⑩ククヴァヤ島
それから、目的地ククヴァヤ島の近海へようやくたどり着けたのは、パハバロス島を出航して九日目のことだった。南の方角ってこともあって、天候はすこぶる良好だったから、これでも到着は早い方。
……ただ、天候は良好っていうより、暑い。ひたすらに暑いよ、この辺り。
「あれがククヴァヤ島――」
あたしは汗を拭いつつ、太陽が照りつける甲板から望遠鏡を使って島を眺めた。遠目に緑がほとんど見当たらない。乾いた砂が高く舞ってる。
あの地図からするとオアシスはあるみたいなんだけど、署名の日付は十五年も前だった。今はどうなんだろ? 干上がってないといいな。
「ん?」
島のそばに船が停泊してる。古びたガレー船だ。旗も色あせてくたびれてるからよく見えない。
「……先客だね?」
あたしの隣でゼノンが身を引き締まるような声を出す。
「ああ。ゼノン、頼む」
ディオンがゾクッとするような調子でそう言った。ゼノンは嘆息してる。
「了解」
砲撃で追っ払えってこと?
多分、例の海賊船の親玉が宝の情報を売ったんだよね? ってことは、あの船も目的は同じだもん。ライバルだ!
遠慮してちゃ駄目。やっちゃえ! ……って、あたし最近喧嘩っ早くなったような?
まあいいか。
シー・ガル号は相手の船よりも小さいけど、性能では負けてないはず。颯爽と近づいて行く。相手もシー・ガル号に気づて船体を回して砲口をこちらに向けた。まだ上陸はしてなかったみたい。なんせ立ち入るにはためらっちゃうような場所だもん。上陸する場所を探しつつ対策を練ってたのかも。
あたしはとっさに船内へと駆け込んだ。あたしの勢いにマルロがびっくりしてたけど、今は構ってられない。
階段を一気に下りるとファーガスさんのいる厨房へ走った。ファーガスさんはあたしの剣幕にも驚かない。
「ファーガスさん、水と食料、急いで用意しなきゃ!」
「ん、ああ、食料は少し多めに準備はしてある。飲み水も水筒に三本は用意したが、オアシスの状態もよくわからないことだ、もう少し必要だろうな」
さすがにファーガスさんは準備万端だった。大きなリュックにきちんと詰められてる。
「でも、あまりたくさん持って行っては邪魔にもなる。精々が後二本というところか」
「うん!」
あたしは箱からボトル型の水筒を二本取り出し、厨房の瓶から柄杓で飲料水を汲んで注いだ。しっかりと閉めて、ふたつとも付属の紐で首から下げ、大きなリュックを担いだ。
「大丈夫かい?」
重いけど、運べなくはない。
「うん、大丈夫。じゃあ、行って来ます!」
振り向かずにあたしが発した言葉に、ファーガスさんは一瞬考え込んでしまったのかも。返答が遅れた。
「行って来ますって、おい――」
急げ急げ!
あたしが大荷物で階段を駆け上がると、後から上がって来たヴェガスが追いつく。
「ミリザ」
「あ、ヴェガス!」
あたしたちは同時に甲板の上に上がった。その時、ドン、と船体が揺れた。ゼノンが大砲を撃ったんだ!
煙の筋と一緒に飛んだ砲弾が敵の船を威嚇する。水柱が上がって向こうの船が大慌てになっている様子が遠目にも伝わった。
あたしは大きな荷物が重石みたいになって、逆に安定して転ばなかった。ヴェガスが心配そうにあたしに目を向ける。
ヴェガスがここに上がって来たってことは、ディオンに頼まれて宝探しに島へ上陸するつもりなんだ。
ディオンは素早くみんなに指示を出してる。
「エセル、あの船の反対側に接岸してくれ!」
「了解!」
二人の緊迫したやり取りが耳に届いた。
あたしはこっそりとヴェガスに訊ねる。
「ヴェガス、漕ぎ手座の方はヴェガスが抜けて大丈夫?」
「スタヒスに任せて来た。彼なら場数もこなしているから大丈夫だ」
急激に舵を切られてまた船体が大きく揺れたけど、あたしは荷物をディオンのところへ運んだ。
「ディオン、これ食料と水!」
頼まれる前に動いたあたしに、珍しくディオンは嬉しそうに笑った。
「いい判断だ」
えへへ。
あたしから水筒二本とリュックの荷物をもぎ取ると、リュックをヴェガスに渡した。
「Παρακαλώ」(頼む)
「Ελήφθη」(わかりました)
ヴェガスはあたしが苦労して運んだリュックを軽々と背に担ぐ。でも、背が低いからちょっとだけ引きずりそうだ。
そこでエセルの声が飛んだ。
「ディオン、岩場に接岸するから、昇降梯子で降りろよ。船底に引っかけたくないからな、あんまり近づくとマズいし」
「それでいい。あの船がある以上、こっちの機動力を落とすわけには行かない。島へは俺とヴェガスだけで行く。だから、この船は死守しろ」
え? 本気で?
あんな危ないところに二人だけで行くの!?
操舵輪を握るエセルがいつになく厳しい顔をした。
「――わかった。急げよ」
「ああ」
二人のやり取りは短かった。それしかないってわかってるから?
でも……。
ハラハラと見守るあたしをよそに、船は砲筒を敵船に向けながら岩場に接岸した。ロープでできた昇降梯子が海岸の大きな岩の上に下りられるように垂らされた。そこを真っ先にヴェガスがするすると降りて行く。ヴェガスが降りきるよりも先にディオンも続く。
あたしはその昇降梯子に触れながら身を乗り出した。
「落ちるぞ」
そばに来たマルロがあたしの背中に言った。その次の瞬間に、あたしは船べりを越えた。そこから飛び下りるようにして昇降梯子につかまる。ためらいはなかった。
「ミリザ!!」
叫んだのはエセルだった。
「この馬鹿!!」
マルロも慌てて昇降梯子を引き上げようとしたけど、マルロの力じゃ無理だ。あたしは段を飛ばすようにして素早く梯子を降りた。その先に、今までで見たどんな瞬間よりも――あの出会いの日よりも怖い顔をしたディオンが待ち構えていた。
「……どういうことだ?」
「どうって……」
あんまりにも怖いから、とっさに言葉が出なかった。
心配でついて来た。二人だけって、そんなの駄目だから。どっちかが帰って来れなかったら――なんて、あたしはどうしようもなく嫌な予感がした。そんなことは不吉すぎて口には出せなかったけど。
「Μίριο,Παρακαλούμε ξανά σύντομα!」(ミリザ、すぐに戻って!)
ヴェガスにも厳しくそう言われた。
でも、空気を震わせるような熱風と一緒に敵船の砲撃がシー・ガル号に迫った。
「伏せろ!」
「っ!!」
あたしはディオンの腕に頭を押さえつけられた。体勢を低くして、水飛沫が高く上がるのを横目に見た。あたしのこめかみの辺りでディオンの舌打ちがする。シー・ガル号は素早く後退して砲撃を避けきった。
でも、そのせいであたしたちとの距離が開いた。ディオンはあたしを船に戻せなくなって苛立ってる。
低くうなるようにして吐き捨てる。
「仕方ない。行くぞ」
……あたしの判断は軽はずみだった?
そうかも知れない。そうなんだと思う。
でも、どうしても譲れないような気持ちだったんだ。それも根拠のない勝手な不安だけだって言われてしまえばそれまでだけど。
「――Ας βιαστεί」(急ぎましょう)
ヴェガスも短くつぶやいた。




