⑬心から
「次に来るスタヒスにはなるべくゆっくり来るようにと言ってある。ディオンたちが来るまで、少しくらいは君と話す時間もあるはずだ」
ヴェガスは流暢にそう言った。エピストレ語じゃない。あたしたちの公用語だ。
確かに、ディオンがエピストレ語を操るように、パルウゥスがあたしたちの公用語を話せるようになっても不思議はなかったんだ……。
「ヴェガス、なんで? なんでディオンにまで内緒?」
あたしがうろたえていても、ヴェガスは穏やかに笑うだけだった。
「ディオンはもちろんよい青年だ。私も好ましく思っているよ。ただね、私たちの関係はビジネスとも言える。手の内すべてを見せるのはあまりよいことではなくてね」
そんなものなの?
「まあ、彼のことならもしかすると薄々気づいてはいるのかとは思うのだが」
確信もなしに踏み込めない。きっとそういうことなんだと思う。
もし関係が悪化して、パルウゥスたちの援護がなくなるとディオンも困るから。
「ねえ、そういえば出かけに、あたしに腹出して寝るななんて言った?」
気になったことを訊ねてみると、ヴェガスはクスクスと笑った。
「あれか。彼にもなかなか可愛いところがあるなと思っておかしかったよ」
何それ?
「まあ、そこは彼の顔を立てて伏せたままでおこう」
教えてくれないんだ……。
でも、ディオンにまで内緒なら、なんであたしには秘密を打ち明けてくれたのかな?
あたしの目が口よりも先にその疑問を訊ねてたのか、ヴェガスは答えをくれた。
「君は私たちに誠意を持って接してくれた。私たちを理解しようと努めてくれた。そのことに感謝を述べたいと思ったんだ。君の誠意に対する私なりの気持ちだよ」
そう言ってもらえて、すごく嬉しかった。じんわりと胸が熱くなる。
それを感じながら、あたしはそっと訊ねた。
「あたしがディオンにこのことを喋っちゃうとは思わないの?」
「思わない。君を信じる」
キラキラと信頼を込めた瞳でヴェガスはそう言い切った。
うわ、こんなの告げ口できるわけないよね。
「わかった。言わないって約束する」
あたしの返答をヴェガスは満足げに受け取った。
「そう言ってくれると思ったよ。時にミリザ――」
「何?」
「この島はどうだ? よいところだろう?」
「うん。とっても」
お世辞じゃなく、これは本心だった。
ヴェガスは優しく微笑んでいる。
「私たちにとってもそうだ。隷属させられている同胞たちのことを思うと申し訳ない思いでいっぱいになるほどに、ここでの生活は幸せだ。ミリザ、君にとってもここが安住の地となればいいのだが。君は何かから逃げているように見える。私にはそれが時折心配になるんだ」
「っ……」
唐突すぎて心構えがなかった。思わず言葉に詰まった。
賢いヴェガスにはそれだけで色んなことが伝わっちゃったんだろうな。
今更笑って――何それ? やだな、そんな風に見える? とか言っても白々しいだけだ。
それに、なんだろう、ヴェガスには不思議な安心感がある。包み込んでくれるあたたかな空気に、あたしは思わずぽつりとこぼした。
「逃げてる。……そう、なのかも。もう無理って思っちゃったから……」
こんなこと、言いたくない。言ったら駄目だと思うのに。
泣くな。涙なんてあたしには必要ない。
涙をぐっと堪えると、入り口の方にストン、と着地する音がした。どうやらスタヒスだ。ヴェガスは会話を止めなかった。
「私は君を諭すつもりはない。君が無理だと感じたのなら、それが極限だったのだと思う。私は君が心から笑えるように幸せになってほしいと願うだけだ」
ヴェガスに安心感を覚えるのは、ヴェガスがあたしを親身に心配してくれているからだ。それが強く感じられる。その優しさが、とても心強い。
「ありがとう、ヴェガス」
ヴェガスはこくりとうなずく。
「私たちは君の味方でいる。だから、困った時には頼ってほしい。それを伝えたかった」
「うん……」
この洞穴の輝く幻想的な風景よりも、ヴェガスの言葉はあたしの胸を打った。ギュッとまぶたを強く閉じたあたしの隣にスタヒスが立った気配があった。そうして、ヴェガスがそよぐ風みたいにつぶやく。
「もうじきディオンが到着する頃だ。お喋りはここまでだね」
ディオンなら確かにスルスル下りて来そう。
「エピストレ語の勉強、がんばるね。ヴェガスとはこうして喋れたけど、スタヒスたちとはまだだから」
二人はあたしを見上げて笑った。
そうして、軽やかな足音が洞穴の入り口の方から聞こえた。はい、ご到着。
もうちょっとゆっくり来てよ。
気持ちの整理がまだつかない。
――なんて、ディオンのせいじゃないんだけどさ。
泣きそうな顔してるって言われたら、ここの風景がきれいで感動したからとでも言っちゃおうかな。
失礼な返答されそうだけど。




