⑪彼はいけない
森林の中は日差しが木々に遮られるせいか、少し涼しくて快適だった。森って何か神聖で、人間は場違いな気すらした。歩きやすい場所ってわけじゃないけど、ここは結構楽しかった。
でも、そんな森林もそんなに奥深かったわけじゃなくて、ほどなくして抜けた。ああ、途端に眩しくて目が慣れない。
それにしても――。
「硝草って、すごいところに生えてるんだね。もっと採りやすいところに植え直せば?」
思わずそんなこと言っちゃう。だって、結構遠いよ?
すると、ディオンはあたしを小馬鹿にしたような目を向けた。
「そこら辺に生えてる雑草と同じだと思うな。そんなにも簡単に栽培できるなら、オレたちは海賊なんかよりも農作業で生計を立てるぞ」
農作業。うわ、似合わな――いやいや、いいんだけどさ、栽培は難しいんだ?
「少しくらいならまだしも、火薬にできるほどの群生地ってなるとね、そうそうないよ」
ゼノンもそんなことを言う。
「そういえばあたし、硝草って見たことないや。どんなのだか楽しみ」
ウキウキと弾むあたしのそばで、エセルはボソリと言った。
「硝草はね、引き抜く時に断末魔を上げるんだ」
「え?」
だ、断末魔?
「その声を聞いた者は命を落とすって言い伝えがあってね、古来犬の首に縄をくくりつけて草を抜かせて来たんだ」
なんて恐ろしい草……。
あたしはごくりと唾を飲んだ。エセルはにやりと笑って続ける。
「でも、大丈夫。今では稀にしか命を落とすことはないから」
「いや、あの、稀って……」
その稀に当たったらどうしてくれる――って、エセルがなんかニヤニヤしてる。と思ったら吹き出した。コイツ……!
「ごめん、冗談」
「悪趣味!!」
あたしが騒ぐと、ディオンが嘆息した。
「なんだ、今頃気づいたのか?」
そうでした。出会った時からエセルは悪趣味でした!
エセルは笑いすぎて浮かんだ目尻の涙を指ですくい取ると、楽しげに微笑んだ。
「やっぱりミリザは可愛いな。一緒にいて楽しいし」
ぐ。可愛いって言えば女の子は気をよくすると思ってない?
「楽しいのはエセルがあたしをからかうからでしょ! あたしは楽しくないし」
そっぽを向いたあたしに、エセルは手を伸ばした。
「そんな――」
けれど、その手を阻むようにスタヒスが間に入った。そして、ヴェガスが急いであたしの手を引いた。二人はニコニコと笑ってあたしと一緒に歩き出す。エセルが何か言いたげだけだけど、まあいいか。
「Αυτός παρακαλώ σταματήστε」(彼はいけない)
「Αυτός παρακαλώ σταματήστε」(彼はいけない)
二人そろって歌うみたいに同じことを繰り返してる。えっと、『彼はいけません』だったかな?
――何が?
そのまま歩くと、ふわりと風があたしの長い髪を撫でた。潮のにおいがする。
ようやく辿り着いたその場所は、行き止まりに見えた。
「ここ? この後どうするの?」
だって、ここは断崖だ。この先は切り立った崖と海原。岩壁にぶつかる波音がする。
あたしは周囲を見回したけど、それらしい植物はない。
すると、ディオンは崖に向けて歩み出した。わー、危ないって。
崖っぷちに何やらしゃがみ込むと、担いでいたリュックから取り出したのはロープだった。かなり頑丈そうな太めの。涼しい顔して担いでたけど、実は結構重たかったんじゃない?
よく見ると、その地面には大きな鉄製の杭が打ちつけてあった。その先端の輪にロープをきっちりと何重にもしてくくりつける。そして、それを崖に垂らした。……まさか?
あたしはちょっと血の気が引いた。
「もしかして、その下?」
ディオンはニヤッと笑う。
「そうだ。この崖の中腹の洞穴に生えている。この崖は、さすがにお前でも怯むか?」
ムッ。
カチンと来たあたしに、ゼノンが優しく声をかけてくれた。
「無理しなくていいよ。どうせ一人はここに残らないといけないんだし」
ここまで来て? そんなのごめんだ。
「これくらい大丈夫!」
「頼もしいなぁ」
と、エセルがからかうように言う。
心配そうなのはヴェガスとスタヒスだ。ヴェガスはスタヒスに何かをささやき、それからディオンに言った。
「Θέλω πρώτα θα πάει.Παρακαλούμε συνέχεια πήρε να έρθει να της.Θα είναι ασφαλής με αυτόν τον τρόπο?」(私が最初に行きます。次に彼女に来てもらって下さい。その方が安心でしょう?)
ディオンは静かにうなずく。
「Παρακαλούμε πράξουν」(そうしてくれ)
ヴェガスはにこりと笑うと、そのロープに手をかけてこちらを向いた。ハラハラと見守ると、ヴェガスはあっさりと崖の切れ目を蹴って下に降下する。あたしは思わずその瞬間に声を上げてしまいそうになったけど、スタヒスがあたしの手を握ってくれた。心配要らないって言うように。
ディオンは崖下を見て、それからあたしに顔を向けた。
「よし、次はお前だ。ヘマするなよ」
し、したら命はないってことだよね?
あたしは無言でうなずいた。




