4話「一人思う」
少女たちと別れた後も修行をしていた翔太は、いつの間にか汗をかいていたことに気づき、再び風呂に入り
たくなった。
近くをたまたま歩いていた侍女を捕まえてそう告げると、ユニスに報告するので部屋で待っていてほしいと言われる。
その際にまぶしそうな目を向けられ、嬉しそうに微笑まれたのも覚えておく。
これは彼がもたらした結果と、彼の態度に対する好意なのだ。
(失わないように気をつけよう)
ほどなくしてシンディが部屋を訪れ、準備が整ったと教えてくれる。
「さすがにわたくしが一日に二度も入るのは難しいので、他の侍女を用意いたしましょうか」
どこか残念そうに彼女が言うのを聞いて、彼は首を横にふった。
「一回、一人で入らせてもらえないかな? 俺がいた世界では、広い風呂に一人で入るのもぜいたくの範疇なんだ」
これを聞いた彼女は不思議そうに小首をかしげる。
だが、異世界の知識を持っていない彼女では彼の言葉が事実かどうか、分かるはずもない。
彼女は申し訳なさそうに眉を動かして答える。
「一応、姫様におうかがいを立ててもよろしゅうございますか? わたくしの一存では分かりかねます」
「仕方ないな」
勇者の処遇に関することは全て王族が判断すると決まっているのだろう。
いちいち面倒だが、かつて彼が勤めていた日本企業も同じようなものだったので、何も言えない。
むしろこちらの要望をできるだけかなえようとする意思が見られるだけ、この世界の方がずっとマシかもしれなかった。
(そう思うとちょっと悲しくなってきたな)
不意に彼が表情をくもらせたのをシンディは気づかない。
彼女はすでに離れていたからである。
侍女を従えたユニスが彼のところへやってきたのは、彼が想像していたよりもずっと早かった。
「入り口のところにこのシンディを控えさせていただけるならば、お一人で入っていただいても大丈夫ですよ。いつも誰かと一緒ですと、息が詰まりそうになることもありますものね?」
後半部分は声を低めて、彼の耳元で伝えられる。
その後くすりと笑いかけてきた王女の表情は、共犯者を見る悪童のものと似ていた。
どうやら彼女もまた、一人になりたい時があるらしい。
(君も大変なんだな)
心の声を乗せた視線を送ってみると、微苦笑が返って来る。
アイコンタクトは無事に通じたようだ。
もはや見慣れた浴場に今度は剣と盾も持って入る。
これは一人の時でないとできないであろう。
王と面会する時も剣をさげたままでよかったくらいだから、あるいは望めば許可が出るかもしれないが、試してみようとは思わなかった。
(さてとちょっと試してみるか)
彼は湯もかけずに剣を置き、盾をかまえる。
訓練していた時にはすでに思いついていたが、兵士の目があることをはばかって試せなかったことをここでやろうと考えたのだ。
(盾は豊穣の女神の神器……つまり、大地の力をイメージする)
緑豊かな森、岩や石だらけの荒れ地、作物が実っている畑、子どもの頃駆け回っていた空き地に学校のグラウンド……それらを脳内に描いていく。
するとそれに呼応するかのように、盾が光を放ちはじめた。
訓練所の時とは比べものにならないほど、まぶしくて力強い。
(やっぱり! 剣は戦いの神の神器だったから、あの時は敵と戦おうとするだけでよかったんじゃないか?)
その光をながめた彼は、一つの推測が肯定されたと感じる。
守る力でもあるのだろうから、守りたいという願いだけでも反応したのだろうとも思う。
これだけで全てに答えが出たわけではないが、少しは前進したと言えるはずだ。
(大地の上ならどこでも移動できるか、ちょっとやってみるか)
そう考えたところではたと気づく。
もしこのままの状態で成功してしまった際、かなりまずい展開になってしまうと。
転移先が誰もいない場所であればまだいいが、そのあたりを自分で選べたり、盾が配慮してくれると思わない方がよいだろう。
誰かに見られていたわけでもないのに、何となく翔太は咳払いをする。
それからまずタオルを腰に巻き、次に剣をとって「ネーベル」を発動させた。
その後、大地を移動するイメージを描く。
すぐには何も起こらなかった為、何度かイメージの再構築をする。
それを四回繰り返して失敗し、あきらめの気持ちがわいてきた。
次で最後だと思ってもう一度やってみると、ついに成功する。
緑がかった白い光が盾より発生して、彼の体を包む。
次の瞬間、彼の視界は激しく揺れていた。
(ぐわあっ)
まるで激しい地震に見舞われたかのような感覚になり、彼は悲鳴をあげそうになるのをかろうじてこらえる。
自分が宮殿の浴場から移動していると彼が気づいたのは、それからしばらく経ってからであった。
激しい揺れが落ちつくまでは、周囲を気にする余裕はなかったのである。
(……ここはどこだ?)
彼はゆっくりと周囲を見回した。
今いるのは野原らしく、草や灌木が見られる。
日が沈みかけているせいかあたりはどこか物悲しそうだ。
この時間だから何も着ていないと肌寒さを感じてもおかしくないはずなのだが、少しもそんなことはない。
あるいはこれも神器の力の一端なのかもしれなかった。
彼はやがて強化された視力によって、遠くに集落らしき場所があることを発見する。
(人里近くにあるのも野原って呼ぶんだっけ?)
彼はそんな益体もないことを考えつつ、そちらへ接近していく。
だんだんと目標物は大きくなり、木でできた柵や泥と土で作られた塀らしきものがあると分かる。
ガムース代や王都と比べると貧弱だが、外敵への備えは用意されているようであった。
(こっちの世界では野生の獣とかいるのかな?)
彼はまだ一度も見かけたことがない存在を思う。
盗賊やモンスターの類が存在しているのかも分からない。
まだまだ彼は知らないことだらけであった。
門らしきところの上に見張り台があり、見張り役らしき若者が二人待機している。
何度も翔太がいる方に視線を走らせているが、彼の存在に気づいたそぶりは見られない。
「ネーベル」の効果が発動している証拠だろう。
中に足を踏み入れるとそれなりに広い面積の畑と、そこで作業をしている人々の姿が見えてくる。
彼らの表情は暗くなく、血色も肉付きもなかなかよい。
飢えや貧困で苦しんでいるようにはとうてい見えなかった。
畑仕事をしている影の中にはまだ少年少女と思しき子もたちもいるが、彼らの栄養状態もよさそうである。
(少なくとも重税や悪政にあえいでいる、ということはなさそうだな)
集落をざっと見て回った彼は、何となくだが嬉しくなった。
一つだけで判断するのはよくないと思い、次の場所へと転移する。
今度の場所も、先ほどと同じような集落だった。
やはりそこで生きる人々の顔色は明るい。
着ている服もはいている靴も簡素なもので豊かには見えないが、苦しみとは無縁のようだ。
(俺が守らなきゃいけないのはこういう人たちなんだよな)
改めて認識をし、この世界の人々を守りたいという気持ちを抱く。
今はまだデーモンたちへ反攻するのは難しい。
だが、いつか絶えて守る日を終わらせよう。
一人そっと誓い、彼は宮殿の浴場へと戻る。
手早く入浴をすませて外に出ると、シンディが笑顔で出迎えてくれた。
「お疲れ様です。何もございませんでしたか?」
その表情にくもりはなく、彼がどこかに行っていたなど夢にも思っていないことがうかがえる。
ほんの少しだけ良心が痛んだが、勇者としての仕事をしたのだと己に言い聞かせた。
「ああ。一人で入るのもいいけど、シンディに世話をしてもらうのも悪くはないと思えたかな」
これはリップサービスのつもりだったのが、言われた少女は表情を輝かせる。
「まあ。これからもそう思われるように、精いっぱい務めさせていただきます」
彼女の頬はうっすらと紅潮していた。
こうまで喜んでもらえると、これからもできるだけ褒めた方がよいかと思う。
「これからもよろしくな」
特に何かあったわけでもないのに、このあいさつは不自然なのではないかと翔太自身も感じた。
しかし、他に適切な言葉を思いつかなかった為、これを選んだのである。
「はい」
シンディは何も違和感を覚えなかったようで、微笑みながら返事をしてくれた。
こうして見ると彼女は褒められ慣れてはいないのかという疑念が浮かんでしまう。
あるいは「勇者に褒められた」から喜んでいるかだ。
(人の心、特に女心は難しいしなぁ)
モテた試しがなかった日本人時代をふと思い出す。
悲しくなっただけだったので、慌てて振り払う。
「勇者様、本日はこの後いかがなさいますか?」
シンディに訊かれて彼はしばし悩む。
神器を扱う訓練を続行するのもよいが、そればかりというのもどうかと思える。
幸いと言うべきか、今日は彼女と王女にこの国の街のことを少し聞いたばかりだ。
その続きを頼むのであれば、当たり障りないだろう。
そう思って言葉にしてみると、侍女はどことなく嬉しそうに頬をゆるめながらうなずく。
「では姫様にうかがってまいりますね。おそらく大丈夫でしょう」
彼女は一度引き下がって、ユニスから許可が出たという答えを持ち帰ってくる。
「ただし、食事の後でとのことでした」
「分かった」
ややアテが外れたものの、王女だって忙しいのだからやむをえないだろう。
それまでの間、読書でもしていようかと思いつく。
「何か読むものはあるかい? できれば知識も増やせそうなものがいいんだけど」
彼がそうたずねるとシンディはすぐに応じる。
「宮殿にある書庫でしたら、これからでも大丈夫です。よろしければ、わたくしがご案内いたしましょう」
「じゃあ頼むよ」
彼女はうなずき前に進み出て、彼を誘う。
案内されるがまま、彼は一度外に出て別の建物へと入る。
見かけたことはあるものの、入ったことがない区画であった。
「あれ? ユニスが案内してくれたところとは違うのかい?」
王女が大まかにこの世界のことを教えてくれた時に使われた書庫は、たしか今の建物からは出る必要がなかったはずである。
彼が疑問を口にして投げると、侍女は一度ふり返ってうなずく。
「ええ。こちらの方が多くの書物がございますから、勇者様が読みたいものを探すのに困らないかと。……あの余計なことをしてしまったでしょうか?」
不安そうな顔になってしまった彼女に向かい、彼は慌てて礼を述べる。
「いや、その方がありがたいよ。気を利かせてくれてどうもありがとう」
これを聞かされた彼女はようやく安心したのか、ほっと息を吐き出す。
「そう言えば、このあたりには来たことがなかったな」
気まずさをごまかす為に彼がそう言うと、シンディは「ああ」と理解を示した。
「こちらの建物はまるごとが書庫ですから。用がない時は、わたくしもなかなか来ないですね」
「えっ? この建物丸ごと?」
彼は思わず聞き返す。
「ええ、書庫と言う割にはちょっと大きいですけど、図書館と称するには小さいでしょう?」
シンディは本気でそう言っていると声色で分かる。
彼は困惑して例の建物をまじまじと見つめた。
他の棟と比べるとたしかにサイズは控えめなのだが、それでも日本でいう「庭つき一戸建て」の平均値くらいはある。
(ちょっと大きい……小さい?)
彼女の言葉を脳内で反芻してみたが、しっくりこない。
彼女もまた侯爵令嬢ということなのか、それとも王宮暮らしが長いせいなのか、ずれたところがあるように感じた。