⑮確執
テルシェさんの家に、あんなに嫌がってたエセルが来た。テルシェさんはそれでもエセルにずっと会いたがってたんだと思ったけど、違うのかな?
この険悪な雰囲気の中ではかつての恋人同士とか甘い発想はできそうもない。いや、その後こじれてこうなったのかも知れないけど。
エセルはこれ見よがしに大きくため息をついた。
「まあいい。帰るよ、ミリザ」
もしかして、わざわざあたしを迎えに来てくれたの?
出て行く時もやたらと引き止めたし、そんなに心配してたのかな。
……って、いつからいたの? お風呂覘いてないよね?
なんて、こんな状況でちょっと疑ってしまった。さすがにそんなことは訊かないけど。
「あ、えっと、ディオンたちは戻って来た?」
一応訊ねると、エセルは軽く肩をすくめた。
「さあね。まだなんじゃない? でも、そんなことミリザは気にしなくていいよ」
あたしたちのやり取りをテルシェさんは黙って聞いていた。でも、不意にガタリと立ち上がった。そうして、エセルの方に鋭く目を向ける。
「随分ミリザさんのことを気にかけているのね」
でも、エセルはそれを受け流すように素っ気なく言った。
「そうかもね」
そんなエセルにテルシェさんはゆらりと首を傾ける。
「勘違いなさらないでほしいわね。私はミリザさんに危害を加えるつもりはないわ。ディオンくんたちにもね。渡している薬だっていつも真剣に作ったものだわ」
「あんたは薬に関しては嘘はない。その腕は買ってるよ。でも、あんたの言葉に真実はない。少なくとも僕にとってはね」
いがみ合う二人。だ、誰か来てくれないかな……。
あたしはこの空気を破ってくれる第三者の到来を期待したけど、そんな人は現れない。
テルシェさんは大人の余裕たっぷりにクスリと笑った。
「私の言葉から真実を汲み取れないだけでしょう。あなたも、いえ、誰も」
「あんたは人に押しつけすぎるんだよ。誰も理解できない? そんなのはあんたの決めつけだ。あんたに会いたくて危険を冒してここへ来る最中、悪霊に船を沈められたヤツらだっていた。悪霊たちの中にはあんたの名前を呼んでるヤツもいたぞ」
あたしはあの幽霊船のことを思い出して、湯上りなのに寒気がした。
「知らないわよ、そんなこと」
そう冷たく言い放ったテルシェさん。でもそれ、本心なの?
この二人を放っておくといつまでも傷つけ合いそうな気がした。それがわかるから、エセルもここへは来たくなかったのかも。
あたしには二人のことは何も理解できていないけど、このままじゃいけないと思ったから口を開いた。
「エセル」
「うん?」
エセルはあたしに目を向ける。テルシェさんに向けていた厳しさの欠片の残る目だ。
「帰るんでしょ? 行くよ」
あたしが立ち上がると、エセルは嘆息した。ちょっとは冷静になったみたい。
自分の中に渦巻く感情を必死で抑えようとしているテルシェさんに、あたしは笑いかけた。
「テルシェさん、お風呂楽しかったです。ありがとうございました」
ぺこりと頭を下げる。テルシェさんはまだ少しだけ厳しい目つきをしていた。エセルとテルシェさんって多分似た者同士なんだよね。なんとなくそんな風に思った。
「これからもお仕事がんばって下さいね。テルシェさんのお薬に助けられているみんなのためにも。あたし、次の機会にもまた来ます」
そのひと言に、エセルが嫌な顔をした。
「ミリザ、また来るって何? どうして君はそう危機管理能力がないのかな?」
テルシェさんは何かぼんやりとあたしを見てる。あたしの心を探ってる。
「危機? どこにもそんなものなかったもん。優しくしてもらっただけ」
そう言ってあたしは、こぼしてしまったお茶の残りを一気に飲み干した。ちょっと苦いけど体に良さそうな味がした。
エセルは唖然としたけど、あたしはテーブルの上にドン、とカップを置いてテルシェさんに微笑んだ。
「ごちそうさまでした。じゃあ、また!」
テルシェさんも驚いた風だったけど、戸惑いながらもくしゃりと顔を歪めて笑った。その笑顔が、一番綺麗に見えた。
「うん、またね」
そう言ってくれた。
あたしは堂々とエセルの方に――というか扉の方に歩み寄るとエセルの腕を引いて外へ出した。
半ば放り出すようにしてエセルの腕を離すと扉を閉める。そうしてあたしたちが家から数歩遠ざかったところで、何かエセルは急にそばの木の上を見上げて言った。
「もういいだろ。ご苦労さん」
その声は揶揄するみたいな響きだった。
あたしが不思議に思っていると、その木の上から人が降って来た。あやうく悲鳴を上げそうになったあたしの口をエセルが手で塞いだ。
華麗にその場に着地したのはゼノンだった。何か複雑な面持ちでそこにいる。あたしはエセルの手を払い除けると思わず言った。
「ディオンと一緒に行ったんじゃなかったの!?」
すると、ゼノンはバツが悪そうにつぶやく。
「ディオンの方は他のヤツに行ってもらったから」
「なんで?」
あたしが更にそう訊ねると、ゼノンは少し困ったような顔をした。そうしていると、エセルがクスクスと笑ってあたしの肩を抱いて歩き出す。振り向きざま、ゼノンに言った。
「危機感のないミリザには少しお説教してから帰るよ。先に戻ってな?」
げ。説教! やだ!!
ゼノンはまだ何か言いたげだったけど、あたしたちについて来ることはなかった。その場でしばらく立ち尽くしている。
「あいつらも心配してたってことだよ」
ぽつりとエセルがそんなことを言った。
あいつら、ですか……。




