⑤賑やかな船旅
今回の旅は狩りじゃない。王都へ向かう船旅だ。だから穏やかなものだった。
乗組員たちも気が張っているわけでもなくて、どこかゆったり楽しんでる感じがする。
夜になって、夕食の席になると、あたしたちが昼食の後片づけを終えてすぐに用意した骨つきのスペアリブと野菜をじっくり煮込んだラタトゥイユはすぐさま消えた。
「もうちょっとゆっくり食べなよ。苦労して作ったのにさ」
マルロがそんなことをぼやいたのも無理ないよ。船員たちはがははと笑った。
「うん、美味かったよ」
その中の一人、ええと、確か名前はロランだったかな。二十歳くらいの逞しい人なんだけど、その人はスペアリブでギラついた手を拭きながら後片づけをするマルロに言った。
「なあマルロ、一曲だけでもいいから弾いてくれないか?」
そのひと言にあたしは動きを止めた。
「弾く?」
すると、ロランは笑った。
「ミリザはまだ聴いたことねぇのか?」
よくわからないけど、多分ない。
「うん」
すると、ロランはマルロをちらりと見遣って口の端を持ち上げた。
「ほら、ミリザにも聴かせてやれよ」
マルロは何か渋るように眉根を寄せた。そんなマルロにファーガスさんが言う。
「ディオンの許可が出ればいいだろう?」
「わかった。ちょっと訊いて来る」
そう言ってマルロは後片づけもそこそこに、食堂を出て行った。よくわからないけど、曲って言うからには何かを演奏するんだよね?
とりあえずあたしはみんなの食べた後の食器を集め、テーブルを綺麗に拭いて回った。そうしてるとマルロが戻って来た。その手には剥き身のヴァイオリンと弓があった。誰かがヒュウ、と口笛を吹いた。
「ディオンがいいって言ってくれたから、一曲だけ。ボクだって忙しいんだからな」
そうは言うけれど、どこか嬉しそうに感じたから、照れ隠しかな。マルロ、ヴァイオリンなんて弾けるんだ? すごいなぁ。
カチャカチャと後片づけをしていたあたしの手を、ロランが引っ張った。
「ミリザ、後片づけなんて置いといてこっち来いよ」
「あ、うん」
あたしも忙しいんだけど、まあマルロの演奏には興味があるからいいか。
みんな、テーブルを脇に寄せ、マルロを囲むように椅子を配置する。マルロは顎にヴァイオリンを挟み、ィイイって音を出してる。チューニングってやつかな?
それで納得の行く音が出るようになったのか、マルロは一度弓を下ろすと、すぅっと息を吐いた。そして、次の瞬間には――。
ティーリリティーリリ――楽しくて軽快で、でもどこか切ない弦楽器の調べ。みんながその音に吸い寄せられる。大きな手拍子と歌声。足を踏み鳴らし、曲が盛り上がれば椅子を蹴飛ばして踊り出す。胸を躍らせて聴き入っていたあたしを誰かの腕が立ち上がらせた。そうして、みんなが代わる代わるあたしの手を取ってクルクルと踊らせる。あたしのスカートがそのたびに曲に合わせてふわりと浮いた。
マルロはあの小さな体からは想像もできないダイナミックな音と動きで場の中心になっている。きっと、マルロ自身も気持ちよく演奏してるんじゃないかな。みんなの笑い声が明るく響いて、あたしもすごく楽しかった。
一曲って言ってたけど、結局三曲くらい弾いてくれたな。マルロは金髪を揺らして、最後の一音を締めくくった。みんなから盛大な拍手が寄せられ、船乗りたちの大きな手がマルロの頭をわしわしと撫で回す。マルロはうっとうしそうにしたけれど、やっぱり嬉しそう。
「マルロ、すっごく上手だった! すごいね!」
あたしがそう声をかけると、うっすらと汗を浮かべたマルロはそれを鼻で笑った。
「お前に音の良し悪しなんてわかるとは思えないけどな」
可愛くないけどそこが可愛い。マルロのこんな態度も最近はそう思えて来た。
「詳しくはないけど、楽しかったよ。ありがと」
ストレートな褒め言葉に弱いから、マルロはそっぽを向いた。よし、勝った。
「ねえ、今度パルウゥスたちにも聴かせてよ。きっと喜ぶよ」
自分がいいと思ったものはヴェガスたちとも共有したい。マルロはちょっと戸惑った風だった。
「パルウゥスに?」
「うん。お願い」
「……聴く気があるならな」
そうしてその次の日、あたしは下層の漕ぎ手座で忙しく働くヴェガスたちのところにマルロを連れて行った。エピストレ語ではまだ上手く伝えられないから、要所要所は普通に喋ってた。ヴェガスはそれで理解してくれるから。マルロは疑わしげにあたしを見てたけど、それでもちゃんと演奏してくれた。
思いのほかパルウゥスたちが真剣に聴き入ってくれるから、マルロも気持ちを込めて弾いてた。パルウゥスたちが口々に褒め称える言葉をあたしがわかる範囲でマルロに伝えた。マルロはくすぐったそうにしながらもぺこりと頭を下げた。
また聴きたいって言ってくれたら、やっぱり弾き手としては嬉しいよね。
こうやって少しずつマルロとパルウゥスたちの距離も縮まるといいな。




