11話「三つの神器」
翔太は逃げるように自室に戻ると、大きく深呼吸をする。
ディマンシュ神の言葉によれば、彼が死んだのは事実であり、しかも誰かに歪められたものではないという。
この国の王族たちのことをいたずらに疑っていたことが、何やらとても恥ずかしい気分でいっぱいだった。
(いや、まだ全面的に信じるには早い……)
それでも弱弱しくささやきかけてくるもう一人の自分がいるのは、かつて山本翔太であった残滓だろうか。
未だ名を知る機会がないクローシュ王が己のことを道具として利用する意思がなく、暴君でも暗君でもないのであればこの国を出ていく理由などなくなってしまう。
もちろん、その方がいいのかもしれない。
ただ、彼としてはその決断をする為の判断材料がほしかった。
今日はひとまず休んで、明日また何かやってみようと思う。
(国民の様子でも見てみようか)
ベッドに入りながらふとそんなことを考える。
国民が一体どのような暮らしをしているのかを見てみれば、まだ踏ん切りをつけられないでいる自身への最後の一押しになるかもしれない。
そんな期待を抱いたのであった。
翌朝、翔太は侍女が起こしに来るよりも先に目が覚める。
この部屋に洗面台はない為、顔を洗おうと思えば侍女が来るのを待つしかないのだが、それでも少し得した気分であった。
彼はぼんやりとディバインブレードを眺めながら、昨夜のことを振り返る。
(もしも俺が願ったことを実現させる力があるのなら、遠くにも自由に行き来できるようになるのかな?)
いくら何でも都合がよすぎるのではないかと思わないわけではない。
だが、昨日の体験がまずは試してみた方がよいとささやいてくる。
シンディが来るまでに一度試してみることにした。
いきなり転移に成功してしまうと、転移先では騒動になるのは想像に難くない。
(まずはネーベル)
剣を持って脳内で唱えるともはやお馴染みの光が全身を包む。
昨日と同じ状態になったので、次に遠くに移動するイメージを持つ。
ところが、何度イメージしても、何とも起こらない。
(何か悪いのか? それとも転移なんてできないのか?)
原因は不明だが、転移ができないのはたしかだ。
そろそろ赤髪の侍女が部屋に来る時間になったので、ネーベルを解除する。
神剣を床に置くとほぼ同時に、ノックの音が聞こえた。
「はい」
彼が返事をすると、「失礼いたします」という声とともにシンディら侍女たちが入室する。
侍女たちの一人が差し出してくれた水が入った銀色の容器を使って顔を洗うと、もう一人が白くて柔らかいタオルで顔を拭いてくれた。
その後、就寝用の服を脱がされて、服を着せてもらう。
それが終わると姿見鏡の前で身だしなみチェックをされるのだ。
「いかがでございましょう?」
そう問いかけてくるのは必ずシンディである。
実家の身分によるものなのか、それとも王女直属だからか、彼女が侍女たちのリーダー的存在のようであった。
「うん、問題ないと思うよ」
彼は白い襟つきシャツにグレーのスラックスのようなズボンという、すっかり見慣れたいでたちを見ながら応える。
正直なところ、この服装に神剣を佩くというのは似合っていない気がしてならないのだが、これが勇者としての普段着だというのだから仕方がない。
「いつもありがとう」
彼が礼を言うとシンディが応じる。
「いえ。これもまた務めですから」
字面だけだとそっけないのだが、その表情は若干嬉しそうであった。
これは他の侍女たちも同様である。
あるいは他の人はいつも礼を言わないのかもしれない。
一言の礼で円滑な関係の一助となるなら、安いものだと彼は思う。
その後朝食はいつものようにユニスととる。
当然二人きりではなく、それぞれ侍女に給仕をしてもらうのだ。
この時のシンディは直接何かをすることなく、他の侍女たちの仕事を見守っている。
それがすめば翔太は王女に断った上で、ヘクター神父がいる礼拝所へ向かった。
神に祈るのであればやはり礼拝所が適切だと思われたし、神に関することであれば神父が最も詳しいであろう。
そういう期待もあったのである。
老神父は若き勇者の訪問をことのほか喜んでくれた。
「おお、何と素晴らしいことなのでしょう……」
感動に声を震わせ、神々に感謝の言葉をささげる姿を見て、翔太は「いくら何でも大げさではないか」と感じる。
しかしながら、他に人は一人もおらず、昨日も同様だったところを考慮すると、自分のような客は珍しいのかもしれないと考え直す。
「他には誰も訪ねて来ないのですか?」
失礼かと思ったが、結局神父に訊いてみる。
世界の滅亡をもくろむ魔王とその配下のデーモン、世界を守護する三神、三神に選ばれて世界を救う勇者の伝承があり、実際に自分が召喚されたというのにも関わらず、神に祈りをささげる者が少ないのは奇妙に感じた。
神父はどこか寂しそうな、諦めているような微笑を浮かべて返答する。
「ユニス王女は毎日二回、シンディさんを伴って必ずいらっしゃいます。ですが他の方はとんとご無沙汰ですな」
まさかと思うが、ディマンシュ神がカルカッソンの民に対してどこか突き放したかのような態度だったのは、それが原因なのだろうか。
彼はついそのようなことを考えてしまう。
それだけだと守護神と称えられている割に狭量な気もするので、他にも何か事情があるのかもしれないが。
「では俺がここで祈っても、邪魔にはなりませんね」
「ええ。さすが神々の勇者です。そのご立派さには神々もお喜びになるでしょう」
ヘクターは本当に嬉しそうにそう話す。
「それはどうだろうか」というのが翔太の率直な意見であったが、老神父の朴訥な喜びに水を差すのは悪いと黙っていた。
昨日教わった通りの祈りをささげると、彼は隣で一緒に祈っていた神父に目を向ける。
「お恥ずかしい話なんですけど、よく分からないことがあるんです」
勇者の唐突な発言にもヘクターは嫌な顔をせず、実直そうな微笑を返す。
「はい、何でございましょう? 私に分かることでしたらお答えいたしますよ」
それに少しだけ心が軽くなった翔太は、疑問に思っていたことを言葉にして放つ。
「カルカッソンの守護神は三神とのことですが、ここでは像がある通り三神全てを祀っているのでしょうか? それから神器は剣以外にもあったりするのでしょうか? どうもこの剣はディマンシュ神の神器のようなのですが」
「ああ、そのことでしたか」
老神父は得心がいったという顔つきになり、教えてくれる。
「まずここは仰る通り、守護三神全てを祀っております。そして神器は他にも二つございます。本来ならば神器はデーモンと戦うのみならず、神々と交信する為に必要だと伝えられております。癒しの力のように力を借りるだけならば、祈りだけでも十分だそうですけど」
これを聞いていた翔太の頭には、新しい疑問が浮かぶ。
問いかけてみるべきか否か迷ったものの、言ってみることにした。
「癒しの力はおそらくメルクルディ神の力ですよね。となると、ディマンシュ神とヴァンドゥルディ神の力もあったりしますか?」
神が三柱、神器が三つとなると、あるいは魔法とも呼ばれる力も三種類あるのではないか。
そういうごく単純な疑問だったのだが、ヘクターは表情から柔和な笑みを消してうなずく。
「ございます。ディマンシュ様のものは破壊の力、ヴァンドゥルディ様のものは守りの力と言い、癒しの力と併せた三つを魔法と私どもは呼んでおります」
それでまずは癒しの力から習ったのだろうか、と彼は思う。
他の二つはディバインブレードがあればある程度カバーできるからだ。
ところが、老神父が続けて言ったことは彼の予想を裏切る。
「ヴァンドゥルディ様の守りの力はともかく、ディマンシュ様の破壊の力は危険が大きい為、勇者様しか使ってはならないという法があります。したがって、残念ながら勇者様はご自身の力だけで会得していただかなければならないのです」
そう語ったヘクターの表情から明るさが減っていた。
「そうなのですか」
自力で会得しなければならないというのはたしかに厄介だろうが、翔太にとって「勇者専用魔法」があるというのはちょっと嬉しい。
不謹慎にも思えるような考えだから、態度に出さないよう気をつける必要はあるのだが。
「じゃあヴァンドゥルディ神の守りの力なら、教えてもらえるんですか?」
「ええ。もしよろしければ、これからお教えいたしましょう」
勇者の問いかけという形の要請に、老神父は快く応じてくれる。
「大地を包む大いなる力、そのたくましさを我に貸し与えたまえ……土の盾」
彼は前回同様、ヘクターが唱える言葉を真似していく。
そうすると彼の全身がうすい緑の光で包まれる。
ヘクターは茶色の目を大きく見開き、感動にのどを震わせた。
「おおお……やはりで一度で成功なさるとは。さすが伝説の勇者様としか申し上げようがありませんな」
「いや……」
翔太はとっさに言葉を詰まらせる。
簡単に成功しすぎて張り合いがないという言葉がのどまで来ていたのだが、ぜいたくすぎる不満だと自らを戒めたのだ。
デーモンたちとの殺し合いはこれからが本番なのだろうから、使える力は多いほどよい。
「それにしてもこのようなすごい光景、私しか見なくてもよいのでしょうか」
老神父が不意にそのようなことを言い出す。
「勇者様が伝説たるゆえん、皆様に見ていただく方がいいのでは……」
この人は一体何を言い出したのか、という困惑が彼の本音である。
しかし、単に喜び感動しているだけの善意と好意の人に対して、あまり礼を欠いたことをするわけにもいかない。
「いいですよ。あんまり見られても困りますし」
「ずいぶんと奥ゆかしいお方なのですな。やはり勇者となる方は違いますな」
彼の言葉をどう解釈したのか、ヘクターはさらに賛辞を浴びせてくる。
(いや、本当、どうにかならないか……)
彼だって人間なのだから、賞賛されるのは嫌いではない。
だが、ここまでくるとさすがに辟易してしまう。
そうかと言って無下にするのも悪い気がする為、ひとまず相手の意識をそらそうと試みる。
「ところで他の神器はどこにあるのでしょう? 俺が手にしてもいいものですか?」
彼に質問を投げかけられた神父は瞬きを二度ほどして、自身の記憶を掘り返す作業に入った。
返答までにかかった時間はせいぜい五秒程度である。
「ヴァンドゥルディ様の神器ならば、わが国のグルノーブルという街に眠っているという伝承がございます。そしてまことに申し訳ないのですが、現在メルクルディ様の神器は行方不明となっております。どこにあるのか、伝承が残っておりません」
翔太にはにわかに信じられないような中身だった。
「行方不明……? それに伝承も残っていないのですか……?」
しわが目立つ神父の顔をまじまじと見つめながら、ゆっくりと訊き返す。
ヘクターは勇者がたまげていると理解しつつも、うなずかざるをえなかった。
「はい。邪悪なる者では触れることすらできない点はディバインブレードと変わりません。ですから、悪党やデーモンに奪われたはずはないのですが……メルクルディ様の神器、ディバインハートが失われたことにより、このカルカッソンは神々の庇護を失ったのではないか、という騒ぎも起こったそうです」
老人の舌の回転速度があがり、目と声に熱が宿る。
「そこに現れたのがあなた様です。それによって我々は神々に見捨てられてはいなかったと証明されたのです! 何故ならば、勇者様を召喚するには三神のお力が不可欠なのですから! どなたか一柱でも欠けていれば、成功するはずがないのです。あなた様はまさに守護三神の恩寵を体現なさっているお方なのです!」
これを聞いた翔太は、ようやく自身に対してやけに好意的に見てくる人がいた理由を理解した。
(神に見捨てられたかもしれないという不安があって、俺が召喚された事実で否定されたか……)
彼は己がまだ勇者として大したことをしていないと考えている為、むしろ納得してしまう。
(神への感謝が俺への感謝になるように、頑張ろう)
そう決意を抱く。
当面の目標はグルノーブルに行き、ヴァンドルディ神の神器を手に入れることだ。
(これもまた、何か副作用的なものがあるのかもしれないけど……)
しかし、戦いの為にはあった方がよい。
その点を疑う余地はなかった。