⑮下町
「下町、か――」
ゼノンは考え込むように言った。あたしはこくりとうなずく。
「うん。ゼノンはそのセラスって人を見かけたことある? どんな容姿?」
女王の恋人って呼ばれるくらいだから、それなりに見目がいいのはわかってる。
「まあ、何度か会ったよ。癖のない金髪に藍色の瞳で、割と細身だ。外見にはすごく気を配るタイプだから常に上質の衣装を着てるね」
ナルシストっぽいね。ディオンとは明らかにタイプが違うような?
ふむふむ、とあたしが考え込んでると、ゼノンは難しい顔をしてあたしを見下ろしていた。
「ミリザ、下町に行こうとか言い出すの?」
「え?」
そりゃあ――と言いかけて飲み込んだ。ゼノンの顔に『駄目』って書いてある。
「下町なんて治安の悪いところにはさすがに連れて行けないよ」
いや、心配してくれるのはありがたいんですけど、それじゃあ話が進まない。
「あのさ、あたし下町生まれなんですけど」
思わずぼやくと、何故かマルロが、ああ、どうりでガサツだと思ったとかつぶやいてる。コイツ……。
あたしはふぅ、とため息をついた。
「手がかりはこうしている間にも逃げちゃうんだよ?」
そのひと言に、ゼノンは怯んだ。
「それは……」
「情報は生モノ! さあ、行くよ」
と、あたしはゼノンの腕を抱え込むようにして引いた。マルロも反対側のゼノンの腕につかまった。
マルロはちょっとだけ不安だったのかもね。
「え、ちょっと……」
有無を言わさず、あたしたちはゼノンと大通りへ向かった。
「ディオンたちも情報は集めてるんだろうけど、下町じゃなさそうだよね」
あたしが大通りに行き着く前の人々眺めながらなんとなく言うと、ゼノンはうなずいた。
「ディオンは上流階級の方を当たってる。エセルはどういうルートかわからない。ファーガスたちも買い物の時には色々訊いてくれたらしいけど」
エセルはわからなんていうけど、ほんとはわかってるでしょ。女の人。言い難かっただけだよね。
さてと。
こんな時だけど、初めて歩く王都の様子にあたしはドキドキと胸を躍らせてた。
手前にかかるアーチ上の石橋を渡る。古い感じがまた歴史を物語ってていいな。
きょろきょろと周囲を見ると、道の隣には水路があって、そこを優雅に行き交う小船がある。綺麗なレースの日傘を差した貴婦人や紳士がそれに乗ってる。馬車よりもスムーズだよね、あれ。ごった返す往来を見渡して優越感に浸ってそう。
大通りは広いのに狭っ苦しく感じられる人の群れだった。上を見上げると、道の入り口にちゃんと道しるべがあって、大通りをまっすぐ南に下って右に折れた先が下町の入り口だって書いてあった。
よし。
ゼノンはまだあたしたちを下町に連れて行くことをためらっているみたいだったけど、あたしたちはグイグイ引っ張って人ごみを歩いた。そうして、その人ごみが切れたのは、下町の入り口の路地に来た時。
建物と建物の間の隙間。ここだけ急に世界が違うみたいに感じられた。陰になってるせいかちょっとひんやりしてて、空までかげったように感じられた。
あたしたちはしっかりと捕まえていたゼノンの手を離して歩く。
ところ狭しと干された洗濯物や、なんとなく漂う醗酵したようなにおい、騒々しいような声。お上品な人たちが顔をしかめるものがここには溢れてる。あたしは――少しだけ懐かしいと思った。
郷愁なんてものじゃない。ちょっともやっとしただけ。
しばらく歩くと、路地の先が広がった。そこにはいくつかのお店が並んでる。くたびれた看板を見ると、大衆食堂だね。大通りみたいに小洒落た店じゃなくて、もっと安くで食べられるような店なんだと思う。その他には雑貨屋、質屋、八百屋、色々。
下町って言っても、やっぱり王都だもん。あたしが住んでたような町とは規模も違うみたい。すごく奥が深い感じがする。
あたしは気を引き締めてゼノンを見上げた。
「ね、どこかお店に入ってみる?」
「うん……」
気乗りしない風にゼノンが返事をする。
あたしたちはそのまま歩いた。すると、見慣れないあたしたちを見る人たちの視線が不躾に刺さった。
えっと、一番浮いてるのってマルロかな。育ちの良さそうな美少年だもん。下町に全然溶け込めてないなぁ。
そうしてると、やっぱりガラの悪い男の人たちがあたしたちの前にズルズルと立ち塞がった。ゼノンは立ち止まるとあたしたちを背に庇う。あらら、だらしない三人組。若いんだけど目が荒んでる。
ゼノンなら負けないと思うんだけど、ここであんまり騒ぎを起こしちゃまずいよね。
さて、どうしようか?




