⑳献身と自己満足
ヴェガスが去ってからも、あたしはディオンの手を握ってじっとしてた。
でも、ディオンがひどい汗をかいてたから、あたしはサイドテーブルにあった布でディオンの額や首筋の汗を拭った。そこに水差しとコップも用意されてる。
こんなに汗をかいたんだし、水分は摂ってもらった方がいい。ただでさえ毒素が体内にあるわけだし……。
「ディオン、お水飲める?」
試しに声をかけてみるけど、返事はない。小さく呻く声が聞こえただけ。
あたしは嘆息するとコップに水を少し注いだ。それを持ってベッドに膝をつく。そーっとディオンのうなじの辺りに手を入れて軽く首を持ち上げて膝に乗せた。片手だから手際悪いね、ごめん。
やっとの思いでコップの縁をディオンの紫色をした唇に当てた。そろりそろりと水を流すと、ディオンはうっとうしそうに顔をそむけた。
「あっ」
水はディオンの口からそれてあたしのスカートに染み込む。あたしは無力感に唇を噛み締めてディオンのベッドから降りた。そうして、もう一度コップに水差しから水を注ぎ直す。
その水をじっと眺めた。
今度こそ。
あたしは水をひと口だけ口に含んだ。水の生ぬるさが口内に広がる。そうして――。
今度は体ごと乗り出すようにしてディオンの顔を押えた。そのまま、口に含んだ水をディオンの口に移す。……乾いた唇だった。
あたしはディオンののどが水を飲み込むまで唇を離さずにいた。ぐ、と嚥下する音にほっとして、あたしはそれを繰り返す。
ためらいなんてなかった。あたしにできることがなんにもないなんて思いたくなかった。
ディオンのためにできることをしたかった。
三回くらい口移しで水を飲ませた時、ディオンの唇が少し動いた。
「ディオン?」
でも、返事はない。
あたしは押し寄せる感情に顔を歪めた。
――自己満足かなって思わなくはない。献身的な看病も、罪悪感がさせるのかも。
ディオンは嬉しくないと思う。わかってるのに、そばを離れられない。
あたしは脈を確かめるようにディオンの首筋に触れた。トクトク、と確かな鼓動を感じてほっと胸を撫で下ろす。でも、その弱さが心配にもなった。
ディオンの胸に頬を寄せて心音を聴きながらしばらく突っ伏してた。そうしてると少しだけ安心できたのかな、一瞬だけ意識が遠退いてた気がする。小さな物音にハッとして起き上がった時、後ろの扉が開いた。
時間はよくわからない。もう深夜だったんじゃないかな?
部屋の明かりに薄っすらと照らされながら背後に立ってたのはファーガスさんだった。困ったような顔をしたファーガスさんは布のかかったトレイを手に扉を閉めるとあたしの隣に来た。トレイを床に置くと、ディオンの脈を計る。
「どうですか、ファーガスさん」
恐る恐る訊ねると、ファーガスさんは苦笑する。
「だから、大丈夫だと何度も言っているのに、まだ信用していないのか?」
「そういうわけじゃないんですけど、でも、不安で……」
しょんぼりとしたあたしに、ファーガスさんは優しく答えてくれた。
「ディオンは今、体に残っている毒と戦っている。苦しいことは苦しいだろうが、ディオンはこんなことで負けたりしないよ」
「はい……」
「明日には意識もはっきりとするだろう。そうしたら薬を使って毒を散らす。体力は多少落ちているかも知れないが、そんなものはすぐに戻る」
それよりも、とファーガスさんはトレイの上の布を取り払った。そこにはふたをされたスープカップとパンが乗ってた。
「ミリザ、少しは何か食べなさい」
そう言われて初めて、あたしは食事をしていないことに気づいた。それまで、全然おなかも空かなかったし、何かをほしいとも思わなかった。
そろりと見上げると、ファーガスさんは少しだけ悪戯っぽく言った。
「そんな風に無理をして看病したとディオンが知ったら、後できっと怒られるよ」
「そう、ですね……」
うん、ディオンは優しいから、きっと怒る。
あたしはトレイを膝に乗せてスプーンを握った。ふたを取ると、野菜を柔らかく煮たスープが入ってた。
「じゃあ、いただきます」
そう言ってあたしがスープに口をつけたから、ファーガスさんはほっとしたみたいだった。
「じゃあ、ディオンを頼むよ」
「はい!」
気の済むようにさせてくれてありがとう。
あたしは――。
そうして、穏やかな波が続いた翌朝、ディオンは目を覚ました。




