17話「宴」
グルノーブル市長夫人であるセシリーのもてなしを受けていた勇者とお伴たちだったが、準備ができたとの報を受けて食堂へ移動する。
食堂は二十畳ほどの広さで、中央の天井から大きなシャンデリアのような照明器具がぶらさがっていた。
縦長のテーブルに白いテーブルクロスがかけられ、見事なバラが活けられた青色の花瓶が等間隔で並んでいる。
メイドの案内で翔太は上座に腰を下ろし、その左右には美しく着飾った若い娘たちが侍った。
「その二人はこの街の有力者の娘たちです。勇者様に給仕をさせる為に連れてまいりました」
ウォーレンが説明すると娘たちが華やかな笑みを浮かべて、翔太にあいさつする。
「初めまして、勇者様。この街を救っていただき、まことにありがとうございました。未熟者ですが、精いっぱいつとめさせていただきます」
ユニスやシンディには及ばないまでも、なかなか美しい少女たちだった。
彼は自然と頬をゆるめてしまいそうになる己自身と戦う必要が生じてしまう。
それでも何とか表情をとりつくろい、笑顔を返す。
「それでは街が救われた喜びと、街を救っていただいた勇者様への感謝を込めて」
ウォーレンが酒の入ったグラスを掲げると、他の者たちもグラスを手にとる。
例外は給仕たちと翔太の側にひかえる少女たちくらいだった。
彼が急いで他の者の真似をしてグラスを手にとったところで、銀髪の市長が声をあげる。
「乾杯!」
「乾杯!」
声が飛びかい、グラスが優しく打ち鳴らされた。
こうして宴がはじまったのである。
食器は全て銀で統一されていて、まずスープから出てきた。
こっそり観察したかぎりだと王族との晩餐会の時と同じやり方でよいようである。
彼がほっとしてスープを味わえば、ウォーレンから称賛された。
「勇者様はさすがですな。マナーもしっかり身につけていらっしゃるとは」
「本当に。素晴らしいお方ですわ」
左右の少女たちも即座に同調する。
彼女たちに飲みものを注いでもらう時にも、受け方というものはあるのだがこれも共通していた。
(シンディに習ったマナーがここで役に立つとは……)
褒められた彼は、改めて赤髪の少女に感謝する。
ずいぶんと思いがけぬところで役に立ったものだ。
宮殿での作法を下の者たちもとり入れて、真似しているだけかもしれないが。
(それにしても少し困るな)
彼の目下の悩みは左右の少女たちの件であった。
赤と青と色こそ違うが、どちらも胸元が開いた露出が多いドレスを着ているせいで目のやり場に困るのである。
このような場合どうすればよいかまでは、シンディも教えてくれなかった。
宮殿での食事となると肌の露出を抑える服装が選ばれるし、このような少女たちがつくこともないからだろう。
それでも一挙手一投足が注目されている立場だからと己に言い聞かせて、視線をテーブルの方に留めようと強く意識する。
スープの次はサラダ、それからステーキであった。
「ローヌ牛のステーキでございます」
そう告げるウォーレンの顔はどこか誇らしげである。
彼がそういう表情をするとは思っていなかった翔太は、それだけいい肉なのかと期待した。
宮殿で出された肉が素晴らしかったという理由もある。
フォークとナイフを使って口に入れると、柔らかい肉の感触と肉汁が口腔に広がった。
「美味しいです」
彼が感嘆の息を吐いてつぶやくと、ウォーレンたちは「よかった」と喜ぶ。
この街で畜産業をやっているようには見えないが、料理について誇りがあるのだろうかと彼は考える。
後でこっそりリックにでも聞いた方が無難には違いない。
その後、デザートに冷えた果物が出されて料理は終わりを迎えた。
「お部屋までご案内いたしますわ」
翔太にそうささやいてきたのは、例の娘たちである。
彼女たちは左右からそっと彼の手をとって笑顔を向けてきた。
甘い匂いと響きに柔らかな感触までが加わり、彼は抗いきれない。
「ああ、お願いするよ」
そうして彼は少女の匂いと感触を味わいながら歩く。
彼が誘導されたのは茶色のドアの一室だった。
そこまで行くと残された理性を振りしぼって、少女たちを振り切る。
「ありがとう。ここまででいいよ」
「あら……」
少女たちは露骨にがっかりしたが、すぐにごまかし笑いを浮かべた。
「それではここで失礼いたしますわ。お休みなさいませ」
ほのかに甘い香りを残して彼女たちは去り、彼はホッとする。
(それにしても不思議なのは、ユニスとシンディの顔だったことだな)
彼女たちを追い払う時に思い浮かんだのが、あの二人のことだったことに、彼は首をひねった。
あの二人は恋人でもないし、親しいと言えるのかと首をひねるような関係のはずである。
自分で自分の心理がよく分からなかったが、ひとまず寝ることにした。
その為に剣と盾を床に置こうと触れた時、まぶしい光を放って彼は強制的に失神させられてしまう。
(ああ、やっぱりか)
だが、彼には何となくこれを予感していた。
強制的に戦わせようとする力を強引に抑えつけたのだから、その点に関して何かを言ってくるだろう。
例の空間へとやってきた彼は、今後について思いを馳せる。
(さて、ディマンシュ神はどう出てくるか)
相手は神には違いないと覚悟を決めて身がまえていると、そこに大声がぶつかってきた。
「本当にすまなかったっ!」
ディマンシュ神は土下座でもしているのではないかと思える勢いで、彼に謝ってくる。
「まさかそなたが自分の意思で世界を救うと宣言するほど、決意を固めていたとは思わなかったのだ」
その後、ディマンシュ神は事情をどこか必死な様子で説明した。
「以前に召喚した者たちは勇ましいことを言いながらも土壇場で怖気づいたり、逃げ出したりする者だった為……戦意を高揚させる為にああしていたのだ」
これを聞いた翔太は顔をしかめる。
「やっぱり無理やり戦わせていたのでは……?」
戦いを知らぬ国から異世界に連れてこられた挙句、勇者として戦うことを強要された地球人たちには同情を禁じ得ない。
「否」
神はやや平常心をとり戻したのか、前回のような口調になってきた。
「それならば神器を手放せばよかった。さすれば勇者としての資格も失い、戦う必要もなくなる。勇者としての権利は使うくせに、役目を果たそうとしない輩どもだったのだ」
そして静かな怒りが伝わってくる。
(もし、本当のことを言っているなら、そりゃ怒るよ)
勇者として尊敬の念を浴びてちやほやされ、様々な特権を受け取っておきながら、デーモンが出ても戦わないのであればさぞ困っただろう。
単に神の言葉だけならば素直に信じられないが、一部人々が翔太の言動に対して逐一驚いていたことを思い出せばうなずけるのだ。
彼自身、「過去の勇者は何をしでかしたのか」と思ったのではないか。
(今にして思えば、勇者が最後の頼みだと呼び出した割に、戦わなくても何も言われなかったのも、詳しい事情を話さなかったのも変だよな)
最初はユニスの善意と好意によるものだと思い、それ以上疑わなかった。
しかし、この世界ではまるで歯が立たないデーモンたちが侵攻してきているのに、あまりにも危機感が足りない対応だったのではないか。
まるで翔太に事情を話さなくてもまだ別の手段が残されているみたいに。
(もしかして俺という人間を見極める期間だったのか? 過去を反省して。そしてルキウスはそれを知らなかった? あるいは知っていて勇者の資格を奪うよう迫っていたのかな?)
勇者としての資格を喪失する条件があり、王族たちがそれを知っていたのであれば、デーモンの自国への侵攻が本格化する前の段階では焦っていなかったのは説明がつくのではないだろうか。
「そういう事情でしたら、理解はできます」
彼が自問自答しながらそう答える。
もし、彼の予想が当たっていても王族を責める気にはなれない。
自国の未来を託すに足りる相手かどうか見極めたいというのは、理解できる考えだからだ。
さらに過去にダメな例が複数存在したとなれば、慎重になるのは当然ではないか。
彼の答えを聞いた神が、わずかにだが安堵したのが伝わってくる。
「ゆえに勇者を召喚した者に、勇者対策となる術を与えてある。もっともこれは勇者が勇者らしからぬ場合にのみ発動する。そなたに関しては何の力も持たぬであろう」
つまりユニスならば、翔太をどうにかできるということなのだろうか。
「そなたの強靭な意思、大らかで他人を思いやる心、実にあっぱれである。そなたならば過去に果たせなかった魔王シュガールの討滅がかなうやもしれぬ」
そう思っていると、ディマンシュ神は新しく言葉をつむぎ、彼を驚かせる。
「これまでにできなかったことができるのですか?」
彼は怪訝に思ったことを質問した。
今までに聞かされた情報をもとに考えてみると、魔王シュガールは封印することしかできない存在だったからである。
「是。過去、魔王を封じることしかできなかったは時の勇者が神器を使いこなせなかったがゆえ。全ての神器を使いこなせば、魔王は滅び去るであろう。そして魔王が滅びればその配下のデーモンもまた滅びる」
神の言葉を彼は黙って聞いていて、神器を使いこなす練習をするべきかと思う。
「勇者ショータよ、ディバインハートを手に入れよ。あれは今、ルーランという名の国にある」
これには驚き、彼は思わず問いかける。
「よいのですか? どこにあるか教えてしまって」
「……本来はよくない。だが、戦意高揚の件で迷惑をかけた。その詫びはしなければならぬ」
神の言葉から再び申し訳なさそうな波動が伝わってきた。
「魔王討滅の件、頼むぞ。真の勇者よ……」
この言葉を最後に空間は揺らぎ、翔太の眼前は暗転する。
そして彼は元の世界に戻って来ていた。
「ディバインハートを探して、三つの神器を使いこなせ、か」
言われたことを反芻する。
ディマンシュ神は予想していたよりも腰が低いと言うか、謝るべきところでは謝れる神だったのだなと思う。
(いずれにせよ、明日宮殿に帰ってからだな)
まずは王に報告するのが先であろう。
今回倒したデーモンは天猛星しか分からないのが厄介だが、あっさり倒された方は下っ端だと推測はできる。
十二将のうち二人を早くも倒しているというのは大きい。
彼はそう信じていた。