8話「ルーラン国境砦」
馬車から降りて接近してみると、彼らの方角の城壁や門は無傷のままであることが分かる。
この砦が襲撃されたのは他のところからのようだ。
しかし、彼らが門のすぐそばまで行っても、それをとがめる声は生まれない。
ガムース城のように全滅してしまったのか、それとも生存者は撤退したのか。
ここでは判断しかねた。
「行こう」
翔太がそう声をかけると、他の者たちはいっそう表情をかたくしてうなずく。
ためしにジョンが門を押してみれば、あっけなく開いた。
これには近衛騎士と勇者が互いの顔を見合わせる。
「どう思う、ジョン?」
「現段階では何とも」
意見を聞いてみた翔太に対して、ジョンは面目なさそうに目を伏せた。
情報が乏しい為、色々な可能性が消えないということだろう。
翔太もそう思ったからこそ、戦闘の素人の域を脱したとは思えない自身に信頼を置かず、近衛騎士の意見を聞こうと思ったのだ。
「中に入ってもう少し情報を集める必要がありそうですね」
「そうだな。俺とジョンとどっちが先頭を歩く?」
騎士の言葉に賛成した彼は、再び問いを放つ。
この中で戦える者は彼らくらいである。
ユニスは魔法を使えるようだが、華奢な少女である彼女に肉弾戦は期待できない。
彼らが先頭と最後尾に立って他の面子の盾となるのが無難であろう。
「私が先頭を歩きましょう。最も恐ろしいのは後背からの不意打ちですが、勇者様よりも上手に防げる自信はありません。正面や横からの攻撃であれば、まだ私でも対応できる可能性があります。相手がデーモンとあっては、微々たるものかもしれませんが、ゼロよりはマシではないかと存じます」
勇者に問われた近衛騎士のジョンは即座にそう答える。
翔太にしても、後ろからの奇襲不意打ちのたぐいが危険だと想像することはできた為、彼の意見に賛同した。
「ユニスたちもそれでいいかな? できるだけジョンの後ろ、俺の前を歩いてほしい」
「はい」
ユニスが真顔と言うよりも、無表情と言った方が適切な面持ちで返事する。
残り二名の少女も神妙にうなずく。
一行は近衛騎士を先頭にしてその次がシンディが歩き、真ん中がユニス、王女の後ろがミラ、最後尾が翔太という形で進む。
中の道幅は人ひとりがやっと通れるかどうかというほど細く、頑丈そうな灰色の岩の壁で左右を挟まれている。
ところどころ壁に人工的な穴が見られるのは、ここを通る者を防衛側が攻撃する為のものだろうか。
道を超えたその先には、正面に迎撃用と思われる棟、その奥に兵舎棟がある。
そしてこの二つに守られるように囲まれていて、どちらかを突破しなければたどり着けない位置に居住区があるのだ。
ジョンは厳しい表情でそう解説する。
「しかし、何か奇妙ですね」
彼がそう言うと翔太も同意した。
「ああ。死体がない上に建物が綺麗だよな。斥候の話では煙が何本も見えたって話だったけど、燃えた形跡も戦闘痕も見当たらない……」
勇者の言葉を聞いてユニスが会話に加わる。
「この砦の常駐兵力は二千と聞いています。ルーランは我が国ほどの国力がないこと、我が国とは友好関係にあったことが理由でしょう。それでも砦が攻め落とされるほど激しい戦いが起こって被害が出たはずなのに、何の跡も残っていないというのはたしかに変ですね」
砦を攻め落とされたのだとすれば、生き残りがいたとしても戦死者を埋葬する余裕があったとは思えない。
そもそもデーモンが相手では、二千程度の兵力ではどうにもならないはずである。
この砦で一体何が起こったというのだろう。
「まさかと思いますが……」
シンディが恐る恐る口をはさむ。
「あの斥候が欺かれていた? あるいは嘘をついていたということは考えられませんか?」
この発言の意味をとっさに理解できなかったのは、彼らの中でミラだけであった。
ジョンとユニスはほとんど反射的に翔太を見る。
「もし彼らがデーモンかその手先になっていたなら、神器が何らかの反応を見せたはずだよ。それがなかったということは、少なくとも彼らは人間で俺たちを裏切っているつもりはないだろう」
彼は二人にそう答えた。
何しろデーモンが間近にいれば彼の意思を無視して、勝手に戦おうとする神器である。
彼を操ろうとするのはあきらめたかもしれないが、それだけで反応しなくなるとも考えにくい。
「……念の為、索敵をかけてみようか」
彼はディバインブレードの柄に手を触れる。
そしてデーモンを気配を探ろうとした。
すると居住区から反応がある。
デーモンのものとは思えない、しかし関係はあるような反応だった。
「何だこれは?」
彼は思わず眉をひそめる。
「どうかなさいましたか?」
ユニスが問いかけると彼は困惑を浮かべたまま返答した。
「デーモンじゃない……でも人間でもない。そんな存在がいるみたいだ」
これには他の面子は互いの顔を見合わせる。
「この国には妖精だとか幽霊とかそういう存在はいるのかい?」
「……獣人の国ならばございますが、妖精という種族は存在していませんね」
王女が困惑しながら答え、ジョンたちが同調した。
(じゃあ何だ? 何がいる?)
翔太は迷う。
デーモンの尖兵か、それとも力の残滓なのかも分からないとなるとうかつなことはできない。
自分一人ならば突撃してもよいが、今は守らなければならない少女たちがいる。
彼が即断できない理由を察したユニスは、そっと目を伏せて頭を下げた。
「申し訳ございません、ショータ様。このような展開はみじんも予想していなかったわたくしの落ち度にございます」
「いや、それは俺も同じだし、ユニスの責任じゃないよ」
あえて責任を問うとすれば、デーモンの力を軽視していた者全員になるだろうか。
「とにかく行ってみよう。他に反応はないと言っても油断はしないように」
勇者の言葉に一同はうなずき、先ほどと同じフォーメーションを作って出発した。
彼らはきょろきょろと左右を見回しながら、慎重に進んでいく。
やがて迎撃棟の金属製のドアをジョンがゆっくりと開ける。
するとディバインブレードがわずかに震えて、持ち主に知らせた。
「反応が強くなってきたな」
翔太がそう言い放ち、仲間たちの警戒心を引き上げる。
ジョンが大きく息を吸い込み、それから目に力をともして中へと足を入れた。
そして中に広がる光景を映したとたん、彼は硬直してしまう。
「どうしたのですか?」
シンディが不安そうな声を出す。
ここで彼の横や前に進み出るのは愚かだと分かっている彼女は、大人しく近衛騎士の背に隠れたまま反応を待つ。
「勇者様……」
ジョンはとまどいの色がこもった声で翔太を呼ぶ。
それに何かを感じた彼は、そっと前に進み出た。
そして騎士が見たものと同じものを見て絶句する。
彼らが目にしたのは、この砦の兵士たちと思われる存在たちがゆったりとした動作で、戦闘訓練らしきものをおこなっている様子であった。
「思われる存在」というふたしかな表現が用いられたのは、彼らの鎧や服は戦った後のようにぼろぼろで血や埃で汚れている。
そして彼らの顔や皮膚の色は青白くなっていて、とても生者のものとは思えなかった。
「な、何でしょう、あれ……?」
ジョンは生唾を飲み込みながら翔太に問いかける。
その声は震えていたが、彼は情けないとは思わない。
彼だって自分が神器を持ちデーモンを倒す力を有する勇者だという自負がなければ、もっと情けない反応を示していただろう。
「動く死体……ゾンビかな?」
ファンタジー小説やゲームではそこそこメジャーな存在だという認識だが、こちらの世界でまさかお目にかかることになるとは。
「ぞんび? 何でしょうかそれは」
ジョンは怪訝そうに顔の筋肉を動かす。
このカルカッソンには存在していないらしい。
(十中八九、デーモンの仕業だろう)
彼はそう予測したものの、デーモンの意図が読めなかった。
死体を操って他の街や砦を襲うというのであれば、おぞましさに顔をしかめることになるだろうが、まだ分かる。
だが、この街で生前のように過ごさせるというのは理解できない。
(それとも自然発生しただけで、デーモンは関係ないのか?)
そう疑問が浮かぶが、ディバインブレードの反応が否定する。
このままではらちが明かないと判断した翔太は、一つの決断を下す。
「ゾンビは動く死体とでも言うべき、怪物なんだ。俺が行こう。ジョンはユニスたちのそばにいてくれ」
「かしこまりました」
もしデーモンの力で怪物となっているならば、ジョンでは対応できるか分からない。
彼が行くしかないだろう。
それでもユニスたちの身に何かあればすぐに反応できるよう、慎重に近づく。
兵士たちが彼の接近に気づいたのは、ほどなくしてからだ。
「あ、あ」
彼らは一様に口を動かそうと苦労して、なかなか上手くできないことにもどかしそうにする。
彼らが手を止めて翔太の方を見ているせいか、奥の方から一人の人物がやってきた。
イヴォンのように他の兵士よりも立派な格好をしていることから、この砦の責任者の位置にあると推測できる。
「あ、あな、たは……」
青白い壮年の男のうつろなまなざしが、彼が佩いている剣をとらえると、その体がぴくりと震えた。
「ゆ、勇者、さま……?」
「そうです。何があったのですか?」
翔太はぎこちなくとも意思の疎通ができるのであれば、と問いかければ壮年の男は唇を震わせる。
「ど、どうして、今、きた、のです。どうして、われ、われを、たすけて、くれ、なかったのです?」
その言葉が彼の胸を打つと、他の兵士たちもゆっくりと言葉を放つ。
「そ、そうです。おれ、たち、死にたく、なかった……」
「たすけて、ゆう、しゃ、さま」
「たすけ、てほしかった」
彼らの無念の声は悲痛な響きとなって、翔太の心に大きな波紋を投げかける。
「……申し訳ない」
彼は息を飲み目をそらしそうになったが、それでも真っ向から彼らを見つめた。
あるいは自分一人だけだったら、耳をふさいで逃げ出したかもしれない。
しかし、彼の背後にはユニスたちがいて、彼のことを見守っているのだ。
彼のことを勇者だと信じて敬意を向けてくれる人たちの為にも、無様なふるまいはできない。
彼はそう心がけているのだ。
「ひどいよ、ゆう、しゃ」
「それでも、ゆうしゃ、なのか」
そんな彼に容赦ない声が叩きつけられる。
全てを助けることなど不可能で、助けられる人しか助けられない。
そう割り切っていたつもりでも、実際に助けられなかった人からの非難は彼を落ち込ませる。
「おれたち、まだしに、たく、なかったのに……」
それでも逃げてはいけない。
受け止めなくてはいけないと彼は思う。
きっとこれからも起こりうることだからだ。
ジョンが前に出て彼らに反論しようとしたのを、彼が手で制止する。
「悪いのは俺だ。助けられなかった俺が悪い。彼らの想いは何も間違っていない。俺だけは目を背けてはいけないことなんだよ」
「勇者様……」
近衛騎士は声を詰まらせた。
かける言葉がみつけられないようである。
そこへユニスが一歩前に出た。
彼女は翔太に無念の言葉を投げつける者たちを一瞬にらんだ後、彼に声をかける。
「そのお気持ちはとても立派です。でも、これはデーモンの作戦だと考えるべきではありませんか? 彼らがショータ様にこのような言葉をぶつける為だけに、このような姿になってとどまっているというのはどう考えても不自然ですわ」
「……それもそうか。幽霊やゾンビが自然に発生する世界じゃないんだっけか」
彼女の言葉を聞いて、彼はやや冷静さを取り戻す。
直接的な無念の言葉を聞かされたことで勇者としての責任感が刺激され、背後にデーモンがいる可能性を忘れさせていたようだ。