⑪魔女
あたしたちは跳ね橋を渡り、ゴツゴツとした岩場に降りる。曇り空のせいか、なんだか薄暗くて不気味に感じられた。島自体は鬱蒼と草木が生えてるし自然は豊かみたいなんだけど。
魔女なんて物騒な呼称を使うからそんな風に思っちゃうのかも知れない。直接会ってみればどんな女性だかすぐにわかるかな?
でも、ちょっとだけ緊張した。
ディオンたちも道中言葉は多くなかった。
それほど歩いたわけでもないけど、道らしき土の上に木製の立て看板があった。もう長いこと雨風にさらされてるのか、ほとんど読めなかったけど。
みんなは案内なんていらないみたいで、迷うことなく魔女の家に辿り着いた。
それはすごく年季の入った家だった。レンガと木の家。屋根には小さな煙突。その壁一面を、屋根にまで届く勢いで蔦が這い回る。天辺にカラスが三羽いた。まるでこの家を守るようにして……。
家の正面には屋根と滑車のついた井戸がある。
その扉の前には札が下がっていて、そこには『ただいま留守』って書かれていた。あたしはびっくりしてディオンを振り返った。
「留守だよ? どうするの?」
「すぐに戻るだろ。ここで待つ」
あっさりとそう言ったディオンの言葉は正しかった。魔女さんは程なくして戻って来た。手には何か草の入ったカゴを持ってる。
「お久し振り。船が見えたから今に着くだろうと思って切り上げて来たわ」
あたしは思わずその声に聞き入った。
そうして、見とれた。
ファーガスさんから多少のことは聞いてたけど、想像以上だった。
サラサラの一切癖のない黒髪を額の中心で分けて背中まで垂らしてる。体の曲線がよくわかる黒無地のワンピース。銀色の鎖の額飾りとピアスが綺麗に揺れた。
黒に近いほどの紫色をした瞳を縁取る睫毛は長くて、肌は艶やか。染みも黒子もひとつもない。年齢はさっぱりわからなくて、ただとにかく綺麗な人としか。
それから、綺麗なだけじゃなくて、何かゾクゾクするような独特の雰囲気を持ってる。えーと、上手く言えないけど、ミステリアスっていうのかな。綺麗に着飾った娼館のおねえさんたちですら霞むような存在感だ。世の中って広いな。
「あら、見慣れない女の子が。新入りさん?」
って、不意にあたしに微笑みかける。
とっさに返事ができなかった。急に花が咲いたみたいに空気が変わった。
女王陛下の声を聞いた時も、なんて自信に満ち溢れた綺麗な声なんだろうって思った。魔女さんの声は、なんだろう――陛下が太陽だとするなら、月みたいな妖しい魅力だ。
「は、はい。ミリザ=ティポットです」
緊張しながらようやく名乗ったあたしに、魔女さんはサラリと髪を揺らしてうなずいてくれた。
「私はテルシェ=ポルックス、ここで薬草学を研究しているの。通称『魔女』なんて呼ばれてるわ」
「えっと、テルシェさんって呼ばせて頂いてもいいですか?」
「ええ、どうぞ」
「テルシェさん、すごく美人だからそんな風に呼びたくなっちゃうのもちょっとわかります」
あたしが正直にそう言うと、テルシェさんはほっそりとした指を口もとに添えてコロコロと笑った。うっすらとピンクに染まった指先まで綺麗だ。
「そう? 一応ありがとう」
同性のあたしですらドキドキしちゃうよ。あ、もしかして、ディオンが陛下に微妙な距離感保ってるのはテルシェさんのせいだったりする? だとしても驚かない。あたしのことガキとかすぐに言うのも、こんな人と知り合いなら仕方ないのかもとも思っちゃう。
「立ち話させてごめんなさいね。さあ、中にどうぞ。ご用件をお伺いするわ」
って、テルシェさんはうっとりするような目線の使い方でディオンに言った。
「ああ」
ディオンは素っ気なく答える。ゼノンも特に鼻の下を伸ばしてるわけでもないんだけど、こんな美人を前にしてその反応、どうなんだろ。内心では絶対ドキドキしてるよね?
なんてあたしが考えてると、テルシェさんはそっと背後を振り返ってそれから言った。
「エセルバートくんはいないのね」
その名前にあたしはギクリとした。でも、ディオンはやっぱり平常心を保ってるのか表情を浮かべなかった。
「そうだな、そのうち来るかも知れないが」
そ、そうかな? 来そうにないよ、あれ。
でもさ、ここまでの美人さんにエセルが会いたがらないって、怪しいよね。
は、もしかして初恋の人? フラれた? ――とか邪推してみる。
あながち間違ってもなさそうなんですけど。
「あらそうなの?」
フフ、と小さく笑ってテルシェさんは家の扉を開いた。中からは薬草のにおいが強く感じられた。




