㉞解放へ
その次の日、あたしは女将さんに急な暇乞いを謝った。でも、ディオンが先に何かを言ったみたいで、元気でねって笑って送り出してくれた。
一緒に働いていた女の子たちはここであたしがディオンに見初められたと思って悔しがってたけど、そういうんじゃないから。
馬車でとりあえず港の方へ向かうんだけど、ちょっと遠い。やっぱりヴァローナまでは持ち船で行けなかったから、陸路を使ったんだって。それで思った以上に行き来が大変だったって。
あたしは馬車の中でディオンと二人。乗合馬車じゃなくて貸切で目的地まで走ってもらうみたい。
あたしはディオンに体を預けるように寄りかかりながら、その心地よい低音に聞き入っていた。
「お前を捜す間、ろくに狩りもままならなかったからな。正直に陛下に全部打ち明けたんだ」
「え?」
な、なんて?
「お前がいなくなったから探しに行きたいってな」
「へ、陛下はなんて?」
「快く、行って来いって仰って下さった」
そんなあっさり?
あたしが驚いてると、ディオンはちょっと笑った。
「もともとそういう約束だったからな」
「どういうこと?」
「今回の戦いで武功を立てれば望むことを叶えてやるって」
陛下との間にそんな約束が交わされてたなんて初めて知った。
「陛下はお前が相手なら許すと仰って下さった。それがあの時、陛下がお前に取らせるつもりだった褒美だそうだ。……いつの間にか陛下まで味方につけるんだからな、恐ろしいヤツだ」
なんて、クスクスと笑ってる。恐ろしいって何よ。
そういえば、陛下も戦いが終わったらご褒美があるって言ってた。すっかり、綺麗さっぱり忘れてたよ……。
「でもまあ、戦いの後だっていうのに積荷のひとつも献上できないのは申し訳ないからな。セレーネライトは陛下に差し上げた」
そうなんだ?
あの石、今度は陛下を守ってくれるよ、きっと。
「戦いの前に、本当はあの石はエセルに渡したんだ」
「エセルに?」
「いざとなれば石と交換にしても船とお前を守れって」
エセルはその時にディオンの気持ちを知ったのかな。
もしかすると、とっくに気づいていたのかも知れないけど。
エセル、どうしてるかな?
「トリストラム号でのことはエルミスに聞いた。お前が自分たちのためにあいつの言いなりになったって」
あたしの表情が翳ったのがわかったのか、ディオンはあたしの肩を引き寄せてつぶやいた。
「お前はそれでいい」
ディオンの言葉がゆっくりとあたしに浸透して行く。じわりと滲んだ涙はディオンのチュニックに染み込んだ。
「なあ、お前にエピストレ語を教えるって決めた時、オレは未来を見てたんだ」
「え?」
「すぐには無理かも知れない。でも、この知識は有効に使ってもらえる相手に解放することも考えて行きたい」
「……どういうこと?」
「パルウゥスたちの隷属を禁止する法を陛下に検討して頂いている。正当な雇用関係を作るそのためにはエピストレ語の通訳がもっと数多く必要になるんだ。だから、知識の独占はパルウゥスたちのためにはならないんじゃないかって」
ディオンはすごく遠くを見てた。
自分の周りだけじゃない、手の届かない相手のことも案じて先を見据えてる。
あたし、やっぱりすごい人を好きになったんだな。
「もちろん、船を持つ貴族連中の反発は強い。仮に法を制定したとしても、非合法に奴隷として扱うヤツらもいるだろう。エピストレ語の難解さを指摘されて先延ばしにされる可能性もある。だから、これはそう簡単な話じゃなく、オレが一生かかってやっと成し得ることができるかどうかって問題だ」
うん、パルウゥスは穏やかで心優しい賢人たちだもん。敬って共存して行きたい。
レオンたちみたいな悲しい目に遭うパルウゥスが減って、パハバロスのみんなみたいな関係が出来上がる。本当にそうなればいい。
「ディオン」
「うん?」
「あたしがついてるよ。全力で支えるから」
もう離れないって誓うよ。
そう言うと、ディオンは柔らかく笑った。
「あてにしてる」
えへへ。
そういえば、ヴェガスはまだ公用語のこと秘密にしてるのかな?
ディオンの願いを聞いたら、きっと喜んでくれると思うけど。
カタカタカタと馬車がリズミカルに揺れる。その揺れとほどよいぬくもりとで、あたしは迫り来る睡魔と戦ってた。
ふあ、とあくびを噛み殺していると、ディオンが意地悪く言った。
「なんだ、眠たいのか?」
……誰のせいですかね、ほんと。