1話「唐突すぎる初陣」
本日2話め
翔太はすぐに結論を出せなかったが、ユニスは嫌な顔を全く見せずに色々と面倒を見てくれた。
言語が全く違うのに読み書きも会話にも不自由しないのは、神の力によるものだという。
これらのおかげで人心地はついたし、知らない場所に来た不便さを感じずにすんでいる。
城内はいたって平穏で、それだけ見れば破滅の足音が近づいてきているなど、信じるのは難しい。
しかし、神託で選ばれた戦士として戦おうとしない彼に対して、城の人間が向けてくる視線は絶対零度の針であった。
彼らの心境を考えると歯がゆいのだろう。
彼はそう察して何にも思わない。
ユニスが何も言わないのだから、まだ時間的余裕があるのだと信じているのだ。
(何なら他にも戦士を連れてくればいいんだろうしな)
死んでいた人間の魂を呼び寄せて、肉体を若く健康な状態で再構築するというとてつもない魔法を使えるのだから。
そう、今の彼は十代半ばの少年であった。
日本人であった彼にしてみれば、未知の奇跡と言うしかない。
彼は今日もまた、気が向くままに宮殿の中を散歩していた。
本来はなかなか難しいようだが、国の王女でもあるユニスの許可を得ている為、誰も意見できないようである。
窓から外の景色を眺めながらだった為、いつの間にか来たことがない場所に踏み込んでいた。
(あれ、ここはどこだろう?)
外から見える珍しい鳥の姿と鳴き声を堪能した後、ふと翔太はそのことに気づく。
あまり色々な場所に行くといい顔をされないことを理解している彼は、元来た場所に戻ろうとした。
すると彼のところへ悲鳴に近い声が聞こえてくる。
「いつまで奴を置いておくつもりなのですかっ?」
その声に彼の足は止まってしまう。
己のことを言われているのではないかと直感し、つい聞き耳を立てる。
「もちろん、帰りたいとおっしゃるまで、あるいはここが危なくなるまでは。それが召喚した者の責任です」
なだめるような声はユニスのものであった。
「奴が戦ってくれないなら、今すぐ追い出すべきです!」
「そうですよ。奴がいるかぎり、ユニス様の力は戻らないのですから! 一度は死んでいたそうじゃないですか? 何ならもう一度殺してやるべきです! そうすればユニス様だって!」
切羽つまった声が彼の胸に突き刺さる。
声の主が「戦わないならば殺せ」と言っているのだと、理解できてしまった。
「滅多なことを言うな!」
次に聞こえてきたのは、厳しく激しいユニスの叱責である。
「あの方はわたくしたちの都合で呼ばれただけです。勝手に呼んでおいて、期待にそぐわないなら殺してしまえと? そなたには羞恥心というものがないのかっ?」
初めて聞く彼女の上位者としての言葉。
そしてその威に打たれて黙り込んでしまう、他の者たち。
それらが彼の心に嬉しさや驚きではなく、申し訳なさを呼び起こす。
「で、ですが、このままでは……このままでは……」
誰かが涙と嗚咽がまざった声で、言い返そうとしている。
上手く言えていないが、だからこそ現状の厳しさが伝わってきた。
翔太はそっと逃げるようにその場を立ち去る。
(知らなかった……俺は何も知らなかった)
胸には後悔と罪悪感が去来し、それはやがて小さな決意へと変わった。
その両瞳には力強い光が宿るようになる。
幸いなことにあてがわれている部屋に戻るまで、誰ともすれ違わなかった。
部屋に入った彼は、備えつけられている鏡台の前に行く。
鏡が写すのは、十代後半と思われる黒髪緑目で白い肌を持つ少年だ。
日本のサラリーマンだった面影はどこにもない。
それはユニスの力であり、健康な体になっているのも彼女のおかげだろう。
(それだけのことをしてもらっておいて、このまま素知らぬフリを決め込んでいいのか?)
自問するが、答えは決まっている。
彼が今まで何もしなかったのは、他の誰かが戦えばいいと思っていたからだ。
文字通り彼自身が唯一の戦力であるならば、話は違ってくる。
(自分からユニスに申し出るのが、筋というものだろうけど……)
あいにくとこの時間帯、ユニスがどこにいるのか分からない。
先ほどの部屋に向かうのは、色々と問題がありそうだ。
確実なのは彼女の訪れをこのまま部屋で待っていることなのだが。
どうしようかと悩んでいると、ドアがノックされる。
「どうぞ」
彼の部屋にやってくる人間はかぎられている為、誰なのか予想はできた。
「失礼いたします、ショータ様」
案の定、ユニスが侍女を従えて入ってくる。
彼女は彼をひと目見て、怪訝そうな表情を作った。
彼に心境の変化があったことを、いともたやすく見破ってしまったのだろう。
「どうかなさいましたか?」
それならば話は早いと、彼は彼女に告げる。
「どうすればいい? 怪物たちとやらと戦う神器っていうのはどこにあるんだ?」
「ショータ様……」
彼女と侍女は目をみはり、口を両手で覆う。
だが、さすがに一国の王女と言うべきか、ユニスはほどなくして立ちなおる。
「決意をされたのですね。それでしたら、わたくしがご案内いたしましょう」
彼女は春の陽気のような上品な笑みを浮かべた。
「うん、頼むよ」
彼女と侍女の後を彼はついていく。
何回も廊下を曲がり、階段をおりてやがて彼らは地下へと踏み入れる。
暗闇に包まれた世界の中で、壁にかけられたあまたの燭台の炎が彼らの道を照らしていた。
石造りの寒々とした床を歩いていると、やがて彼らの前には大きな金属製のドアが立ちふさがる。
それを見た翔太には、何やら体があたたまるような感覚が走った。
「何だ……? あたたかい感覚に吸われるような……」
思わず口から出た言葉に対して、ユニスは微笑み侍女は目を丸くする。
「それはショータ様が選ばれし勇者様だからですわ」
彼女はそう告げると、鍵を開けてドアを開く。
「さあ、どうぞ。この奥になります」
開かれたその先に照明らしきものはない。
ただ、中央に鎮座する何かがまぶしい光を放っている。
「おお」
その純白の輝きをひと目見た翔太は、思わず感嘆の声をあげていた。
理由は分からないが、あそこに行くべきだと本能が告げている。
彼が中に踏み込むと、ユニスがそっと後に続き、侍女はドアのすぐ手前で立ち止まった。
光り輝く物体に意識を奪われてしまった彼はそれに気づかず、一直線に進む。
「これが神器なのか……?」
「はい。それがディバインブレードです。心悪しき者は触れただけで滅び、選ばれし勇者様だけが抜き放てる神の剣です。どうぞ手にとって下さい」
言われてよく見ると確かに台座らしきものと剣の柄らしきものが、光に包まれている。
彼が柄を持つといとも簡単に抜けてしまい、白い光の奔流が生まれた。
それがおさまった時、純白に輝く両刃の剣が彼の手中にある。
いつの間にか剣の鞘も彼の腰に存在していた。
「あ、あああ」
離れた位置で彼の様子を見守っていたユニスは、感動のあまり胸をおさえてその場にひざまずく。
「あなた様こそ神に選ばれし救世騎士様です、ショータ様」
「正直なところ、まだ実感はわかないけどね」
正式に神に選ばれし者となった本人は、いつもの口調で応えた。
「いいえ。常人ではその剣に触れることなど、ましてそうやって持つことなど決してできないのです!」
ユニスは力強く断言する。
彼女の青い双眸は熱く濡れていて、蟲惑的ですらあった。
「さあ、ショータ様。そのお姿を皆に見せていただけませんか? そうすれば、皆があなた様こそが救世騎士だと理解できるでしょう」
熱気がたっぷりこもった彼女の言葉に動かされ、翔太は承知しようと思う。
それに今からでも戦う気になったことを宮殿内の人々に示すのは悪くないはずだ。
「ああ、行こう」
彼が剣を鞘にしまってそう応えると、ユニスは薔薇が満開になったかのような、豪華で美しい笑顔になる。
「はい、ショータ様」
その後の彼女はまるで彼にかしずくかの如く、その後ろを歩く。
ドアの外まで出ると、待機していた侍女までがそれに倣う。
彼らはそのまま城内に戻り、ユニスの案内によって国務室へと向かった。
そこでは彼女の父である国王、それに重要人物たちが職務を行っているという。
「そちらの角を右へ曲がってすぐですわ」
ユニスがそう言った時、何やら城内が騒がしくなる。
翔太が彼女に目をやると、優しく上品な笑顔を絶やさぬ少女は、一国の王女の顔つきになっていた。
「俺も行っていいかな?」
「はい。その方がいいかもしれません」
この国の貴人というものは、急いでいても走ってはいけないようで、彼女は静かに早歩きをする。
彼もそれを真似するがかなりぎこちないものであった。
それでも何とか騒ぎが起こっている場へとたどりつく。
そこには真っ青になった兵士が、壮年の身分が高そうな男性に何かを訴えている。
その周囲にも人がいて、口々に何かをわめいていた。
「何事ですか?」
ユニスがそう声をかけると喧騒は一瞬で静まり返り、翔太と彼女の方に人々の視線が集まる。
彼らは皆彼女を見て安堵し、一緒にいる翔太を見て嫌悪の表情を浮かべた。
それでも彼に何か言うわけでもなく、と言うより無視するように王女だけ見つめる。
「姫様、たった今連絡がありました。ついに奴らが現れて、ガムース城が制圧されたそうです」
「ガムース城がっ?」
壮年の男性の報告に、ユニスが悲鳴じみた声をあげた。
「ガムース城ってどこなんだ?」
翔太が疑問を口にしたが、人々には無視される。
彼が神剣を手にしたことを知る侍女が、代わりに教えてくれた。
「ガムース城は王都から馬で四日ほど離れた場所にある要害です。外敵の王都への侵攻を防ぐ重要な防衛拠点であり、流通の要衝でもあるのです。ここを敵に抑えられてしまうと、必要な物資が王都に届かなくなってしまうばかりか、我々の喉元に敵の刃が突きつけられる形になります」
「なるほど」
ユニスが悲鳴をあげ、城内の人々が真っ青になるのも無理はない。
「ユニス、俺が行くよ」
翔太がそう言うと王女の顔は輝き、人々の顔が醜悪にゆがむ。
「役立たずのまがいもの勇者が何をほざくのか……」
王女の次くらいに身分の高そうな男性が、彼に向ってそう暴言を吐く。
途中で尻すぼみになったのは、彼が腰に佩いている剣に気づいたからだ。
彼の茶色の目は限界まで見開かれて、口はパクパクと何度も開閉する。
それを見たユニスがきっぱりと宣言した。
「ショータ様は見事ディバインブレードを抜き、正式に救世騎士となられました。これを否定するのは神への挑戦であり、王家への叛逆となる。肝に銘じよ!」
「ははーっ」
人々は驚きながらも一斉に平伏する。
これに呆気にとられたのは翔太だ。
まだ剣を抜けて装備しただけで何の功績もあげていない身なのにも関わらず、ここまで権威があるとはとても予想できるものではない。
(これが救世騎士ってやつなのか……)
翔太はそれだけここの人たちにとって大きな存在なのだと、ユニスの言ではないが肝に銘じなければならないと思う。
そんな彼にユニスが話しかける。
「まだお話していないことがたくさんあります。それにあなた様はまだ鍛錬もなさっておりません。決して無理はなさらず、どうか無事にお戻りください。お帰りになれば、きっとお話します」
罪悪感にまみれた顔で美少女に言われた彼は、鼻の下が伸びそうになるのを何とか堪えてうなずく。
彼女が死んでほしくないのはあくまでも「神に選ばれた勇者」であって「ショータ」ではないはずだ。
それを見た彼女は王女の顔で言う。
「それでは出撃をお願いいたします。誰か、ショータ様をご案内いたせ」
「はっ。僭越ながら私めが」
ユニスの言葉に反応したのは、城の兵士と思われる一人の男である。
銀色の甲冑をまとった筋骨たくましい若者で、外見だけならば翔太よりもずっと強そうだった。
「命にかえてもショータ様をお守りするのですよ」
「御意。ショータ様は馬に乗れますか?」
王女の言葉にうなずき、兵士は野太い声で訊く。
馬という生き物を肉眼で見たことさえない彼は、黙って首を横に振るしかない。
「では、私がお乗せしましょう」
「頼みましたよ、ウィリー」
「はっ」
ユニスの言葉に深々と礼をし、ウィリーと呼ばれた兵士は翔太に合図をする。