⑳賭け
それから事態が動いたのは、あたしが予測したよりもずっと早かった。
深夜になって、外がぎゃあぎゃあわーわーうるさかった。でもそれはここが酒場だからだって思ってた。チンピラが馬鹿騒ぎしてるんだって。
そうしたら、ちょっと違ったみたい。バタバタバタって慌しい足音がして、あたしたちが閉じ込められている倉庫の鍵が外された。バンって乱暴に引き戸を開いたチンピラは、薄暗い中にいたあたしとマルロの腕を乱暴につかんで立たせた。いったいなぁ。
顔をしかめたあたしたちに構わず、チンピラは怒鳴った。
「来い!」
よくわかんないけど、出してくれるならまあいいや。あたしとマルロは素直に従った。
――で。
何この状況?
あたしたちは酒場の従業員用の出入り口に立ったまま呆然と中の状況を眺めた。事態を把握するのにちょっと時間がかかった。
だって、酒場のカウンターに店の主みたいにして座るヘイリーと睨み合ってるのは、ラフな平服姿で佇むディオンだった。傍らには無表情のゼノンとエセルがいる。
あたしが驚いたのは、ディオンたちがそこにいることじゃない。フタが開いたケースに収まってる、あのイーリスライトのネックレスをディオンが持っていること。もしかして、あれが本物?
あたしたちよりも遅れてセラスが中に入って来た。ディオンはあたしたちを一瞥すると、それからセラスに不敵な笑みを向けた。それはゾクリとするような艶やかさだった。
「セラス、盗難に合った宝石を見つけてやったぞ」
「な……」
セラスの綺麗な顔が蒼白だ。唇はわなないて紫色になってる。
「どこで、とでも訊きたいのか?」
嘲笑いながらディオンが言う。ヘイリーはセラスの様子に目をやると嫌な笑みを浮かべた。
「ああ、聞きたいね」
ディオンは人の神経を逆撫でする調子で口を開く。
「セラスの船の中だ。大事にしまってあったぞ」
やっぱり。
でも、どうやって中に入ったの?
そんなあたしの疑問は、ディオンのそばで意味深に微笑んだエセルを見て氷解した。
きっと、エセルが商売をする女の人に頼んで手引きしてもらったんだ……。
セラスは足もとが覚束ない。地位も名誉も全部失くしちゃうかも知れないのかな。人を陥れようとなんてするから、そんなの自業自得だとは思うんだけど。
ただ、不気味なのはヘイリーだ。片棒を担いでたセラスのピンチに少しも動じない。むしろ薄ら笑いを浮かべてどっしりと座ってる。
――この状況、ヘイリーには何の不都合もないんだ。
このままセラスが失脚すれば、ヘイリーの得にもなる。もしくは、セラスの嘘を暴かずに、このままあたしたちに偽証させてディオンを窃盗犯に仕立ててもいい。
セラスに恩を売って助け、ディオンを陥れる?
ディオンと一緒にセラスを失脚させる?
ディオンは陛下に二人が結託しての狂言だったって事実を告げることもできるけど、陛下が二人を同時に手放そうとされるかはわからない。ディオンとしては、ことを大きくするよりも紛失した宝石を見つけたっていう功績だけを陛下に示せれば十分なんだ。
さあ、三人はどうするの?
ややこしい。めんどくさい。
あたしはしみじみそう思った。
すると、ヘイリーはセラスなんてお構いなしにディオンに言う。
「ところでこのガキ二人はお前の手下なんだろ?」
ギク。あたしとマルロが固まっていると、ディオンは嘆息した。
「まあな」
あっさりと認めたディオンに、ヘイリーはにやりと笑った。
「俺としては、お前が陛下の周りをうろつくのは気に入らない。けどな、俺を出し抜こうとしたセラスも許せない。両方まとめて始末したいところだが、さすがに俺だけで両方を潰すのは骨が折れる。――そこでだ」
そう言って、ヘイリーが懐から取り出したのは賽だった。角が丸くて、黒地に白い丸が数を示してる。それを椅子にふんぞり返ってカウンターに転がした。そうして、ディオンに向けて言う。
「コイツで決着を着けよう。お前につくかセラスにつくか、すべては運次第だ」
そんなんでいいの!?
……ディオンたち海賊にとったら、運も実力のうち。こうした決着は不思議でもなんでもないのかな。
運に見放されたら、きっと海では生きて行けない。
チンピラたちがディオンの前にテーブルを置いて賭けの場を整え出した。椅子を用意され、ディオンはそれにどかりと座って脚を組んだ。ヘイリーもふんぞり返ってるし、態度のでかさだけはいい勝負だ。
「俺につくなら、まずは俺の手下を返してもらおう」
やった!
あたしとマルロが喜んだのも束の間、ヘイリーが冷ややかな声で笑った。
「それは賽の目次第だな。セラスにつくことになったら、このガキどもは俺とセラスで分けようか?」
げ。
ディオンのそばでゼノンが見たこともないくらいに鋭い目をしてた。ごめんね、たくさん心配かけちゃって。
何かディオンたちを見ていたら落ち着いて来た。
うん、きっとディオンたちは負けない。あたしはそう確信した。
無言のディオンに、ヘイリーは侮蔑を込めた声で更に言った。
「ま、俺はお前とは違って少年趣味はないからな。美少年を侍らせても嬉しくもなんともない」
そこでガハハハって、チンピラたちの嘲笑う声が渦になって上がった。ディオンは平然としてなんにも否定しない。相手をするつもりもないみたい。
でも――。
あたしがアッタマ来た!
そして、頭に上がった血がスゥッと下がる。あたしは真顔でカウンターの内側に進むと、そこからカウンターの上に靴のままで上ってやった。みんながギョッとしてあたしを見てる。行儀が悪いとか、今はそういうこと言わないでよ。
あたしはずっと被りっぱなしだった帽子を脱ぎ捨てた。赤い髪が零れて肩から背中に流れる。帽子を放り投げると、今度はベストとシャツの前を思い切って開いた。布を巻いて潰している胸もとがあらわになる。あたしはバサリとシャツの裾を払って、そうして堂々とカウンターの上に脚を組んで座り込んだ。そして、膝の上に頬杖をついてにこりと、できるだけ妖艶に笑ってみせた。
「えっと、誰が少年でしたっけ?」
みんなが呆然とする中、ディオンだけは明らかに苛立った顔であたしを睨んだ。慎みが足りないって?
だって、ディオンがあんな風に馬鹿にされてるのすっごく気分悪かったんだもん。
ヘイリーはヒュウって口笛を吹いた。
「肝の据わった女だな。賽の目次第ではお前のことは俺がもらい受けようか」
え、お断り。でも、そんな心配は要らない。
あたしは堂々と言ってやった。
「ええ、どうぞ。でも、ディオンが賭けに負けた場合ってことですよ」
「だから?」
「イカサマなんてだっさい真似しないでしょ? だったら、ディオンは負けないからそれはあり得ないってこと」
根拠? そんなの知らない。あたしの直感。
ディオンは負けない。そんな無様なディオンは想像できない。
ね、そうでしょ?
あたしはにこりとディオンに微笑みかける。すると、ディオンもゾクゾクするくらい不敵に笑った。
うんうん、そうだよね。
運も人間もすべて引き込む、そんな命の輝きをあたしはディオンの中に見てる。きっと、女王陛下もそうなんじゃないかな? その強い輝きが、ディオンを信じる根拠って言えるのかも。
ヘイリーは少しゆとりのない顔を笑いでごまかして賽を握った。そうして、テーブルを挟んだディオンの正面の椅子にドカリと座り直す。
「目の数は? 奇数か偶数か?」
ディオンは余裕でふんぞり返りながら答えた。
「偶数だ」
なんとなく、ヘイリーの背中が揺れてる。もしかして、緊張してる?
もうすでにディオンの持つ空気に呑まれてる。
あたしは膝で頬杖をついたままその賭けの行方を見守った。
カランカラン、とテーブルの上を賽が滑るように転がる。まるで命があるかのように動く賽の出した目は、『2』だった。
「――偶数、か」
ヘイリーのため息まじりの声に、テーブルを囲む男たちのざわめきが被さった。
ここでヘイリーがイカサマをしなかったのは、ヘイリー自身のためだ。ディオンの強運を計りたかったんだと思う。敵に回していい相手か、否か。
セラスはその場に崩れるようにして座り込んだ。欲張るからこういうことになるんだよ?
あたしはカウンターから下りると、少し戻ってマルロの手を引いてディオンたちのもとへ歩んだ。そして、にこりと笑う。
「ただいま」
ディオンは何も言わずに鼻で笑っただけだった。




