⑧引け目
あたしはエセルに手を引かれて領主館までの道を歩く。最初に走らされたから無駄に体力使っちゃったけど。
弾んでた息が落ち着いた頃、エセルは笑いを含んだ声で言った。
「ファーガスがルース先生に船医の座を譲らないのはね、島の診察で忙殺されるのが嫌なんて理由じゃないんだよ」
「うん?」
「船に乗せれば、必ず帰って来るとは限らない。それが嫌なんだ。それくらいなら老い先短い自分が乗ればいいって思ってる。認めないけどそうなんだよ」
ああ、無事を祈りながら待つのが嫌だって気持ちはみんな同じだ。あたしだってそうだし。
「待つのはつらいもん。無理ないよね」
あたしがぽつりと言うと、エセルはサッと髪を掻き上げた。
「ルース先生が年老いた父親を送り出す気持ちだってそう楽なもんじゃないだろ? ファーガスも十分勝手だよ。ファーガスに何かあったら、ルース先生は自分が行けばよかったって後悔するかも知れないのに」
「それは……」
あたしが言いよどむと、エセルは妙に明るく笑った。
「なんてね。まあファーガスはそう思うだけの体験をして来てるから、若輩の僕が何を言っても通用しないんだけど」
ファーガスさんがいつから船に乗ってるのかはわからないけど、年齢からいってかなりの場数を踏んでるのは確かだ。数々の時化や戦いを乗り越えて来たんだろうな。
そこでふと、エセルは真剣な目をした。
「領主様が大怪我をされて、ゼノンの父親が死んだあの時も、ファーガスは船に乗ってたよ」
「あ……」
「助けた命と、助けられなかった命、それから、生き残った自分。ファーガスにとっては僕らには想像もつかない想いがあるんだろう」
ほんとだ。
ファーガスさんは、命こそ助かったけれど動くことのできない体になった領主様のこともすごく気がかりなのかも知れない。領主様の痛みを和らげてくれるテルシェさんの薬に感謝してたな。
あたしがそのことに思いを馳せていると、エセルは急に歩みを止めてもう一度あたしの手を取った。
……何か、嫌な流れが。
ぎくりとしたあたしに、エセルはにこりともせずに言った。
「ククヴァヤ島に行く許可をディオンが出してくれたんだろ?」
「う、うん。よく知ってるね?」
「ディオンに聞いた」
まあ、そりゃあ一緒に行くんだし報告くらいするよね。
エセルはその後も少し怖いくらいの面持ちを保ってた。
「ディオンがそんなにあっさり許可するなんてって、少し気になってたんだけど、その後でなんとなくわかったよ」
「え?」
「ゼノンだ」
またしてもぎくりとしたあたしの反応をエセルは見逃さなかった。深々と嘆息する。
「ゼノンに言われたよ。ミリザのことが好きなんだって」
げ。
「そりゃあもう爽やかに宣戦布告されたよ」
あたしのいないところでおかしなことに……いなくてよかった!
エセルはあたしの手首を握る指に少しだけ力を込めた。
「……だからディオンは」
「ディオンは関係なくない?」
一応そう言ってみると、エセルはかぶりを振った。
「ああ見えて、ディオンはゼノンに甘いんだ」
甘い?
「ゼノンの父親が死んで、その後を追うように気落ちした母親が病死して、ゼノンは孤児になった。動けない体になったとはいえ、自分の父親は同じ状況から帰って来た。口には出さないけど、ディオンはゼノンに引け目を感じてる。だから、ゼノンには甘いんだ」
急に孤独になった従弟。
それに比べれば恵まれている自分。
ディオンはそんな風に感じたの?
ぶっきらぼうでいて気配りしてるディオンだから、そうなのかも知れない。
だから、とエセルは言う。
「ゼノンが望むことは叶えてやりたいってなんとなく思ってるのかもな。だから、いつもなら反対するのに、あっさりミリザを船に乗せるんだ。ゼノンがそばにいられるように」
……そんなことってある?
あたしは唖然とした。
それって――。
その時、エセルがあたしの手首を放してあたしを抱き締めた。
「僕はそんなの知ったことじゃないけどね。僕にだってミリザは必要だから」
いつもみたいな軽いノリじゃなくて真剣に言われると、適当にあしらっていいものかわかならくなる。
でも、なんだろ。
あたし、今、別のこと考えてる。
少しだけ傷ついたような気持ちだった。
他人の色恋沙汰には関わりませんって顔してたディオンがほんとはゼノンの味方で、あたしの気持ちなんて二の次だと思って接してたんだ。
そう思ったら、何かすごく虚しくなった。




