⑩騙し討ち
その日、魔女の住む孤島にヴァイス・メーヴェ号が到着したのは曇りの空の下だった。
「あ、見えて来た」
あたしは昼食の後片づけをしながら厨房の窓から見えた島の様子に胸を躍らせた。
でも、マルロはすっごく不機嫌。何でかって言うと――。
ディオンが上陸を許可してくれなかったから。船員はほぼ船に留まるように命じられた。上陸して魔女に面会するのは、ディオンとゼノン、ファーガスさん。エセルは自分からお断りって言ってたけど、どうなんだろ?
で、あたしはというと、ディオンが珍しく、来たければ来いって言ってくれた。あんまりにもあっさりと言うから拍子抜けしたくらい。
なんでだろと思ったけど、まあいいや。行きたいから行くって答えた。
あの島には港なんてちゃんとしたところはないみたい。一見してゴツゴツした黒い岩ばっかりなんだけど、それでも接岸できるポイントはあるんだって。
「じゃあ、行って来ます」
マルロにそう言うと、嫌そうに顔をしかめた。一応、連れて行けない理由を直々に説明されたらしいけど、納得はしてないよね。あたしが連れて行ってもらえるのって、相手は魔女だから女同士でいいかってことかな。
「ファーガスさん、あたしパルウゥスたちに挨拶してから行きますね」
すぐ帰って来るとは思うけど、一応声だけかけて来ようかなって。
「ああ、わかった。先に甲板で待っているよ」
急いで下層のヴェガスたちに今から上陸することを伝えると、すごく心配された。でも、大丈夫だからと笑っておいた。みんな心配性だもん。嬉しいけどね。
タタタ、と急いで階段を駆け上ると、階段を上がり切ったすぐそこにエセルがいた。
「あ、エセルは行かないんだったよね」
念のために訊いてみると、エセルはニコリともしなかった。
「行かないよ」
そう言ったかと思うと、あたしの手首を急につかんだ。ドキリとするほどに急で、痛い。
「ミリザもあんなところへは行かない方がいい」
「……なんで?」
あたしはその手を振り払おうとしたけど、簡単には外れない。痛いってば。
エセルはキュッと顔をしかめた。
「あんな女には会わない方がいい。ミリザには毒されてほしくないからね」
毒されてって、どんな!?
ファーガスさん魔女さんのことべた褒めだったよ? ディオンだって悪くは言ってないのに。
「そんなこと言われたら余計に興味が……」
つい本心を口にしちゃった。エセルの表情がいっそう険しくなる。
「身を滅ぼすよ?」
だから、どんななんだって!?
どうしようかな? このままじゃ行けない。でも、このエセルの様子って、あたしのこと心配してるの?
だとしたらちょっと悪いけど、でもあたしがどうするかはあたしが決めるんだから。
ぐいぐいと腕を振るいながらも外れないエセルの手をどうするべきか考えた挙句、あたしはひとつ嘆息した。
「……わかった。行かない」
そうつぶやくと、エセルの手がぴくりと反応した。あたしはにこりと笑ってエセルを見上げる。
エセルは予測できなかったのか、驚いたような目をした。あたしはそのままエセルの胸もとにぴたりと寄り添う。
いつもかわしてばかりのあたしが自分から飛び込んで来たことにエセルは少し戸惑ったのかも。あたしはその手がゆるんだ一瞬を見逃さなかった。今度は裏腹にエセルの胸板をドン、と突き飛ばす。そして距離を取って振り向きざまに舌を出した。
「なんてね」
エセルがぽかんとした表情を見せたことがちょっとおかしかったけど、すぐに真剣に苛立った顔に変わったからあたしはそのまま背を向けて慌てて逃げた。
うわ、次に会った時が怖いな。でも、馬鹿正直に押し問答してたって外れないんだから仕方ないじゃない。
何をそんなに嫌がってるのか知らないけど、ごめんってば。
あたしが息を切らして甲板まで駆け上がっても、もうエセルが追って来る気配はなかった。ぜえぜえ言って肩で息をしてると、ディオンは涼しい顔で言った。
「急いで来た姿勢は伝わるが、それでも待たすな」
「ご、ごめ、ん」
「まあいい。行くぞ」
と、ディオンは船員に指示を出して跳ね橋を下ろし始めた。ギリギリとハンドルとゼンマイの動く音がする中、あたしはふぅ、と額の汗を手の甲で拭った。その時、ゼノンの視線があたしに刺さった。
「ミリザ」
「うん?」
「手首、どうしたの?」
そのひと言に、あたしはギクリとした。慌てて見ると、エセルにつかまれた指の跡がくっきりと残ってる。思いきりつかむから!
「あ、うん、ほんとだね」
あたしはぼかして笑ってごまかしたけど、ゼノンはちゃんとした答えが返らなかったから、もやっとしたままだったのかも。全然笑わなかった。
別に隠すようなことじゃないんだけどね、とっさに上手く言えなかった。エセルが理解不能だから悪いってことで……。




