⑪アネクメネ
ここは砂漠気候の人の住めない地帯。
ディオンが歩きながらそう言った。
「今じゃあこんな有様だが、この地図が描かれた十五年前は気候も多少はマシだったんだろう」
うん、あっさりと人が踏み入る場所じゃいけないにしたって、自分が取りに行けないような隠し場所じゃ困ったはずだし。昔はもう少しマシだったんだろうね。
向こうでは撃ち合いになっているのか、大砲の音が時折響く。その音が気になってるのはあたしだけじゃないはず。
ほんの少し歩いて海が遠ざかると、途端に乾いた日差しと砂埃に喉をやられる。パハバロス島も暑いところだなって思ってたけど、そんなものじゃない。この暑さは人を苛む。
そのせいか、ディオンもその後はまったく喋ってくれなくなった。
ピリピリと張り詰めた空気を醸し出して歩くだけ。ヴェガスもそんなディオンの様子を受けて無言だった。
喋らないのは、この気候で無駄に体力を使わないためでもあるけど、それ以上にあたしに対して怒っているからなんじゃないかな……。
ディオンは地図を身につけてるはずだけど歩きながら確認はしない。記憶してるんだろうな。
ひたすら暑い暑い砂の上を無言で歩くだけ。熱気に視界が揺らめく。
あたしは長袖のシャツに七分丈のパンツ、足もとはショートブーツだ。長袖のシャツは腰に巻いてたのを羽織っただけ。その下はノースリーブの綿シャツ。
こうも暑いと長袖を着て日光を遮断した方が幾分涼しく感じる。三人とも頭にタオルを被って日差しから頭と顔を庇った。
汗と砂埃で髪も服も気持ち悪いけど、自分で飛び出した以上そんな贅沢は言えない。
ヴェガスはあたしを気遣うように何度も見上げてくれたけど、あたしは笑い返す余裕もなくなってた。
すごく長い時間に感じられたけど、実際にはそんなに経ってないのかも知れない。
途中でよろけたあたしにヴェガスは水筒を差し出してくれた。でも、ここで水を飲んでもいいのかな?
次に補給できるのはいつだかわからない。それに、勝手について来たあたしが貴重な水をもらってもいいの?
水筒に口をつけることをためらったあたしに、ディオンの少しかすれた声がした。
「飲め。倒れられたら余計に迷惑だ」
「……はい」
しょんぼりとあたしは水筒の水を飲んだ。焼けるような日差しの中、のどを潤してくれる水の美味しさをあたしは生涯忘れないんじゃないかなって思う。
このままだと水筒一本丸々空にしてしまいそうだから、あたしは強固な意志で止めた。口を離すと、隣に立つディオンと目が合った。ディオンはそのままそっぽを向いたけど、あたしのいる場所には長身のディオンの影が落ちた。
「ありがとう」
こんな場所なのに、穏やかな気持ちでそう言えた。
それからディオンとヴェガスも水分を補給して歩き出した。砂漠はいつの間にかごつごつとした岩場に移った。夕焼けが綺麗なオレンジ色に岩場を染める。
「砂漠、越えたの? 岩場の方がまだマシかな……」
「岩場というか、この辺りは涸れ川だ」
「涸れ川って、もしかすると涸れずに残った水辺が先にあるの?」
「運がよければな。あんまり期待するな」
うん、この状況で落胆するのってつらすぎる。ないものと思って歩こう。
「Θα ήταν ωραίο να λείπει από την έρημο πριν ο ήλιος δύει」(日が沈む前に砂漠を抜けられてよかったですね)
ヴェガスがそんなことを言った。うん、これくらいならあたしにももうわかる。
「どうし――ええと、Γιατί όχι?」(どうして?)
危ない危ない、いつもの調子で普通に訊いちゃった。
その答えはディオンがくれた。
「砂漠の夜は逆に冷え込むからな。体がおかしくなるぞ」
うわぁ、めちゃくちゃ!
暑いのもすごく嫌だけど、それも困る。
あたしたちはそのまま歩き続けた。砂は一歩歩くごとに足が埋もれて嫌な体力の削られ方をしたけど、ここへ来たらそれがなくて、疲れていても足取りは軽かった。
そうして、日がほとんど沈みかけた頃に辿り着いた場所に涸れ川の果てがあった。
「……」
あたしは深々と嘆息した。何この水溜り……。
汚い赤茶けた水が、一番深いくぼみに溜まってる。変な虫がいっぱいたかってるし、とても飲めたものじゃない。あんなの飲んだら病気になっちゃう。
期待してないつもりだったけど、こう目にしてしまうとやっぱり落胆。
肩を落としたあたしに、ディオンがぼそりと言う。
「ほとんど雨量のないここでは仕方ないな。とりあえず、今日はこの辺りで休む」
そっか、干上がった川の跡だもん。滅多に降らない雨が溜まった程度の水でも、ここに暮らす生き物には貴重なんだね。
「うん」
ヴェガスもリュックを下ろしてくつろいだ。ディオンはそこからパンと瓶に入ったオリーブとイワシのオイル漬けを取り出した。汗をいっぱいかいたから塩分も大事。
ちょっと疲れすぎて食欲もあんまりなかったけど、食べないとディオンが怒るから食べた。
そして、固い岩肌の上に薄いブランケットを敷いて寝た。二枚しかないけど、それを繋げてあたしは二人の間にお邪魔した。寝転ぶと、満天の星が空を埋めていた。その美しさが胸に染みた。




