5話「宮殿の書庫」
書庫の入り口には武装した兵士が二人、見張りと立っていた。
彼らはシンディと翔太の顔を見ると敬礼をしただけで、黙って通してくれる。
彼女が扉を開くと中身は暗かった。
彼女が入り口の照明をつけて、彼に微笑みかける。
「さあどうぞ。わたくしはこれから明かりをつけてまいりますが、二階にも行かれますか?」
彼はほんの少し考えた後、黙って首を横にふった。
流れ的に「二階にも行きたい」と望めば、彼女が明かりをつけに行くのだろう。
別に読みたい本が決まっているわけでもないし、二階に行きたい理由があるわけでもない。
ならば彼女の仕事を少しでも減らしてあげた方がよいと考えたのだ。
そんな彼の心情が伝わったのか、彼女はそっと目礼で感謝の気持ちを表す。
その後、彼女は心なしかいつもよりも明るい表情を作って彼に問う。
「お言いつけいただければ、本をお持ちいたしますが、ご希望はございますか?」
「そうだな。この国の歴史書はあるかい?」
「それでしたらこの階にございます」
彼の言葉に即答が返ってくる。
どの本がどのあたりにあるのか、把握しているのだろうか。
そう思った彼が目を丸くすると、赤髪の少女は微笑みながら種明かしをする。
「姫様がお勉強なさる際、よくここを利用されているのですが、その時わたくしも同行いたしておりますから」
主である王女の勉強がはかどるように、どこあたりにどのような本があるのか覚えたという。
「姫様には秘密でお願いいたしますね。何となく気づいていらっしゃるかもしれないのですが……」
彼女は主の為にこっそりと努力をしていることは、なるべく本人は知られたくないのだと語る。
従者としての誇りがとても美しく思えた彼は何度もうなずき、ユニスには黙っていると約束した。
「今持ってまいりますので、こちらにおかけになってお待ちくださいませ」
シンディはそう言うと、椅子とテーブルを示す。
ただの書庫に置かれるにはやや立派だが、宮殿内で見かけた調度品と比べれば明らかに劣っている。
こういうところにまで豪華なものを置こうとは思わない主義なのだろう。
少しだけ好感を抱いて、一番近くの席に座って待つ。
正面を向くと棚の隙間から本の小口がわずかに見える。
ぐるりと視線を回せば、蔵書量がかなりすごいことがうかがえた。
宮殿内の一部屋は個人の書斎か何かで、本格的な資料が欲しければこちらを利用するということだろうか。
彼はそう推測する。
シンディが五冊の本を抱えて戻ってきたのは、それから多少時間が過ぎてからだった。
表紙は一冊だけ赤く、他は黒色でページ数は四百前後はありそうなものばかりである。
「わが国が興る以前のものも何か参考になるかと思い、持ってまいりました。よろしければご覧になりますか?」
「うん、ありがとう」
彼が礼を言えば彼女はまず黒色の表紙の本を四冊並べ、最後に赤い本を置く。
それから真剣な顔で彼を見つめる。
「本来、これはわたくしの一存ではお見せできないもの。ですが、姫様のあのお話をされた以上、勇者様はお読みになった方がよいと判断いたしました」
彼女の顔もまたあの時のユニスとそっくりになっていた。
「……もしかして王族が勇者に対する抑止力になる必要ができた原因?」
彼の問いかけに彼女はそっと目を伏せる。
「今だから申し上げられますが、勇者様のお人柄が分かるまでは、わたくしも怖うございました。おそらくは姫様も似たようなお気持ちだったでしょう」
「そうなのか……」
だんだんと過去の勇者が何をしでかしてきたのが、怖くなってきた気がした。
だが、知っておいた方が己の為だと彼は判断して本に手を伸ばす。
赤い本に書かれてあったのは、勇者についてである。
それを抜粋していくと次ようになった。
「デーモンが復活する兆候が表れた為、勇者召喚に成功する。希望が生まれたと国がわいた」
「ディバインブレードを持った勇者がトレーニングをおこなう。なかなか力を引き出せないようだが、神器なのだから仕方ないだろう」
「勇者召喚から一か月。初めて剣が白い光を放つ。復活したデーモンの攻撃がはじまっていてやきもきさせられたが、これならば大丈夫かもしれない」
一か月かかったという情報を見た翔太は、自分がすぐに引き出せたことに周囲があれだけ驚いていたのに納得する。
「勇者が地角星のデーモンと戦って負傷する。十二将ですらない奴を倒せないなんて、大丈夫だろうか? まだ勇者としての力が完全に目覚めたわけではないから、ならいいのだが……」
いきなり雲行きが怪しくなった為、彼は眉間にしわを寄せた。
あくまでも彼が体感したかぎりだが、十二将未満のデーモンは大したことがないはずである。
それともたまたま彼と交戦した相手が弱かっただけで、地角星となると強くなるのだろうか。
(そうだな。今までが弱かったからと言って、油断しちゃいけないよな)
彼は反省して気を引き締め直す。
そしてページの続きをめくる。
「勇者は一度の敗戦に怯えたのか、訓練をしぶるようになった。……勇者しか魔王を倒せる存在はいないのに」
書かれてある文章は不穏なものへとなっていく。
「デーモンが現れたと言っても、勇者はなかなか戦おうとしない。この男が本当に救世主なのか?」
「ついに人々の忍耐の限界がきた。王家の方々が神に祈り、勇者はその資格をはく奪され、新たなる勇者が召喚される」
なるほどと彼は感じる。
(勇者は一度に一人しか存在できないのか……)
それだと説明はつくように思えた。
シンディがじっと彼を見守っていることを思い出し、なるべく心配をかけないよう表情を殺そうと努めてページをめくる。
「新しい勇者は光を放つまでに二週間かかった。これはかなり早い。しかもすぐに出撃して、デーモンを倒してくれた。とてもありがたい」
何となくだが、明るい雰囲気が伝わってきた。
よかったと思っていると、すぐにそれは間違いだと分かる。
「だが、次の勇者はとても女好きだ。酒と女を要求してくる。我々の為に戦ってくれるのはありがたいのだが……さすがに恋人がいる娘や結婚したばかりの女性に手を出すのは、何とかならないだろうか」
「いさめた人はいるが、“来たくもない世界に来て、戦いたくもない戦いをお前たちの為にしているのに、感謝の心はないのか”と勇者に言われる。“どこまで厚顔無恥なんだ”とまで言われてしまうと返す言葉がない」
書かれている文章がだんだんと悲哀を帯びたものに変わっていた。
「たしかに我々ではデーモンを倒せない。召喚した勇者にすがるしかない。そしてその見返りを、我々が十分与えられるとはかぎらない。だが、それでもやっていいことと悪いことがあるのではないだろうか?」
「デーモンの魔の手から助かる代わりに、勇者の奴隷にならなければならないというなら、救いはどこにもないではないか……あのような男が神に選ばれた勇者だというのだろうか? 我々に助かる資格などないというのが神々の御心なのか……」
読んでいて胸が痛くなる文章があるとは。
翔太はそっと目を閉じて息を吐き出す。
たしかにディマンシュ神はどこかカルカッソンの民に対して冷淡だった。
しかし、勇者を召喚したり、ひどい勇者から資格を取り上げたりしているのだから、まだ見捨ててはいないと思う。
(こうして俺が来たから分かっただけで、当時の人々に分かったはずがないか)
続きを読んでみると、勇者のひどい行いとそれへの嘆きが書かれている。
ディマンシュ神が神器を通じて、勇者を戦いのことしか考えられない状態にしようとしていたのも理解できてしまうほどに。
カルカッソンの民にとって、勇者とは「デーモンを倒してくれる災害」みたいなものだったようだ。
こうして文字となって宮殿に残っているくらいなのだから、人から人へ口伝もあっただろう。
(だからこそ、皆は俺に対して好意的なのかもしれないな)
勇者としての責任感があり、カルカッソンの民に対して優しい心を持っている本物の勇者。
それがとうとう現れたという喜びなのではないか。
(俺ってそこまで大した奴じゃないんだけどなあ)
翔太はそこまで自身のことを評価していなかった。
だが、彼に求められていることも決して高くない気はする。
(それくらいでいいなら……俺にでもできるな。ちょっと嫌な考えだが、先代たちのおかげでハードルが下がっているみたいだし)
驕らずにこれからも頑張ろうと思う。
本を閉じてシンディの方に目を向けてみれば、彼女は端正な顔をこわばらせていた。
過去の勇者たちにまつわる話を読んだ彼がどんな反応を示すのか、不安なのだろう。
彼は立ち上がってそっと彼女の両肩に手を置く。
ぴくりと身を震わせて、見上げてきた少女に笑いかける。
「俺は先代たちみたいにならないように気をつけるよ。何かあれば遠慮なく言ってほしい。これからもよろしく」
「はい」
彼女は安心したように微笑む。
しつこいようでも言葉にした方がいいだろう、という彼の読みは当たっていたようだ。
少し空気が弛緩したところで、彼は歴史の本を手にとってみる。
こちらに書かれてあるのはクローシュという国の成り立ち、それから過去に存在していた国のことであった。
(これはただの歴史書かな……?)
そこまで目を引くような内容はないように見られる。
誰が何年に即位したとか、どの王がどのような善政・悪政を敷いたとかそういった内容だ。
興味深くはあるが、彼が今すぐ知っておかなければならない情報とは言いがたい。
シンディがせっかく用意してくれたのだから、読まないわけにはいかないという義務感からページをめくっていく。
ルーランやクローシュはせいぜい五百年ほど前に興った国であること、この国としてはデーモンと戦ったことがないことが判明する。
一つの王朝が数百年程度で終焉を迎えるというのは、翔太にとっては比較的想像しやすいことだ。
(だからこそ、デーモンに戦いを挑む国が出てしまったのか……)
過去の逸話でしか知らないとあれば、それが事実なのかどうか確かめようとする考えの持ち主が現れるのは、必然に近いことかもしれない。
クローシュの人々が彼のことを素直に受け入れてくれて、実にありがたいことだ。
否定的な国に召喚されていたら、彼の扱いはどうなっていたか分からない。
そういう国は勇者を召喚しようとはしないかもしれないが。
(俺は十分すぎるほど恵まれているんだろうなあ)
これ以上何も望むことはないくらいにだ。
そう思えば自然と感謝の気持ちがこみあげてくる。
今日読んだことは何かに使うかもしれないから、覚えられるかぎりは覚えておきたい。
ただ、気になったのは記されている伝承が、愛の女神だけ他の神よりも少ないことだ。
世界的には戦いや豊穣の方が大事だから、廃れてしまったのだろうか……。
「ありがとう、参考になったよ」
疑問に思いながら近くで待機している侍女に礼を言うと、笑顔と返事が送られる。
「どういたしまして。勇者様のお役に立てて、とても嬉しいです」
その二つが社交辞令を超えたものになってきた、と感じたのは彼の気のせいだろうか。
(もし親密になれてきたなら、嬉しいな)
普段から接点がある相手なのだから、仲良くやれるに越したことはない。
シンディが本を抱えて、元の場所へ戻しに行く姿を見ながらそう思う。
もちろん、彼女やユニスが素晴らしい美少女だという点が理由の一つではある。
今のところは問題ないが、そうかと言ってより仲良くなるのはどうすればいいのかまでは分からない。
彼女がいない歴と年齢が等しかった彼にとっては、異性と仲良くなるのは難問であった。
 




