⑤選択肢をもうひとつ
あの親のために体なんか売れない。だから逃げた。
でも、あたしはあたしのためにならそれくらいできる。
これが、なんにも持たないあたしが、自由を手に入れるために支払う対価だ。
海賊相手に啖呵を切ったあたしに、エセルさんはヒュウ、と口笛を吹いた。すると、好青年風のお兄さんが強張った顔で言った。
「あの、君、意味わかって言ってる?」
「もちろんです」
「……目が据わってるんだけど、自棄になってない?」
じゃあ他にどうしろって言うの?
あたしはその場に正座して、どうぞと言って目を閉じた。
大丈夫、これくらい平気――それだけを呪文のように心で唱えて、あたしは破裂しそうな心臓を押さえ込む。
そんなあたしに誰かが近づいた。そっとまぶたを開くと、ディオンさんの手があたしに伸びた。もう一度まぶたを固く閉じると、いきなり首根っこをつかんで立たされた。いやいや、ここで怯んじゃ駄目だ。
あたしはそのままディオンさんの胴に抱きついた。どちらかと言えば細身だけど、触れてみるとしっかり筋肉がついていてる。
わらわらとどこからともなく見物する船員が増えてて、おお、と声が上がった。一体何人いるんだろ、この船。あー、もう知らない、聞こえない!
ドキドキしながら頬を寄せると、ディオンさんに再び首根っこをつかんで引き離された。しかも、すんごい怖い顔で凄む。
「できもしないことを。オレはお前みたいな世慣れた女を装うガキは大嫌いだ」
言うにこと欠いてそれか!
「そんなこと言うなら、選択肢増やしてよ! せめて掃除洗濯料理の労働で払えとか!!」
敬語が飛んじゃったのはこの際仕方ない。
そんなあたしの様子をちょっとだけ憐れに思ってくれたのか、おじいさんが口を挟む。
「ディオン、その娘にはワタシの手伝いをさせよう。何、ワタシが見張ってるから、エセルは近づけないようにするよ」
「え、それひどくない?」
エセルさんがそんなことを言う。そうか、この人が一番の危険人物なんだ。
ディオンさんはこのおじいさんには少しだけ素直だった。
「ファーガスがそう言うなら……」
おお、助かった! おじいさん――ファーガスさんに後光が差して見える。年齢にしては体もがっしりしてるけど、海賊っぽくない優しいおじいさんだ。
潤んだ瞳で見つめたあたしに、ファーガスさんはにっこり笑顔で言った。
「ちなみに、役に立たなかったらサメの餌だよ?」
「……はい」
海賊なんて……。
あたしはがっくりと項垂れた。
☠
ファーガスさんに連れられて、あたしは船の内部へと入る。階段を降りるあたしの背中を監視するように張りついているのは、不機嫌そうな美少年だ。笑うと可愛いはずなんだけどな、よっぽどあたしが嫌なんだろうなぁ。でも、コミュニケーションを取る努力は怠っちゃいけないよね?
あたしは笑顔を向けて美少年に言った。
「ねえ、あなたの名前は?」
「マルロ=アケルナル」
睨まれたけど、答えてくれた。
「マルロ、ね。ねえ、マルロも海賊になるの? まだ若いんだし、選択肢はいっぱいあるんじゃない?」
海賊船に乗ってるんだからそのつもりなんだろうけど、この可愛い顔に荒事なんて似合わないよ。
でも、そんなあたしの言葉がマルロはすごく気に入らなかったみたい。更に睨まれた。
「ボクはディオンみたいな立派な男になりたいんだ。お前にそんなこと口出しされたくない」
「あ、ほんと? ごめんね」
軽く謝っておいた。
すっごい熱っぽく言うから。でも、ディオンさんみたいなって、止めといた方がいいんじゃないかなぁ。言うと怒るから言わないけどね。
そんなあたしたちのやり取りをファーガスさんが笑った。
「マルロはディオンに心酔しているからな。おかしなことは言わない方がいいぞ」
ほんとにそう。あたしはあはは、と笑ってごまかした。
ファーガスさんがあたしを連れて来たのは、どうやら厨房だ。吊るされた干し肉や香草がまず目に入った。カゴや木箱の中には大量の芋とか保存の効く根野菜が入ってる。でっかい寸胴鍋やうずたかく積み上がった木皿から、日々の食事風景の凄惨さが思い浮かばれる。男ばっかり何十人もいたらそうなるよね。
「ファーガスさんは食事係?」
あたしがそう訊ねると、ファーガスさんは笑って首をかしげた。
「食事係兼、船医だな。なんせ人手不足でな。怪我人がいない時は食事の支度だ」
「ふぅん、大変ね」
「他人事のように言っているが、君は今からそのワタシの助手だ。マルロは先輩だな」
まだ子供のマルロは戦闘には参加しない。こうして雑用をこなして学んで行くのかな。
「足引っ張るなよ」
マルロはあたしにそう吐き捨てた。可愛いけど可愛くない……。
「了解。じゃあ、何からしましょうか?」
「そうだな、まずは芋の皮むき。基本だろう?」
ファーガスさんはにこりと笑ってあたしにカゴを差し出す。うん、基本だけど量がすごいよね。まあいいけどさ。
酒場や食堂の下働きもマルロよりずっと小さい頃からして来てるからね。皮を入れるカゴと剥いた芋を入れるカゴをそれぞれ用意し、あたしはそこにあった丸椅子に腰かけた。ナイフを受け取ると、ひとつ深呼吸して剥き始める。芋を撫でるようにしてナイフを滑らせる。手に芋が留まる時間は数秒。次々と目が回るほどの速度でがむしゃらに芋を剥く。そんなあたしを、二人はぽかんと見てた。
「慣れたもんだな」
ファーガスさんが感心してくれた。うん、実際慣れてるから。
仕事はね、奪い合い。他人よりも優れた自分じゃなきゃ。どちらかしか雇えないってなった時、自分を選んでもらえるように、役に立つってところを一生懸命に見せて自分を守らなきゃ。
マルロは面白くなさそうだった。のろのろと仕事をするあたしにイヤミのひとつでも言いたかったのかもね。ただ、ファーガスさんも動き出したから、マルロもあたしに構ってるゆとりがなくなったみたい。
そうして三人で作り上げたビーフシチューは美味しそうな匂いを振り撒きながら出来上がった。そういえば、あたし丸一日何も食べてない。あたしも当たるよね?
そんなことを考えていたあたしに、ファーガスさんは別の鍋に取り分けたシチューを指さす。マルロは皿とスプーンを用意していた。テーブルに並べるのではなく、持ち運ぶためのトレイに乗せている。
あれは、誰の分? 持ち場を離れられない人たちの?
「さて、次の仕事だ。マルロと一緒に漕ぎ手たちのところに食事を運んでくれ」
「はーい」
返事はしたものの……。
漕ぎ手。あれ? 漕ぎ手って、まさか奴隷ってこと?
ハッとして顔を強張らせたあたしを、マルロがクスリと笑った。