⑩自然と戯れて
長い草をかき分け、やっとの思いでそこを抜ける。
でも、そんなことで息切れしてるのはあたしだけだった。ヴェガスたちも涼しい顔してる。……そうだ、船の漕ぎ手なんていう過酷なことしてるんだから、体力はあるんだった。つい見た目で判断しちゃうけど、ここで一番体力がないのはあたし。あたしは人の心配してる場合じゃなかった!
黙々と今度は木の根が盛り上がった森林を歩く。こうしてると、この島って外観より広いんだなって感じる。あたしの世間が狭かっただけとも言うけど。
上を見上げると、空を覆い尽くすように木々が枝を伸ばしてる。その間からキラキラと光が降り注いでいて、なんとも言えない高揚感があった。港町で育ったあたしには、森林なんて縁遠かった。植物も綺麗なものだな、なんて風に思える。
あ、すっごくカラフルな鳥がいた。尾羽が長くって、くちばしがでっかくって、何あれ面白い! あんなに原色ばっかりでいいのかな? と思ったら、他の鳥も結構派手。赤とか。
鳴かないかな? どんな声なんだろ?
よく見たら、木の幹には木と同系色のトカゲがいた。うわぁ、保護色ってやつ? すごい! ほんとにあんな風になるんだ?
知らないことがいっぱい。初めて目にする世界に、あたしは心を躍らせていた。
あのまま町の片隅で一生を終えていたら、こんな光景には出会えなかった。あたしの世界は小さく塞いだままだった。思い切って踏み出した一歩が、あたしに新しい世界を見せるんだ。
あの時の選択を、あたしは一生後悔することなんてない。
上ばかりを見ているから、足もとが疎かになってた。だから、不思議でもなんでもない事態に陥った。
「わっ!!」
大きく張り出した木の根に足を取られた。あたしの声にみんなが反応して手を伸ばしてくれた。傾いたあたしの体を、真っ先に手を取って腕一本で吊るようにして支えてくれたのはゼノンだった。そのまま力強く引かれて、ゼノンの硬い体にぶつかる。ちょっと痛かったけど、こんなデコボコの地面に叩きつけられるよりは断然マシだ。
「ありがと、ゼノン」
ほっと息をついて顔を見上げると、ゼノンの目が少しだけ戸惑っていた。
「いや、気をつけて」
そんな様子を、エセルが面白くなさそうにじっとりと見ていた。
「案外抜け目ないよな、お前」
「な、何を」
「べっつにぃ」
ちょっと、絡まないでよ。
そこで手を離そうとしたゼノンは、あたしの手の甲に切り傷を見つけたみたい。浅くだよ。血もちょっとしか出てないし。
「ミリザ、草で切ったの?」
「うん、そうみたい。気がついたら切れてた」
ゼノンは手を離すと、自分のポシェットから小さなビンを取り出して、そのふたを開けると中の液体をハンカチに染み込ませ、あたしの傷口を拭いてくれた。
「っ!」
ちょっと染みた。あたしがびくっと体を強張らせたせいか、ゼノンは少し困ったように言った。
「ごめん、染みた?」
「うん、少し」
でも、ほんとにちょっとだけ。心構えがなかったからびっくりしただけ。
あたしが笑うと、ゼノンもほっとしたように笑った。
「黴菌が入ると厄介だから、消毒だけはしとかないとね」
「ありがと」
ゼノンはやっぱり優しいなぁ。
そんなあたしたちを、エセルが白い目で見ていた。
「何ここ、二人の世界?」
あ、ディオンは足を止めちゃったせいかちょっと不機嫌な空気をかもし出してる。マズイ……そっちに顔向けられない。
そんな時、ヴェガスがトトト、と可愛い足取りでディオンの隣に進んだ。可愛いって言ってもヴェガスはこれでも妻子持ち。きっとあたしより年上なんだけどね。
身長差がかなりあるのでヴェガスは思い切り首を上に向け、笑顔でディオンに言った。
「Είναι ένα χαριτωμένο δύο άτομα」(お似合いの二人ですね)
ちょっとだけ聞き取れた。『二人』だって。なんだろ?
ニコニコとしているヴェガスに、ディオンは何か眉根を寄せて考え込むような顔をした。
「Δεν νομιζω?」(そうか?)
何かな。何かな。
でも、教えてくれない気がした。




