③そういうこと
コンコン、とあたしは料理の乗ったトレイを手に船長室の扉をノックした。
「入れ」
素っ気ない返答があって、あたしは扉を開いた。マルロじゃなくてあたしが来たことに、ディオンは椅子に腰かけたまま片眉を跳ね上げた。
「だってファーガスさんに、たまにはマルロにもパルウゥスたちと接する時間を増やしてあげなさいって言われちゃったんだもん」
正直に言ったら、呆れたような目をされた。
「お前な、船長に食事を運ぶ仕事をハズレくじのように言うな。まったく、いい度胸だ」
あら? そんなつもりはなかったんだけど。
仕方ない。あたしはニコニコと愛想を振り撒きながらディオンのテーブルに食事のトレイを置いた。
「はい船長、今日はヴィシソワーズとバターライス入り鶏の蒸し焼きサラダ添えでございます」
白々しいなとでも言いたげな視線に構わず、あたしは笑顔を保つ。そして、ここも正直に言った。
「宿題はまだ終わってないけど、ずっとパルウゥスたちと同じ部屋で寝泊りしてたんだし、上達はしてるんじゃないかなぁ?」
その途端、ディオンはあたしの目を青い瞳で射るように見据えると、流暢な発音でエピストレ語を放った。
「Είσαι ηλίθιος?」
う。
「Μελέτη δεν θα πρέπει να είναι τεμπέλης」
うぅ。
ディオンは嘆息すると言い直した。
「お前はバカか? 勉強は怠るな」
ああ、わざわざ翻訳されても腹立つけど。
でも先生は先生だし、ここは素直に謝るか……。
「Νιώθω άσχημα」(申し訳ありません)
そこで納得したのか、ディオンは皮肉な感じで一笑した。
「まあいい、お前には少し話があった」
話?
そう言われてあたしは少しドキリとした。
ディオンは海賊だけど貴族の令息。お父さんの領地パハバロス島を、体の不自由なお父さんに代わって守ってる。そんなディオンは女王陛下のお気に入りでもある。近すぎない距離の駆け引きを楽しむ二人を知ってから、あたしはディオンが住む世界の違う人間だって再認識した。
あたしの知らない事情が、まだまだたくさんある。
そう思い始めた頃に話があるなんて言うから、ちょっと身構えてしまいそうになる。
やっぱりね、知らない方がよかったな、なんて思えることもあるから。女王とディオンのこともそう。
知らなかった方が意識しないで自然にいられたから。
もしかするとディオンは、あたしがこんな口利いちゃいけないくらいにもっともっと偉い人になるのかも知れないんだ、とか。
そう思うと以前以上の壁を感じる。それを覚られないように笑顔で隠した。
「何? でも、話し込んでると料理が冷めちゃうよ?」
出来立てを食べてほしいのも本音だからそう言った。ディオンにとってそんなことは大した問題じゃなかったみたいで、構わず会話を続ける。
「魔女――テルシェのところに行くに辺り、エセルは当分ムシャクシャするだろう。だから、お前は容易にエセルに近づくな」
げ。
あたしは自分の顔が思わず引きつったのを感じた。
「何があったんだか知らないけど、あたしとばっちりじゃない?」
「そうだ。だから近づくなと警告してやっている」
なんか偉そう。
警告してくれるのはありがたいけど、事情の説明をしてくれる感じでもない。そして、訊いても教えてやらないって空気。
エセルには色々と仕掛けられた苦い過去もあるし、不安だけど。まあ、夜はヴェガスたちが一緒だからあたしから近づきさえしなければ大丈夫かな?
あたしが疲れた様子でため息をつくと、ディオンはそれから、と更に続けた。
「この先の航海で何かが起こったとしても不思議じゃない。気は引き締めておけ」
「へ?」
漠然と、とんでもないこと言われたような?
「何かって、何?」
恐る恐る訊ねてみると、ディオンは眉根を寄せた。
「聞かない方がいいぞ。夜、寝られなくなる」
うわー、やだなー。
「じゃあ聞かない」
あたしは即答した。
「賢明だ」
と、珍しくディオンにも褒められた。
ニッと不敵に笑ってる。あたしはそんな笑顔から逃れるようにして扉の方に向かった。
そうして、一度だけ振り返る。
「お皿は後で取りに来るから、ごゆっくり」
「ああ。まあ、そういうことだ」
そういうこと、ね。
極力気をつけます。




