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夏の星

作者: 道本幸也

 重い扉を開け、できるだけ音を出さないよう気を付けながら外に出た。外は意外にも涼しかった。僕らの首筋を、するりと風が通り抜ける。汗が乾いてずいぶんと気持ちがよかった。隣の諒太先輩もそう思っているらしい。

「それで、この後どうする」

 先輩は小声でそう言った。もう小声にする必要なんてないのに、と思ったが、口には出さなかった。

「どうしましょうか」僕は適当にそう返した。


 僕らは吹奏楽部の合宿に来ている。3泊4日で、泊りがけで練習するのだ。僕らの顧問がいい宿を探す技力がないのか、それとも、吹奏楽部というイレギュラーな団体を泊まらせることのできる宿がないのかどうかはわからないが、少なくとも事実、僕らの合宿は学校でやっていた。だから合宿という感覚もなにもなかった。だが、今は違った。合宿に来ているという感じがする。ルールを破る時のほうがその団体に属しているという実感を得られるというのはどうも本末転倒のような気もする。まあいい。


 とにかく僕らは、夜中に部屋を抜け出して学校の外に出たのだ。部活の特性もあって、日中は外は出ることもなかったので、とても外は新鮮だった。顧問の先生が寝静まるまでに何度か寝かけたが、諒太先輩が突っついて起こしてくれたので、ここまで来ることができたのだった。達成感とはこういうものかと感じた。


 僕と諒太先輩は一つ違いで、同じ楽器をやっている。コントラバスという楽器だ。コントラバスは低音楽器で、ヴァイオリンと似たような形をしている(ヴァイオリンとは、厳密にいえば仲間ではないのだが、ここでは説明を省いておく)。吹奏楽部唯一の弦楽器でもあり、なにかと浮いてしまうのが時たま辛い。だが逆にそれもあって、僕らはとにかく仲が良かった。二人とも本が好きなのもあり、どんなときにも基本会話が途切れることはなかった。

 

 諒太先輩は高身長で、とてもコントラバスが似合う。隣り合って楽器を弾いているときは本当に同じ楽器をやっているのかというくらい見栄えが違った。だが不思議とそれが嫉妬心に代わることはなかった。


「それじゃあ、とりあえず校庭行こう」

 先輩は嬉々とした声でそう言う。僕は「そうっすね」と、特に感慨深くなることもなく、つぶやいた。手元のスマートフォンは午前3時を指している。夏だから、4時半くらいになればもう日の出か。そんなどうでもいいことが頭に浮かんだ。


「おお、なんか校庭感がない」

 校庭についた直後、先輩は腑抜けた声でそう言った。だがその発言は的を得ていた。今日の午前中校庭を使っていた陸上部が残した白線が妙に浮き出て見えた。校庭は、無人という言葉がよく似合う場所へと変わっていた。もし先輩がいなかったら、僕はひどく不安になって、部屋に戻っていただろう。


「確かにないっすね。走ります?」

 僕は先輩を見るでもなくそういった。先輩は「だるい」とだけ言って、校庭の白線をなぞりながら歩き始めた。僕もとりあえずそれに続く。


 先輩のふにゃふにゃした感じはどうやったらとれるのだろう。諒太先輩は「あー」とか「んー」とかいう言葉になっていない言葉をしゃべるときに必ず文頭に入れるため、先輩の威厳とかいうものが全く持ってないのである。だから吹奏楽部の中では、最高学年である中学3年であるのにも関わらず、1年生からもだいぶなめられている。


 彼女がほしいと思ったことがないのか、いつも気負った様子はなく、合奏中などは口を開けて遠くを見ている時がある。僕としてはその感じがかっこいいと思っているのだが、周りから見るとそれはあほらしく見えるらしい(でも、よだれを垂らしていた時はさすがに僕でもあほらしいと思った)。それでも、コントラバスの腕だけは確かにあるのだから不思議である。


 先輩はコントラバス以外にも、エレキベースやギター、更にはサックスやピアノまでできるらしい。ほとんどやっているところをみたことがないのでわからないが、とにかく、この先輩は凄い。仲良くもあるが、それ以上に尊敬している先輩である。


「結構歩いたね~」先輩はゆっくりとそういった。「そうですね」と返したが、よく見るとまだトラックの半分も歩いていなかった。

「じゃあ、寝転がろうか」先輩はふらふらとした足取りで校庭の真ん中まで行き、言葉の通り寝転がった。無駄に大きいモーションで寝転がったので、砂煙があたりに立ち上った。僕もそれに続いて、ゆっくりとわざとらしいほど丁寧に寝転がる。砂埃を立たせないように。


「おお、すげえ」そう声を出したのは先輩ではなく僕だった。空には、無数の星が浮かんでいたのだ。東京にある学校で、こんなに綺麗に星が見えるとは思わなかった。昔、星座というものを作った人を馬鹿にしたことがある。星座の形があまりにも雑だからだ。小熊座なんか、星二つを直線で結んだだけの形をしている。なにをどうしたらこんなのが小熊に見えたんだろう。僕はそう思い、馬鹿にしていた。


 だが、今ならわかる。彼らは「ロマン」というものを見ていたのだと。こんなにも綺麗な星々を前に、星座というものを作らざるを得なかったのだろう。僕だって、こんな空を見たら星座を作りたくもなる。ただ、さすがにこぐま座は苦し紛れのような気もする。


「めっちゃ星綺麗っすね」「ものすごいねえ」

 二人の声が重なった。僕は先輩の顔を見た。先輩も僕の顔を見る。

「また重なった」「また重なった」

 僕らはなんだかおかしくなって、真夜中の校庭で大声で笑った。夏だというのに、鈴虫のような音が遠くからした。そしてさらに遠くから、車が一台通り過ぎる音がした。


 僕らはひとしきり笑った後、二人そろってまた、星空を見た。

「綺麗だね」「そうですね」似たようなセリフをもう一回言ってみる。

 ひゅうひゅうと心地よい風が僕たちの間をすり抜けた。


「そういえば先輩」「ん?」僕は先輩に話しかけた。

「ここで見えてる星って、太陽とかの何倍も大きいじゃないですか」

「そうだね」

「でも、遠いから、ちっぽけな月にさえ見た感じの大きさで負けちゃうんですよね」

「そうかもねえ」

「でもそれって、ロマンじゃないすか」

「どういうとこが?」

「近くに行ければ、めちゃめちゃにでかいところが。なんかこういうこと考えると、宇宙開発について前向きになっちゃいますよね」僕は特に何も考えずにまくし立てて言った。


「ああ、それもなんかいいね」少し微笑みながら先輩はそういう。

「それでも」先輩がはさらに続けた。

「それでも俺は、月に行きたい」

「……なんかいいっすねそれ」

「でしょ?」


 先輩はほんの少しだけ得意げだ。確かにかっこいいと思う。ただ、多分先輩は思いつきを口に出しただけなのだからそこまで自慢げにしないでほしいとも思った。もちろん声には出さない。

「あ、明るくなってきた」「あ、本当だ」

 先輩につられて上を見ると、確かに明るくなってきているのがわかった。


「戻ります?」

「そうしよう」

 僕らはさっきまで空に見とれていたのがウソみたいに、踵を返してその場を後にした。砂埃がまた少しだけ舞った。

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