⑬女たちのひと時
テルシェさんは優しい笑顔であたしの手を引いた。
「こっちにいらっしゃい。肌にいい香油を調合したものがあるから、一緒にお風呂に入らない?」
香油。男所帯の海賊船には無縁の代物だなぁ。
あ、でもこれがテルシェさんの美肌の秘密かと思うと興味があるな。
「はい、じゃあお言葉に甘えて」
あたしもちょっと楽しくなって来た。
思えば、昔からあくせく働くばかりでそんな優雅な時間の使い方したことないし。
テルシェさんの家のお風呂は裏手にあった。二人がかりで井戸から水を汲み取って浴槽に注ぎ足す。浴槽は石造りの年季の入ったものだったけど、大事に扱っているからか綺麗なものだった。火を入れて、その黒い浴槽で湯を沸かす。程よい加減になると、テルシェさんはそこに香油と乾燥した薔薇の花びらを散らした。
「さあ、支度もできたし入りましょうか」
「はい」
二人でいるには少し手狭な脱衣所で服を脱いで、髪はお湯に浸からない程度にまとめた。テルシェさんも同じように髪をまとめてる――肌の色が抜けるように白いし、すっごく綺麗。いやいや、あんまりジロジロ見ちゃいけない。
泡立ちのいい石鹸で体を洗って、それから二人で浴槽に浸かった。少し狭いけど、入れないこともない。すごくいいにおいがする。
「いいにおいですね」
えへへ、とあたしが笑うと、テルシェさんも嬉しそうだった。
「でしょう? 男性たちばかりだとこういう楽しみは期待できないもの」
「ほんとですね」
お風呂なんて、大急ぎで洗って出て来るだけだもん。
テルシェさんはパシャリとお湯を手ですくう。それからちらりとあたしを見た。目が多くを語るみたいな気がした。男の人に向けたらイチコロなような……。
テルシェさんはフフ、と小さく笑う。
「ねえ、ミリザさん。あなたの本命は誰なのかしら?」
「はぃい?」
あたしが素っ頓狂な声を上げたら、テルシェさんは笑うでもなく少しだけあたしとの距離を詰めた。
「それなりに魅力的な男性がそろってるでしょう? ディオンくん、ゼノンくん、それともエセルバートくん?」
「エ、エセルはないです」
思わずそう苦笑すると、テルシェさんはどこかほっとしたような様子だった。なんとなく、そう思った。どういう意味かな、この反応……。
「じゃあ、あの二人のどちらかね」
ディオンもあれだし、ないな。じゃあゼノン? いや、ゼノンはみんなに優しいから、あたしが特別じゃない。そこは勘違いしちゃ駄目。
どっちがとか誰がとか、わかんないよ、そんなの。それどころじゃないっていうのが正直なところかな。
「あたしはまだ、そういうのはいいんです。それより、テルシェさんはどうなんですか?」
話をそらすためには風向きを変えなきゃ。というわけで逆に振ってみた。
実際、この孤島で一人のテルシェさんはこうして薬を買いに来る人たちの誰かと結婚するのかなとも思うし。秘伝の薬とか、そういうの伝えて行こうと思うならずっと一人ではいられないよね。
こんなに綺麗で有能な人が選ぶ男性がどんな人なんだか興味があるっていうのも事実だけど。
テルシェさんは、私? と首をかしげてみせた。
「どうしても忘れられない人がいるの」
忘れられない人? 別れた恋人とか?
ドキドキ。その会話の先を待つあたしに、テルシェさんは蠱惑的に微笑する。
「ミリザさんにはまだ早いお話かも知れないわね」
下働きしてた娼館でドロドロしたもつれ話なんかは聞いて育ったんですけど、さっき『自分にはまだ早い』みたいな返し方したのがまずかったな……。そう言われちゃうと何も言えない。
「はぁ……」
気の抜けたような返事をしたあたしに、テルシェさんはぽつりと言う。
「ねえ、エセルバートくんはあなたに優しい?」
「え?」
唐突だったからびっくりした。目を瞬かせてると、テルシェさんは更に訊ねた。
「話していて壁を感じることはない?」
テルシェさんはエセルにこだわってる。忘れられない人って、エセルなのかな?
だとするなら、おかしなことは言えない。あたしは慎重に答えた。
「優しいような、そうでもないような。よくからかわれます。壁はすっごく分厚いのがあります。本音は語りません」
すると、テルシェさんはそう、と短く答えて湯船から上がった。パサリと髪を解くと、あたしに笑いかける。
「髪も洗ってしまいましょうか」
「あ、はい」
薔薇の香りに包まれてのひと時は憩いのような、緊張の連続のようなよくわからない時間だった。
ただひとつだけわかるのは、あたしのお肌がスベスベ、髪がツヤツヤになったということだけ。
確かによく効くなぁ……。




