③ヴァイス・メーヴェ号
王都への旅路へ出航するその朝、すっかり支度を整えて港へ向かったあたしを、ディオンはひどい仏頂面で迎えた。ゼノンやヴェガスたちがハラハラしてる。かなり嫌々だって見て取れるけど、まあいいや。
昨日の晩、ディオンは渋々、ほんとに渋々あたしに言ったんだ。パルウゥスたちがお前も一緒がいいってきかないから、今回だけは特別に連れて行くって。
フフフ、やった。さすがヴェガス! 頼りになるなぁ。
勝ち誇ったような笑顔のあたしを、ディオンは疑わしげに睨んでた。ヴェガスと交渉できるだけの高度なエピストレ語をあたしがまだ話せないことはディオンが一番よくわかってる。
とりあえずは笑ってごまかした。
「ミリザ。君が一緒で嬉しいよ」
そう言って両手を広げたのはエセルバートことエセル。男の人にしては綺麗な顔だけど、なんせ節操がない。
「あー、はいはい」
あたしはあたしを抱き締めようとしたエセルの腕を頭を低くして素早く掻い潜った。
その先には、ディオンに匹敵するほどの不機嫌さで待ち構えていたマルロがいた。金髪の美少年なんだけど、どうやらあたしのことが嫌いみたい。でもあたしは嫌いじゃないからいいんだけどね。
「なんでお前まで……」
面白くなさそうなマルロに、あたしはあは、と笑った。
ついでに言うと、波止場の遠くの方から遠巻きに見ているお嬢さん方もあたしが気に入らないっぽい。ちょっと視線がグサグサ来る。でも、気にしない気にしない。
「まあいいじゃない。よろしく、センパイ」
「ミリザにかかったらディオンもカタナシだな」
と、笑いを含んだ声で言ったのはファーガスさんだ。白髪眼鏡のおじいちゃん。船医兼料理係。すごく安心感があるんだけど、油断してるとグサリと来る言動を投げつけて来る。
あたしが密航した船を襲った海賊船。再びその時のメンバーでの船旅だ。なんか懐かしいなぁなんて思っちゃう。でも――。
「あれ?」
船を見上げたあたしにディオンは眉根を寄せた。
「なんだ?」
「船が……シー・ガル号じゃない?」
シー・ガル号はあたしが乗り込んだガリオット船。小振りだけど行き届いた綺麗な船だった。でもこれは、シー・ガル号よりも大きなガレー船。立派マストが高々と立ち並ぶ。水平に伸びた支柱――上方と後方。幾本ものロープが潮風になびき、折り畳まれた帆が今か今かと出航の時を待っているかのように感じられた。
最初にシー・ガル号に乗った時にはそんなの見てるゆとりもなかったし、見てもわからなかったんだけど、船にはふたつの旗が掲げられている。私掠船の証である赤い国旗と、ディオンの船である証、パハバロスの紋章の入った緑の旗が風に揺らめく。国旗は隼、パハバロスの旗は鸚鵡が描かれてる。
ディオンは船を見上げるあたしに誇らしげに言った。
「これは『ヴァイス・メーヴェ号』だ。陛下にお会いしに行くには体裁も大事だからな。シー・ガル号の方が小回りが利いて気は楽なんだが」
用途に応じて船を変えるということらしい。確かに、同じ船ばかりを使い続けるとその分痛みは激しい。船を長持ちさせようとしたら、ゆっくりと時間をかけてメンテナンスするのも大事なのかも知れない。
「でも、漕ぐの大変なんじゃないの? ヴェガスたちは大丈夫?」
あたしがそう訊ねると、ディオンはあっさりと言った。
「今回は帆を張って風を使う。この船は二段櫂船だからな。風が止めば他の船員も総動員して漕ぐ。パルウゥスたちだけを酷使して辿り着こうとしてるわけじゃない」
その言葉を聞いて安心した。
「そっか」
こうしてあたしたちが話し込んでいる間、ヴァイス・メーヴェ号の甲板から乗組員たちが波止場のあたしたちを見下ろしていた。すごくうずうずしてる様子だった。彼らは根っからの船乗りなんだろうな。早く海へ出たいんだ。それが強く伝わった。
「……そろそろ出るぞ」
ディオンのそのひと言にあたしの胸は大きく高鳴った。
「はい、船長」
ディオンは船長であり、海と空を的確に読む航海士としての顔も持つ。
波止場から跳ね橋を渡り、そうして甲板に降り立つ。この感覚、すごく久し振りだ。
――わくわくする。それが今のあたしの正直な気持ちだった。
ディオンも陸にいる時よりもいっそう研ぎ澄まされたような空気をまとっている。この船に乗る者すべての命を預かる責任からかな。
すぅっと息を吸うと、高らかに声を張り上げた。
「碇を上げろ! 展帆用意! 括帆索を解け!!」
乗組員たちの野太い声が上がり、彼らは猿みたいに身軽にマストへ登った。ヴェガスたちは下層部の漕ぎ手座に向かったのか、姿はもう見えなかった。
ピンと張った真っ白なセイルが風とぶつかり、パンと大きな音を立てる。
いつの間にか、エセルが遠くで操舵を握っていた。そういえば操舵手だったっけ? 不真面目な印象しかないから忘れてた。
そうして、ディオンのひと際響く声が海原に響いた。
「出航!!」
わぁああああ、と船を揺らすほどの声がそれに答える。
海が、彼らを、あたしを受け入れる。
ゾクゾクと体が震えるのを感じた。どうしようもなく。
この感覚は、きっと味わった人にしかわからない。
なんだろう、ちょっと病みつきになりそうかも――。