㉑一件落着
ああ、つっかれた。
あら? なんか空が明るいような?
もしかしてもう明け方なの?
時間の感覚がまったくなかったな。
あたしは酒場の外に出た途端に大きく伸びをした。そんなあたしに、ゼノンが厳しい顔をしてすかさず言った。
「ミリザ、前のボタン留めなよ」
「あ、ほんとだ」
いそいそとボタンを留めるあたしにエセルがいつもみたいな軽口を飛ばすかと思ったら、意外になんにも言わなかった。
ただ、ディオンが不機嫌極まりないドスの聞いた声で言う。
「オレの命令を無視して突っ走った挙句、ヤツらに捕まるとはどういう了見だ? まずはそれを説明してもらおうか?」
えーと……。
あたしとマルロはヘビに睨まれたカエルだった。
ここで余計なことを言ったら駄目だ。あたしは素直に謝った。
「ごめんなさい」
マルロもあたしに続いて頭を下げる。
そんなあたしたちに、エセルがクスクスと笑いながら言った。
「まあ、ミリザたちが捕まったおかげでセラスは船に戻って来なかったのかも知れないし、まったく役に立たなかったわけでもないよ。大体、ディオンが外出許可を出したのも事実だし、ゼノンが見失ったのも事実じゃないの?」
うわ、みんなが黙るしかない発言……。
ディオンがチッと舌打ちをした。
それからあたしを鋭く見据え、ディオンは言った。
「お前には機密のエピストレ語を教えている。お前の身はお前の判断だけで危険にさらしていいわけじゃない」
ああ、そうだね。あたしはディオンのひとつの手駒。
「うん、ごめんなさい」
更にしおらしく謝った。うなだれたあたしの肩にゼノンの手が乗る。すごく熱い手だった。
「とにかく、無事でよかった。俺のせいで怖い思いをさせてごめんな」
「ゼノンのせいじゃないよ? それに、マルロと一緒だったから全然怖くなんてなかったし。ね、マルロ?」
あたしがにっこりとマルロに微笑むと、マルロは嘆息してかぶりを振った。何その呆れたような顔?
ディオンはそれ以上あたしを責めるようなことは言わなくて、セラスに返さなかったイーリスライトの宝石のケースを片手につぶやいた。
「一度船に戻るぞ。それから陛下に報告に向かってから出航する」
あ、やっとなんだ。観光どころじゃなかったけど、王都は刺激的だったな。
ディオンは宝石を手に入れられて、また陛下の覚えがめでたくなるわけだ? これで私掠免許も島も安泰なの?
船に戻ったら、まずあたしとマルロはファーガスさんに叱られた。
なんだろ、一番怖かった。怒ってるファーガスさんって、怖い。笑顔がとんでもなく怖い……。
青くなってブルブル震えたあたしたちがようやく解放されたのは小一時間経ってから。それからあたしは同じように心配していただろうヴェガスに報告に行った。
あたしの無事な姿を見ると、みんないっせいにあたしに駆け寄って来た。
「ミリザ、あまり無茶をしてはいけない」
やっぱり、ヴェガスにも叱られた。
「うん、ごめん――」
そうしてことのあらましを語ったけど、どうやらディオンから簡単な事情は説明されていたみたい。驚いたりはしなかった。ただ、ヴェガスも厳しい面持ちで言った。
「君を案じる人は君が思う以上に多い。それを自覚することだ」
「うん……」
あたしがしょんぼりすると、ヴェガスはため息をついて言った。
「ゼノンは驚くほどにピリピリとしていたし、ディオンも自分のせいですまないと私たちに謝ったよ。心配していることだけはとても伝わった」
ディオンも?
意外だな。そう思うけど、正直に言うなら嬉しかった。
それから数時間後――。
ヴァイス・メーヴェ号は出航のための準備を始めて慌しかった。徹夜になっちゃったけど、寝てる暇もなかった。
そんな時、甲板にいたはずのエセルがいつになく慌てた様子で船長室に駆け込んだ。たまたま廊下にいたあたしとマルロはその異変に顔を合わせ、エセルの後を追って船長室に駆け込んだ。
「なんだ?」
軍服に着替えたディオンが不機嫌そうにエセルとあたしたちを見遣る。エセルはそんなディオンに言った。
「陛下のおなりだよ?」
「は?」
「陛下がすぐそこまで――」
まさか、この船に? 女王陛下が?
船の通路がとんでもなく騒がしくなった。顔を合わせるまでもなく、威圧的な空気がここまで押し寄せる。
「まったく、待てないお方だ」
ディオンはそんなことを言って嘆息する。
え、ちょっと、あたしたちはどうしたらいいの!?
うろたえたあたしとマルロの首を抱えるようにして、エセルは船長室の隣の宝物庫に身を潜めた。そこであたしたちは息を殺して時が経つのを待つ。
ドキドキと、胸の鼓動が治まらなかった。
カチリ、とノックもなく扉を開く音がした。複数の足音が船長室になだれ込む。カツン、カツン、とヒールの音を上品に響かせる歩みがあった。そうして――。
「ディオン、報告を聞きに来たわ」
それはよく通る、美しい女性の声だった。思わず聞き惚れてしまうような声は、やっぱり自信に満ちているからこそなんだろう。
「そのご様子だと、すでに多少の事情はご存知のようですが?」
対するディオンは、どこか平淡に感じられる。そんな口の利き方してもいいの?
すると、陛下はクスリと笑った。
「ええ、ヘイリーがセラスを連れて来たもの。でも、私はあなたの口から聞きたいの」
「……セラスの狂言だと、陛下は気づかれていたのではないですか?」
え? そうなの?
陛下は楽しげな声音で更に言う。
「そうね。確信まではなかったけれど」
「ご寵愛のセラスがあのようなことになり、がっかりなさいましたか?」
ディオンがそんなことを言う。不意に、陛下は心を掻き乱すような笑い声を立てた。
「セラスはその程度の男だもの。がっかりなんてしないわ。セラスを贔屓にしてみたのは、あなたを煽るためだと言ったらどうするの?」
ふぅ、とディオンが息をついた音が聞こえた気がした。
「陛下は罪作りですね」
「あなたがつれないからいけないのよ。いつになったらエレアと呼んでくれるのかしら?」
「そんな恐れ多いことはできません」
カタリ、と音がした。
「それがセラスの持っていたイーリスライトです。陽の光を受けると虹色に輝く。本物ですよ。どうぞお試し下さい」
「ええ、ありがとう。今度会う時はもっと甘い言葉をささやいてほしいものね」
「私はいつでも陛下を想っておりますよ」
「まあ、白々しい」
そう言いながらも、弾むような、初々しい少女のような口調だった。
そこからしばらく沈黙が続いた。なんとなく、二人が見つめ合っているような気がした。
こういう時、ディオンがどんな顔をしてるのか、あたしにはまるで想像ができなかった。どんな顔をして、いつでもあなたを想っているなんてささやくの?
陛下がセラスの狂言だって気づきながらも、平然とディオンに宝石を探すように命じたのは、ディオンを少しでも長くこの王都に留めておきたかったからなんじゃないかなって、あたしにはそんな風に感じられた。
ディオンは必要以上に媚びない。懐かない野生の獣みたいに。
だからこそ、陛下は従わせたくなるのかも知れない。困難だからこそ、その心をほしがるんだ。
ねえ、ディオンは誰も特別じゃないんでしょ? それは陛下でも同じ。
ディオンを支配できる人なんていない。たった一人に心を奪われるようなことはない。
たくさんのものを抱えて生きるディオンだから、愛とか恋とかそんなものはとてもちっぽけ。そんなのは手段に過ぎないのかも知れない。
あたしは宝物庫の中でぼんやりとそんなことを考えた。
【 Ⅲ・宝石と恋人と女王陛下 ―了― 】
以上でⅢは終了です。
お付き合い頂きありがとうございました!




