9話「ディマンシュ神」
シンディからいろいろと教わっていたおかげで、つつがなく晩餐会は終わった。
食後に出されたお茶を一口飲み、国王が口を開く。
「それにしても勇者殿のたちふるまいは実に見事でしたな。本当に異世界から召喚された御仁なのか、と感服しましたぞ」
彼の瞳には純粋な賛辞が浮かんでいる。
王妃も夫の発言に賛同した。
「本当ですわ。神に選ばれたお方とはこうも違うのかと思いましたわ」
彼女の方はどこかうっとりとしているようでもあり、翔太としては落ちつかない気持ちになる。
悲しいことに山本翔太という男は、これまでにこういった賞賛とは無縁だったのだ。
それが急にちやほやされだしたものだから、どう対応していいのか分からないのである。
ただ、彼としては言っておきたい点が一つだけあった。
「教えてくれた人がよかったからです。シンディは実によくしてくれました」
「ほう、そうなのですか」
「あらまあ」
国王夫婦は仲よく感嘆する。
どうやら彼がこんなにもはっきりとシンディという侍女を褒めるとは思っていなかったらしい。
「さすがルヴァロワ家の娘と言うべきなのかな」
ごちるように父親が言ったのにユニスがすかさず反応する。
「ええ、シンディは優秀ないい子ですわ、父上」
「うむ。お前に侍女を見る目はあったということだな」
国王はどこか嬉しそうに言う。
その表情には「親馬鹿」という単語がぴったり当てはまりそうであった。
「それにしても勇者殿ご自身によるものが大きいでしょう」
不意に彼はそう言って、視線を翔太へと移す。
(また俺に戻るのか)
そう思った少年勇者の予想は当たった。
「改めてさすがだと申し上げたいですな」
「本当ですわ」
王妃がすぐに同調してきて、やたらと褒められる勇者はそろそろ悲鳴をあげたくなる。
「父上、母上。ショータ様がとまどっていらっしゃいますわ」
それに気づいたのか、ユニスが助け舟を出してくれた。
「ショータ様はとても実直で控えめなお方。あまり感謝や賛辞を重ねても、お困りになるだけかと思います」
娘の言葉を聞いた国王夫婦は驚き、そして反省する。
「それは……申し訳ないことをしてしまった。許されよ」
「わたくしも。申し訳ございません、勇者様」
この国の最高権力者とその正妻にそろって頭をさげられてしまった翔太は、余計にいたたまれなくなってしまう。
王女はまずは目と顔の筋肉の動きで彼に詫びて、それから両親をたしなめる。
「うむ……難しいな」
「全くね」
国王夫婦もまた困ってしまったようだ。
翔太としてはこれほどまでに腰が低く、対人関係がぎこちない一国の王とその妻がいるのか、と疑問に感じる。
(やっぱり俺が勇者だからなのか……?)
頭にはもっともらしい答えがよぎった。
と言うよりも他に彼らが彼に対してへりくだる理由がないと言うべきか。
右も左も分からないうちに批判を聞いてしまったせいか、彼は己の立場がどれくらいのものなのかよく理解できていないのかもしれない。
どうやれば実感を得られるか、想像もつかないが。
意識を王族の三人に戻してみると、話は決着しそうにもなかった。
そこで彼は口を挟むことにする。
「まだ相手の感覚を理解しきれていない者同士なのだから、やむをえないということでいかがでしょう?」
彼の言葉を聞いた三人は一瞬、顔を見合わせた。
それから国王が大きくうなずいて、賛同を示す。
「勇者殿がそれでよろしいのであれば、我らとしては異存はございませぬ」
これからタイミングを見ながら少しずつすり合わせ、相互理解を深めていけばよいということで落着となる。
翔太としては自身に及第点を与えたい気分であった。
シンディから学んだ通りの退出マナーを実行して、部屋の外へ向かう。
すると離れた場所で待機していた赤髪の侍女がそっと後に続く。
「勇者様、お疲れ様でした」
ドアを閉めると同時に彼女が、そうねぎらってくれる。
「どうもありがとう。どうだったかな、俺のマナーは?」
手本を見せてくれて練習をつき合ってくれた相手だけに、王族相手よりもいくらか気楽に訊けた。
彼女は若干眉間にしわを寄せる。
「遠目からは完璧だったと思います。近くにいないと分からないような点までは分かりかねますが……」
「そうか、そうだよな」
どこか申し訳なさそうな様子の彼女に対して、翔太の方こそ申し訳ない気持ちになった。
それと同じくして周囲の視線に気づいたので、彼は場を移動することにする。
当然のごとくシンディが続き、そっと前に出た。
部屋に帰るまで彼を誘導するのも彼女の仕事なのである。
それを覚えていた彼は黙って案内されていた。
部屋の前まで行くと、彼女がうやうやしく一礼する。
「それでは失礼いたします、勇者様。明日は特に予定はございませんので、お目覚めになってから姫様とご予定をお決めになってくださいませ」
「うん、どうもありがとう」
役目を果たしてもらった礼を言って、翔太はドアを開けてまっすぐベッドの上を目指す。
(ようやく一人きりになれた気がするな)
ディバインブレードを床に置き、ベッドの上に仰向けに寝転がる。
そして彼は暗い天井を眺めながら深く息を吐き出した。
神に選ばれた勇者という目で見られ続けていたことは、思いのほか彼の心身を疲れさせたようである。
一応部屋には照明器具が備えつけられているが、何となく今は使う気にはなれない。
だからと言ってまだ休む気にもならなかった。
彼は何となく神剣のことを思う。
思いがけないほどたやすく力を引き出せたおかげで十二将を倒せたが、そうでなければ負けていたに違いない。
(今から思い返してみても、あれは不思議だったな)
実のところ彼は、あの場面で自分が何をどう思ったのか、よく覚えていなかった。
そして自分が選ばれた勇者だからだと無邪気に喜ぶつもりもない。
(俺はいいように利用されているだけじゃないのか?)
そんな疑念が完全には捨てきれないのだ。
彼個人としてはユニス、シンディ、ヘクター、ウィリーの四人は信じてもよいと思う。
しかし彼ら四人もまた何も知らされていないだけ、という可能性を疑ってもよいのではないだろうか。
(その辺を調査する方法、何かないんだろうか?)
別に困っている人々の為に戦うのはかまわない。
だが、己を使い捨ての道具だと思っているような人物に、いいように利用されるのは避けたいところである。
ただ、この国の王がそういうタイプだった場合にどうするか、腹案ができているわけでもなかった。
(まずは調査からだけど……)
彼は調査するのに役立ちそうな知識も技術も何も持っていないというのが、目下のところ最大の問題であろう。
どうすればいいのかと悩みながら彼は何となく、床に置いた剣に手を伸ばす。
(この剣の力をもっと引き出せれば、何か一つくらいできるようにならないか?)
翔太はふとひらめく。
どうしてこんな考えが浮かんだのかと思わず首をひねる。
ユニスの話を聞いたかぎりでは勇者には仲間がいないせいだろうか。
たった一人で魔王とその配下に立ち向かおうというのであれば、さまざまなことができた方がよいはずだ。
剣を鞘から抜くと暗闇の中に白い光が映える。
錯覚であったとしても、何となく心を明るく照らし出されたように思う。
あのラドゥーンを倒した力をいつでも引き出せるようになりたい。
そうすれば、最低でも十二将クラスとは戦えるようになるということだ。
(あの時はたしか……)
覚えているかぎりなぞろうと努める。
そしてせっかく教わったところなのだから、守護三神にも呼びかけてみようと考えた。
今後そういう機会があると思えば、早めにやっておいて損はないはずである。
翔太は立ち上がって剣を両手で持ち、青眼にかまえて目を閉じた。
(戦神ディマンシュ、豊穣の女神ヴァンドゥルディ、愛の女神メルクルディよ)
そして頭の中でヘクターたちに教わった呪文を唱える。
(三柱の神に招かれ力を賜りし我がこいねがう。御身の勇気、御身の力、御身の愛を我に授けたまえ)
彼らが言うにはこの文句で何度も三神に呼びかけることが大切とのことであった。
いきなりは無理だが、唱え続けていればいつか声が届くと。
だから彼も「まずは一回め」という心持ちだったのである。
その為、突如として剣が光を放ち、彼に力が流れてきたことに驚いて目を開けた。
さらにどこからともなく声が聞こえてくる。
(勇者よ……我らが勇者よ……)
その声は野太く力強い男性の声であった。
(まさかディマンシュ神?)
そんな馬鹿なことがあるか、と思いながらも否定しきれない。
困惑する彼の体にさらに剣から力が流れこむ。
ついに彼は耐え切れず、意識を放してしまう。
その体は偶然ベッドに倒れこみ、剣は手から落ちて床に転がる。
彼が気づいた時には、真っ暗な空間にたたずんでいた。
初めのうちは部屋の中と思ったのだが、そばにあったはずのベッドがなく、そればかりか床の感触もない。
周囲に手を伸ばしてさぐってみても、何もないようであった。
翔太が一体己の身に何が起こったのか理解できなくて茫然としていると、やがてその目の前に青い光を放つ人体の形をかたどったナニカが現れる。
「……ディマンシュ神様?」
彼の口からとっさに飛び出したのは神の名前であった。
聞こえてきた声のことを無意識レベルで覚えていたのであろう。
「そうだ」
先ほどよりもずっとはっきりと聞こえる。
「それにしてもまさかいきなりこうしてリンクできようとはな……」
神を名乗る光から漏れる声には驚きのようなものがあり、彼の疑念を刺激した。
「あなたたち三神が私を呼んで力を与えたのではないのですか?」
自分に力を与えた張本人(神?)が、そのことに驚いているなど何とも奇妙な話ではないか。
「その通りだが、そなたがいつ覚醒するのか、与えた力をどれほど引き出せるのかは分からなかった。神々の掟で“視る”ことを禁止されているのだ。言うなれば、我々は与えたのは可能性のみ。それを使いこなすのはそなた自身の問題だ」
神にも守らなくてはいけないルールのようなものがあるらしい、ということを翔太は理解する。
「剣を手にし、“言葉”を知ったその日のうちにこうして我と会うとは……そなたの素質は傑出しているようだ……」
ディマンシュ神にまで言われてしまったが、本人にはいまいち実感ができないことにかわりはない。
彼としては確認しておきたいことがあり、それを質問として発する。
「私に求められていることは、この国を助け、魔王とその配下を倒すことでよろしいのですか?」
「否」
肯定されるだろうと内心思っていたところに否定の言葉が返ってきた為、とっさに言葉に詰まってしまう。
そんな翔太に神は言葉を放つ。
「我らがそなたに与える役目はあくまでもシュガールめとその配下を倒すことのみ……カルカッソンの民に救われる資格があるか否か……そなた自身が決めよ。そなたの判断を我らの意思としてかまわぬ」
これには彼はとても信じられない気持ちである。
何とも豪気というか、寛大な話だ。
(と言うか、この世界の人々を救う為の俺じゃなかったのか)
あまりにも意外すぎる。
どうやら守護三神はあくまでもカルカッソンの守護神であって、そこに生きる人間を守護しているわけではないようだ。
「私がどのような人間かたしかめなくてもよいのですか?」
ついつい訊いてしまったが、神が不快になった様子はない。
「是。そなたがか弱く罪なき者に対して、理不尽な横暴をふるうような者ではないことくらい、知っている……何よりそのような輩が我が剣を持てるはずもない……そしてもしも、そなたの心が悪に染まれば、その時は我が剣の力で滅びさるであろう。戒めとして覚えておくがよい」
この神にとってはどういう人間かを見抜くなど、大したことではないようだ。
万が一の時は剣の力で破滅するというのも、予想通りである。
そしてこの流れならば言えると思い、彼は次の質問を言う。
「カルカッソンの民がどういう人なのか、誰にも知られないように調査する方法はないのでしょうか? 魔法か何かで」
魔法というものがどういうものか神に分かるのかと彼は一瞬思ったのだが、すぐに「そもそも今何語を話してどうやって意思疎通をしているのかが分からない」と思い直す。
「それならば我が剣を持って己の姿が誰にも見えぬようになるよう願い、ネーベルと唱えればよい。そなたならば、練習すればすぐにも使えるようになるであろう」
「ありがとうございます」
彼が礼を言うと、神は鷹揚に答える。
「よい。我との交信を成功させた報いである」
これに少し安堵した翔太は、思い切ってあることをたずねてみた。
「後、もう一つ。私が元の世界で死亡したというのは本当なのでしょうか?」
ユニスたちには訊けなかったこと、すなわち「自分が見た記憶が本物なのか?」というものである。
異世界人を召喚し、意思疎通も実現させる魔法があるならば、偽りの記憶を植えつけることも可能なのではないか。
そういった疑念は捨てられなかったのだ。
固唾を飲んで反応を待っていると、神はあっさりと教えてくれる。
「是。神々の掟により、異界の生者をこの世界に連れてくることはできぬ。また、意図的に死なせた者を連れてくることもかなわぬ。そなたはたしかに地球の日本で神の都合とは無関係に焼け死に、その魂を我らが連れてきた。この世界の希望としてな」
知りたかったことを全て聞いて、彼はすっきりした気分になった。
そんな彼に神は続けて語る。
「カルカッソンの民が言う魔法とは、全て我らが力の一端である。そして我らの力の一端である以上、神々の掟に背くことは決して実現できぬ。安堵するがよい」
その言葉が終わると世界が揺れはじめた。
「そろそろ戻るがよい。我が剣を持って我らが名を呼べば、また交信できるであろう」
最後にそう聞こえて、再び翔太の意識が途絶える。
次に目が覚めると、彼はベッドの上に寝転がっていた。
剣を置き彼は息を吐き出す。
(悪い神様じゃないと思うけど、結局神剣のせいで事情が分からないまま戦いに飛び込んだあたりの説明がなかったなぁ……)
彼に対して悪意はない善性の神なのかもしれないが、現段階では信じすぎない方がよさそうである。