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プロローグ

(あーあ、また終電だったなぁ……)


 山本翔太はうんざりとしてため息を吐く。

 彼が勤めている職場は、毎日が繁忙期と称するべき激務ぶりであった。


(いや、仕事があるだけ幸せか)


 陰鬱となりそうになる自分自身にそう言って聞かせる。


「それに残業代もくれるし……」


 残念ながら満額ではないのだが、ないよりもマシだ。

 転職という単語をちらつかせる、脳内のもう一人の自分を説得する。


(大体俺が抜けたら残された人たちはさらに悲惨じゃないか)


 自分だけ助かるというのは後ろめたさによく似た、負の感情がともなう。

 翔太が現職にとどまり続けている大きな理由だった。

 アパートに帰ると、そのままベッドに倒れこむ。

 歯を磨くのも風呂に入るのも億劫だった。


(明日の朝でいいや……)


 幸い、明日は休みである。

 出勤を要請するコールが鳴らなければ、の話だが。

 明日起きればゆっくり風呂に入り、飯を食べよう。

 たまにはファミレスに行くというぜいたくもいいかもしれない。

 そのようなことを考えながら、翔太は夢の世界に入っていく。

 

 


「わたくしの声が聞こえますか?」


 不意に頭の中に綺麗な女性の声が響き、彼の意識が覚醒する。

 ただ、ぼうっとしていて脳が回転してくれる様子がない。


「誰?」


 聞き覚えがなかった為にそうたずねたのだが、自身の声に驚く。

 声変わりする前の少年のようなものだったからだ。

 

「ああ、お気づきになられましたか」


 またしても女性の声が直接届いてくる。

 何か変だと翔太は思うが、どこがおかしいのかが分からない。

 

「わたくしの姿が見えますか?」


 そう言われて目をこすって周囲をさぐる。

 すると少し離れた場所に、美の結晶とも言えそうな一人の少女がたたずんでいた。

 肩までゆるやかにウェーブがかかった髪は黄金色、目はサファイアを思わせる青、赤を基調とした華やかなドレスをまとう彼女は素晴らしく美しい。


「よかった」


 彼女がレースのついた黒のグローブに包まれた右手を胸に当てると、その豊かさが強調されるような形になり、彼は慌てて目をそらす。

 

「わたくしはユニス=マリー・ヴェルジュラックと申します。お気軽にユニスとお呼び下さい」

 

 世界をあまねく照らす太陽のような、まぶしい笑顔に翔太の胸は打ち抜かれてしまう。

 だが、かろうじて踏みとどまり、理性的な答えを返した。


「私は山本翔太……ショータ・ヤマモトです。ショータとお呼び下さい」


 ファーストネームで呼び合う文化圏なのだろう、と推測してである。

 

「はい。それではショータ様と。素敵なお名前ですね」


 女性にそのように言われたことは今までなかった為、翔太は年甲斐もなく照れてしまう。

 そしてその時にようやく気がついた。


(あれ、俺たちってどうやって会話が成立しているんだ?)


 疑問が表情に出ていたのか、それともそのタイミングになったと判断したのか、ユニスは物憂げな顔になって可憐な唇を開く。


「ショータ様はご自身に何が起こったのか、まだよくお分かりになっていないと思います。よろしければ説明させてください」


 彼女の表情と言葉に胸さわぎを覚えながらも、翔太はうなずいて説明をうながす。

 

「まずここはカルカッソンと呼ばれる世界のクローシュという国です」


「……はっ?」


 彼は思わず間が抜けた声を漏らす。

 外国ではないかとうすうす感じていたのだが、そもそも世界が違うとは。

 ユニスは目を伏せつつ続きを口にする。


「そしてあなた様はわたくしがお招きしたのです。この国を救う為に」


 どこかで聞いたことがある話だ、と冷静な部分が評価した。

 そこで彼女の面持ちは真剣なものへとなる。


「邪悪な怪物たちがまもなくよみがえり、この世界は滅ぼされるでしょう。それに対抗するたった一つの希望がショータ様なのです」


「えっ? 俺が?」


 美しい迫力に圧倒されかけていた彼だったが、自身の名が告げられる疑問が勝った。


「はい。間違いありません。守護三神からの神託がありましたから」


「ま、待ってくれ。俺はただの日本人だ。世界を救う力なんてないぞ!」


 翔太は慌てて否定する。

 ユニスほどの美少女に期待されて嬉しくないと言えば嘘になるが、できるはずがないことをやれると期待されたくない。


「いえ、今のあなた様に世界が救う力があるとは申しません」


 彼女は己の言葉が浸透する時間を作ろうとするかのように、ひと呼吸置く。


「ですが、守護三神に選ばれたあなた様にならば神器が使えるはずです。神に選ばれた勇者だけが使える神器が。それこそが、邪悪な怪物への対抗手段なのです」


「もしも使えなかったら?」


 翔太は気になっていた点をおそるおそるたずねる。

 追放されるのか、それとも殺されてしまうのか。

 彼の気持ちを読んだのか、彼女は安心させるような微笑を浮かべる。


「そのようなことはないと思いますが……万が一、そうでしたら無理に戦っていただく必要はございません。わたくしはあなた様を死なせたいわけではないのですから」


「そうじゃなくて、いやそれも大切だけど」


 まだ頭が上手く動かず、舌も回らない。

 もどかしさを感じつつ、彼は必死に最も気になっていることに触れた。


「俺は元の場所へ帰れるのか?」


 敵を倒さないと帰れない、あるいは帰る手段など存在していない。

 これこそが彼が恐れる返事である。

 固唾を飲んでユニスの反応を待っていると、彼女の表情が明らかにくもった。


「あなた様はご自身に起こったことをまだ把握しきれていないのですね?」


 青い瞳に宿る憐憫の感情が、彼の胸をしめつける。

 彼女はそっと右手をかざす。


「わたくしが言葉で説明するよりも、こちらの方が納得されるでしょう。さあ、思い出してください」


 しなやかな右手が淡く光ると、彼の脳内に過去の出来事が走る。

 終電帰りの日々にうんざりしながら帰路につき、そのまま寝てしまう。

 そしてその後……アパートで火事が発生し、彼はそのまま絶命したのだ。


「えっ? 嘘だろ……」


 彼は言葉を絞り出すが、頭の中の出来事が嘘ではないと感じている。

 そう、彼が目を覚ました時、既に四方を炎で囲まれていて、逃げ道がどこにもなかったのだ。


「あなた様をチキュウのニホンへと送り届けるのは可能です。しかし、今のあなた様は一度亡くなった後、守護三神のお力で再構成されたもの。元の場所に帰っても、誰もあなた様だと認識できないかと存じます」


 彼女の言葉にこもっている多分の慈しみが、彼の激発をかろじて抑える。


「そ、そうか……」


 彼はがっくりと肩を落とす。

 その肩をそっとユニスが撫でる。

 どこかひんやりとした感覚が走り、彼は初めて自身の上半身が裸だということに気づく。

 さらに彼がいるのもどこかの部屋だということも。


「本日のところはもう何も申し上げません。ゆっくりとお気持ちを整理なさる時間も必要でしょう。水と食事は置いておきますから、何かあれば机の上のベルを鳴らして下さい。このシンディが駆けつけるでしょう」


 彼女は青い目を自身の後方へ向ける。

 そこには黒いメイド服を着た、十代後半と思しき赤い髪の侍女がいた。

 ユニスは語り終えると一礼し、侍女をともなって出て行く。

 後に残されたのは、かつて山本翔太という名前だった人物が一人だけだ。

 

「マジかよ……」


 彼はぽつりとつぶやく。


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