10話「王城の夜」
翔太はディマンシュ神から教わった「ネーベル」とやらをさっそく試してみる。
何度かやった覚えがあるように剣を持ち、目を閉じて頭の中でつぶやくのだ。
ニ、三回繰り返しただけでは何も起こらなかったが、四回めで剣が光を放ちはじめる。
彼はそれを目を開けることなく察知した。
ディバインブレードが放つ波動に慣れてきたのか、それとも知覚能力が磨かれてきたのか。
いずれにせよ、彼が予期したことが発生する。
優しくあたたかい波動が彼の全身を包んだのだ。
彼を開けてみたが、他に特に変化は感じられない。
姿見鏡を見てみても同様であった。
きちんと効果が出ているわけではないのか、それとも鏡などで自身の姿を見られるものなのか、どちらかなのだろう。
(まいったな……これは外に出て実際にたしかめてみるしかないのか)
もし誰かに見られて問われた時に備えて、言い訳を用意しておいた方がよさそうだ。
単純に「何かが発動したけど、どういう効果なのか分からない」とでも言うのが一番無難だろうか。
ディマンシュ神と交信して力の使い方を教わったなど、誰も知るはずがないのだから、それで納得されるはずだと彼は判断する。
彼はできるだけ音を立てないように気をつけながら、部屋のドアを開けた。
幸い、周囲には人影が見当たらない。
ドアを閉めてゆっくりと人が多そうな場所へと向かう。
この時間帯であればまだ厨房には人がいるはずだし、近衛騎士の巡回と遭遇するかもしれない。
最悪の場合、「小腹がすいたから何か食べさせてもらいたかった」とでも言えば、笑われても不自然には思われないであろう。
何となく息を殺して歩いていると、やがて二人組の騎士の姿が見えてくる。
ランプを持っているのは一人だけだが、十分な明るさで翔太の顔を照らす。
しかし、彼らは全身を光で包まれた勇者に気づいた様子もなく、彼とすれ違う。
ふと彼は閃いて剣を鞘におさめ、両手を勢いよく叩いてみる。
それでも彼らはふり向くことなく、行ってしまった。
(どうやら認識阻害か何かの力が発動しているみたいだな)
信じてみる気になったが、予定通り厨房に行ってみる。
そこでは料理人や給仕の人がまかないを食べているところだった。
「勇者様が十二将を倒したって本当かなぁ?」
一人がそう言うと、他の一人がすぐに応える。
「そりゃそうだろ。いくら伝説のデーモンが化け物だからって、下っ端だけであのガムース城が簡単に落ちるかよ」
「そうだな。ガムース城は常備軍が一万いたし、マティウス将軍だっていたんだぜ? それがほんの一時間足らずで落ちるとか、ありえないだだろうよ」
一時間足らずで落とされたという情報は、翔太にとって初耳であった。
「その辺は本当なのか?」
それは彼らにも同様だったらしく、ある男が問いかける。
訊かれた男は肩をすくめて答えた。
「さあ? 今調査隊が送られているらしいからな。ただ、計算したかぎりだとそれくらい短時間で落とされたとしか思えないって、軍にいる知り合いが言っていたんだよ」
「そうなのか……勇者様ってすごいのか? だってそんなデーモンに勝ったんだろ?」
「そんなすごい人なのに、何で戦おうとしなかったんだろうな?」
一人が疑問の声をあげる。
「俺に知るかよ。でも、本当に強いなら安心じゃないか」
「まあな」
「けど、ルキウス様はどう思うだろうか……」
ある男性がぽつりとつぶやくと、その場がシンと静まり返った。
翔太はこの場にとどまっているのがつらくなり、そっと離れる。
彼は息を吐いてもやもやした気分を追い払うと、次の目的地を王の私室に定めた。
この国の王の性格がどのようなものか、そして彼自身のことをどう思われているのか、知りたかったのである。
詳しい場所は知らなかったので手あたり次第にさがすはめになったが、やがて警備が厳重で豪華なドアがある区画が見えた。
(あそこに行ってみるか)
彼はぺろりと唇を舐める。
自分は一体何をやっているのだろうかという気持ちがないわけではないが、これは一種のターニングポイントだと言い聞かせた。
この国の人間と一緒にやっていくのか、それともここを飛び出すことを視野に入れるのか。
決意を秘めて警備兵をすり抜けドアに触れる。
(このドアもすり抜けられたら、ちょうどいいんだが)
そうでなければさすがにばれてしまうだろう。
今になって己のうかつさに気づき、舌打ちをしたくなる。
すると何と彼の手が冷たい金属製のドアをすり抜けたではないか。
(ええっ?)
これにぎょっとした彼は思わず叫びそうになる。
ぎりぎりのところで声を噛み殺し、あいていた手で口をおさえていた。
「ネーベル」の効果が発動している時は声を出しても大丈夫のはずだ、と思い出したのはそれからすぐ後である。
何度試してみても、体がすりぬけることに変わりはない。
剣をそっとドアに触れさせてみても、やはり通過できる。
どうやら本当にすり抜ける力を得てしまったようだ。
とまどいはまだ消えていないが、これ幸いという気持ちもある。
少しだけ迷ったものの、ゆっくりと足を動かして前へと進む。
同色のドア二枚を抜けたその先には、四隅と中央から明るい光に照らされている部屋に出た。
彼の真正面には黒色の立派な机があり、国王が座っている。
そしてその前には一人の男がひざまずいて、王は彼に声をかけた。
「どうしても分からぬようだな、ルキウスよ」
ルキウスという名に翔太はぎくりとする。
先ほど聞いたばかりの名であり、もしかすると国王に何かを直訴している場面ではないかと推測した。
「勇者はたしかにデーモンを倒したかもしれません……ですが、いつ戦うか気まぐれな男に頼りすぎるのは危険すぎるかと存じます。なにとぞ、お考えなおしを」
王に応える男の声は勇者には聞き覚えがある。
偶然立ち聞きしてしまった際、ユニスに勇者の追放を要求していた声であった。
(あの時の人が……ルキウス)
知った時の彼の心情は複雑である。
自分に非好意的な人物がいるとはっきりした落ちつかない気分、そういう人物が意外と少なそうだと安堵すると気持ちが入りまじっていた。
ルキウスの主張を困惑しながら聞いていた王は重々しく口を開く。
「異郷の勇者に全てを託さねばならぬ我らが、どうして何も知らぬ彼を責められよう。どうして彼の気持ちを無視して、一方的に要求することができよう。兄マティウスを失った悲しみで、その程度のことさえ分からなくなってしまったのか、ルキウスよ?」
その言葉を聞いた翔太は、何となくだがルキウスに好かれていない理由がわかった気がする。
沈黙した臣下に王は言葉を続けた。
「デーモンどもが国境を突破してきたという知らせから、ガムース城が陥落したという情報が届いた時間の短さを思えば、たとえ勇者殿が神剣を持っていたところで、ガムース城は救えなかったであろう。それも分からぬか?」
そこまで聞いたルキウスは、顔をあげて答える。
「なればこそ、勇者に頼らぬ防衛手段を考案し、実行するべきだと提案しているのです。勇者頼みの防衛手段など、あまりにも脆くて確実性を欠いております」
国王は目を閉じて深々とため息を吐いた。
決して壊してはならないものが壊れた時によく似た空気になった、と翔太は感じる。
「ならぬ。どうあっても理解できぬならルキウス。近衛騎士総督の任を解き、貴様と家族を都から永遠に追放する。二度と余の前に姿を見せるな」
表情も声色も苦みだけで形成されているとしか思えなかった。
翔太ですらそうだったのだから、ルキウスに何も伝わらないはずがない。
ルキウスもまた悲痛な顔をしつつ、ゆっくりと答える。
「……ご命令、謹んで承ります。今まで陛下にお仕えできたことは臣の喜びでありました」
泣き出さない方が不思議だと言える表情で、元近衛騎士総督は部屋を出ていく。
彼がドアを閉めた時、その主君はぽつりとこぼす。
「愚か者めが……」
その言葉はとても悲しかった。
(ルキウスという人が言っていること、そんなに間違っているかな?)
翔太としては首をかしげざるをえない。
自身に対して友好とはほど遠い男ではあるが、勇者に頼ってばかりいてはいけないという主張は、正論だと感じた。
これは彼だからこそであり、カルカッソンの人にとっては違うのだろうか。
(勇者に頼らないという方針は、勇者を否定する行為になってしまう……とかなのかな?)
いささか極端である気もするが、それ以外にルキウスの案をかたくなに受け入れようとしない理由が思いつかない。
勇者が駆けつけるまで現地がもちこたえられるように、といったことすらできないのは不自然を通り越して疑問である。
(俺に全部丸投げされても困るから、ある程度はやってもらった方がありがたいんだけど……)
勇者の存在意義を全否定されるのであればともかく、そうでないならばむしろ他に戦力が増えるのは嬉しく思う。
だが、一度国王に追放された男の意見が、今後採用されることなどありえるのだろうか。
(これは俺の出番……なのか?)
もし、勇者の考えは国王であっても否定できないのならば、言ってみる価値はあるのかもしれない。
その前に国王の人となりを調べる方が先だと、当初の目的をかろうじて思い出す。
部屋に残っていた君主はやがて黒革の椅子に座ると、ため息を吐いて頭を抱える。
「民の為、国の為、そしてカルカッソンの為には勇者殿と上手くやっていかなければならぬ。勇者と不和が起こる種は、根を張る前に排除せねばならぬ……ルキウスよ、どうしてそれが分からぬのだ」
血を吐くような嘆きというものがあるとすれば、まさにこの王の独り言がそうであった。
王はなかなか顔をあげようとしない。
そこへノックも取次もなしに入ってきた人物がある。
「陛下……ルキウス殿を追放するというのはまことですか?」
ノックもせず取次の仲介もなく部屋に入れて、あいさつもなしに王に話しかけてもとがめられない存在。
それは王妃であった。
彼女の双眸は憂慮で満ちている。
「ルキウス殿とマティウス殿は、物心がついた頃からの友だったとうかがっておりますが」
「分かっている!」
彼女の言葉は決して詰るようなものではなかったが、それだけに余計に堪えたのであろう。
王はたまりかねたように叫ぶ。
「ルキウスは共に剣と学問を学んだ仲だ! 三歳年上のマティウスは何をやっても優秀で、どうすれば上達するのか、いつもこっそり助言をくれたのがマティウスだ! 余は何をやってもマティウスにかなわなかった!」
激情がひと区切りついたのか、彼の語気は弱くなる。
「マティアスとルキウスの三人で、もしも魔王とデーモンが我らの時代によみがえった際にはクローシュの為、カルカッソンの為、命を捨てて働こうと誓いあった……」
そのうち一人が早くも死に、今一人は彼自身の手によって王都から追われることになった。
悲劇の主人公だと語るつもりなどないが、どれほどの覚悟でいるのか妻には知っておいてもらいたい、という心情がないと言えば嘘になるかもしれない。
「陛下」
王妃の目はすでにうるんで、そっと夫を抱きしめる。
そのせいか、王の言葉はさらに落ちついたものになった。
「余は王だ……民の為、国の為、情を捨てねばならぬ。我が民を、故郷を、デーモンどもに蹂躙されるのは何としても防がねばならぬ。たとえ友を失ったとしても」
ただ、それでも声は振り絞るようなものに違いはない。
「陛下、陛下にはわたくしがおりますわ。それから娘のユニスも……」
妃が慰めるように声をかける。
彼女の言葉と抱擁を受け取った夫は静かにうなずき、しばし静寂が訪れた。
(……ダメだ。こういうのに弱いんだよなぁ、俺)
その音らしき音のない空間で、翔太は嘆息する。
責任を果たす為の覚悟を持ち、情を捨てて行動していく。
彼がフィクションで特に好んだものであり、実際に目のあたりにして感じるものは相当であった。
「たとえわずかだとしても理解者がいる。それだけが救いだな」
やがて王はつぶやく。
その顔に笑みはなかったが、いくらか和らいだものになっている。
夫がだいぶ落ちついたと見た王妃は、そっと身を離して質問した。
「勇者様は今後どうなさるおつもりなのですか? 何か手を打った方がよいのではありませんか?」
「何もしない方がよいだろう。彼はまだこの世界に来て間もないのだ。いきなり信頼関係が築けるはずもない。彼が我々のことを理解してくれるまで、何度でも親愛の手を差し出し続けるしかあるまい」
国王はあくまでも今の対応を変える気はないらしい。
それを物足りなく思ったのか、王妃はおずおずと申しである。
「何なら、女を何人か差し出しても……ユニスやシンディは勇者様と上手くやっているようですし」
「やめないか」
彼女の夫は怒りと嫌悪がこもった言葉を放つ。
「男は女で釣れると思うのは愚かな決めつけであり、勇者殿への侮辱にもなりかねない。馬鹿なことは慎め」
「は、はい。申し訳ありません」
彼の剣幕に圧されたのか、王妃は慌てて返事をする。
「彼は守護三神に選ばれて勇者となった御仁だ。我々は彼を通して神に試されていると思うように」
「肝に銘じます」
神妙な態度で彼女が言うと、夫は表情を優しいものへと変えた。
「信じよう。守護三神に選ばれた勇者が我らを見殺しにするはずがないと。いや、我々はともかく、罪なき民は救ってくださると」
「はい」
この後もしばらく夫婦のやりとりを聞いていた翔太は、そっと部屋を抜け出す。
自分自身を恥ずかしく感じたのは、久しぶりのことであった。