⑨イヤガラセ?
夕食の献立は乾燥イチジク入りのパンにチーズ、こんがり焼いたベーコン入りのジャーマンポテト。
またしても大量の芋を剥く。
あたしは芋を剥きながらパンをこねてるファーガスさんに訊ねる。
「ところでこの船ってどこに向かってるんですか?」
ファーガスさんは呆れたみたい。顔にそう書いてあった。
「今頃訊くのか、それを」
「えへへ」
笑ってごまかすと、あっちでベーコンを切ってたマルロが鼻で笑ってた。
ファーガスさんは苦笑する。
「ルースター王国のパハバロス島だよ」
「え? 島?」
「狩りもミリザと出会った時で三件目だった。収穫は十分だから一度本拠地に戻るんだ。なんだ、どこかの町にでも行くと思ってたのかい?」
思ってました。そこで一人細々と生きて行こうって。
島――島にも働き口ってあるのかな? あるんだったら別にいいんだけど……。
うぅん、と悩んでたあたしに、ファーガスさんは言う。
「いくら逞しくてもミリザは若い娘なんだから、そう行き当たりばったりの生活はいけないよ。帰る家があるなら――」
「ないです」
即答してやった。ファーガスさんはこほん、と咳払いをして続けた。
「……ないならないで仕方がないが、もう少し真剣に身の振り方を考えた方がいい」
「はーい」
返事だけはしたけど、そんなこと言っても、ね。
後は口よりも手を動かした。
そうして出来上がった料理をまたパルウゥスのヴェガスたちのところへ運ぶ。一人じゃ持てないから、行きだけはマルロも一緒に運んで来てくれる。そこでマルロはベルを鳴らそうとした。でも、ベルが鳴る前にヴェガスが気づいてあたしに近づいて来た。ニコニコと笑顔だ。
ベルを鳴らす必要がなくなって、マルロはちょっと拍子抜けしたみたいだった。それに、あたしに向けて笑いかけるヴェガスを見て、少し面白くないような顔をした。
「なんか懐かれてるな?」
ぼそ、と言った。
「うん、仲良くなったよ」
って返したら、マルロはやっぱり気に入らないみたいだった。ムスッとしてそのまま去った。なんとなく、足音が荒い。
「ヴェガス、お疲れ様!」
名前を呼ぶと、ヴェガスは嬉しそうに瞳を輝かせた。可愛いなぁ。
そうして、ヴェガスは後ろを振り向いて仲間に手招きする。そうしてやって来たのは、ヴェガスよりも少しだけ小さくて眉毛の薄いパルウゥスだった。ヴェガスは彼の肩に手を添えながら言った。
「Στάχυς」(スタヒス)
ああ、この子の名前だ。
「スタヒス」
あたしが呼ぶと、スタヒスは嬉しそうにうなずいた。
「ミリザ」
うわ、あたしの名前、ちゃんと知っててくれたんだってすごく感動した。ええと、こういう時、なんていうんだっけ? 昨日覚えたよね? 確か――。
「うん、Σας ευχαριστώ(ありがとう)」
ヴェガスもスタヒスもびっくりして仰け反った。でも、その後には目をキラキラさせて喜んでくれた。
こうしてちゃんと向き合って喜んでもらえるなら、みんなの名前覚えよう。ここにいるのは精々二十人だもん。
あたしは一人一人に食事を手渡しながら名乗った。すると、みんなも名乗ってくれた。
「Ζυγός」(ズィゴス)
「Κρόνος」(クロノス)
「Αντάρης」(アダリス)
みんな背丈は同じくらい。でも、よく見るとちゃんと個性がある。あたしもここで食べ出すと、みんなニコニコしてあたしのそばで食べてくれた。そして、食べ終わると、みんなは手を振ってあたしを見送ってくれた。
「Αντίο,τα λέμε αύριο」(さよなら、また明日)
あたしも手を振って返す。
「Αντίο,τα λέμε αύριο」(さよなら、また明日)
えっと、これはお別れの挨拶かな。おやすみって言ってるのかな?
二十人、名前も多分覚えた。……そういや、海賊たちの名前は五人しか知らないや。ま、いいか。
そうして厨房に戻ると、やっぱりひどい有様だった。海賊たちってなんでこう綺麗に食べられないのかな。パルウゥスの方がよっぽどお行儀いいよね。
食器を洗ってあらかた片づいた時、ファーガスさんが言った。
「マルロ、今晩みんなには内緒でミリザを風呂へ連れて行ってあげなさい。お前が見張りだ。いいね?」
あたしはそのひと言にパッと顔を輝かせた。
「やった! ありがとう、ファーガスさん!」
いつ入れるのかなと思ってたから嬉しい! マルロはすごく迷惑そうだけど。
「なんでボクが? 入りたきゃ勝手に入ればいいじゃないか」
「さすがに見張りがいないと駄目だ。他の男たちでは信用ならないからね」
マルロが一番あたしの裸に興味がないのは事実だ。うん、適任。
それにしても打ち解けてくれないな。むしろ、悪化してるっぽいよね。よっぽどあたしみたいなのが嫌いなんだろうし、仲良くなろうって焦っても仕方ない。あたしは普通に堂々としていようって決めた。
「よろしく」
ケッて吐き捨てたけど、ファーガスさんの言うことはなんだかんだで聞いてるから、多分大丈夫でしょ。
☠
あたしは寝泊りしてる医務室には戻らないで厨房でマルロを待った。
あたしが待ってると、本当に暗くなってからマルロが来た。自分も湯上りっぽい。シンプルな服装は寝間着かな。髪にしずくを滴らせながらマルロはあたしに白いバスタオルを貸してくれた。
「それを使え」
あ、親切だ。たったこれだけのことだけど、あたしには親切に思えた。
使った後、またもう要らないとか言いそうだけど、そしたらもらうからいいし。
「ありがと!」
えへへ、とあたしが笑うと、マルロは無表情であたしを案内してくれた。途中、誰にも会わないように警戒しながら進む。お風呂は下層の方だった。その船室に入ると、でっかい装置がある。これで海水を汲み上げてるのかな? 飲み水とまでは行かなくても蒸留できるのか、磯臭さはない。そばに炉があって、ここで沸かしてお風呂に入れるみたい。
物珍しそうに見ていたあたしに、マルロは言った。
「ここは脱衣所だ。このカゴに服を入れておけ。奥に浴槽がある。……じゃあ、ボクは外にいるからな」
「うん、なるべく急ぐね」
そう答えたら、マルロはまたしてもケッて吐き捨てて外に出た。
よし、早く入っちゃおう。
ためらいなく服を脱いでバスタオルだけ持って浴槽の方に向かった。一応そろりと中を覘く。――よし、誰もいない。
あたしはお風呂のすのこの板の上に乗った。バスタオルを入り口に引っかけ、桶を使って体を流す。最後の最後だもん。ちょっとぬるい。しかも、お湯があんまり綺麗じゃない……。ううん、贅沢言っちゃ駄目。
そこにあった石鹸を使って頭と体を急いで洗う。急いでも絶対にマルロは遅いって怒ると思うけど。
ゆっくり浸かってる暇はないから、とりあえず洗うだけ。あたしは長い髪を絞ってバスタオルで拭いた。軽く体を拭いて、バスタオルを撒いて脱衣所に戻る。すると――。
「ない!」
脱衣所のカゴの中にあたしの服はなかった。