない話でもかまわないのですが……」
「勇者様のお役にたてず大変心苦しいのですが、この街に伝わっている伝承はございません。何しろルーランという国ができてから築かれた、かなり新しい街ですから。もっと長い歴史を誇る街でしたら、あるいは何かあるのかもしれないのですが……」
老いた顔には苦悶の証としか思えぬしわがいくつも浮かんでいた為、彼としてもユニスとしてもこれ以上しつこくたずねるのはためらわれてしまう。
ユニスはそこで問いを変えることにする。
「では、貴国の中でも歴史のある街を教えていただけませんか?」
これにナヴァール伯は快く教えてくれた。
「はっ。やはり何と言ってもローヌアとアルプコートでしょう。どちらも古都の異名を持つ古い街で、千年近い歴史があるとか。このどちらかであれば、勇者様がお求めの伝承が何かあるかもしれません」
なるほどと翔太たち聞き入り、老貴族はさらにつけ足す。
「それから王都のルーランでしょうか。重要と思われる文献の多くが模写され、王都に収集されておりますから。伝承の精度、真偽ではなくて伝承そのものをおさがしでしたら、一度はいらっしゃった方がよいかと存じます」
こちらの方はユニスは知っていたらしく、何度もうなずいている。
「そうなるとまずは王都ルーランに行くべきかな。王様にあいさつしないとまずいだろうし」
翔太が小声でつぶやくと、彼女が小首をかしげた。
「しかし今はデーモンの撃破が最優先事項ですし、それが可能なのはショータ様のみです。それにも関わらず平時の手順を守るように求めてくるような、ルーラン王ではないと存じますけれど」
「失礼ながらユニス殿下のおっしゃる通りかと存じます」
他ならぬナヴァール伯爵が彼女の意見に賛成する。
「何よりも民を慈しみ、その暮らしを守ることこそ王と貴族の義務と常日頃おっしゃっているのが、我らが王にございます。我が国の民に勇者様が王都にいらっしゃるのが後になったとしても、王は喜びこそすれ怒りはしないでしょう」
彼らの会話を聞いている他のルーラン人たちも、礼を失せぬ程度に首を上下に動かしていた。
こうなってくると彼としても無理に今すぐ王都を目指さなくてもいいのかもしれない、という気になってくる。