㉜ワームウッドの間
そういえばあたしは気づいたら誕生日を迎えてた。十七になってたみたい。
一年前のあの日からいろんなものが始まって、そうして終わった。多分、あたしの人生の中で一番濃い部分だったよね。後は平坦に過ぎて行くのかな。日常は退屈なくらいで丁度いいんだよ、きっと。
それから数日後。
その日はあたし、一階の部屋の担当だった。階段の上り下りがないから楽だ。
ひと通りお客さんの受け入れ準備が整ったら、少し遅めの昼食。ブラウンシチューと、昨日お客さんに出した残りのパンを焼き直してつけてくれた。
それをお客さんのいない食堂の窓際で食べてると、他の従業員の娘たちもやって来た。なんか楽しそうにしてる。
「ねえねえ、ワームウッドの間のお客様見た?」
この宿の部屋は植物の名前になってる。ワームウッドは二階の突き当たりだから、今のあたしには関わりない。
「え、見てないけど、何よ?」
「あのね、すっごく素敵な方なの」
「どんな?」
「まだ若い男性。気品はあるんだけど、ちょっと危険な香りもするような、とにかく魅力的な方」
「恋人と一緒ってオチでしょ?」
「それがね、お一人なの」
……女性陣ってこういう話題好きだよね。まあ、いいんだけどさ。
「いいなぁ。私もそういう方の担当になりたい」
「駄目。私がお世話係なんだから」
もぐもぐ。さて、仕事に戻ろう。
浮き足立った彼女たちを残してあたしは仕事に戻った。
☠
その日の夕食を終えて、そろそろ仕事も終わりって時間。
あたしは女将さんに呼ばれた。なんだろ、粗相はしてないつもりだけど。
明日も早いんだけどな。すぐに終わるかな?
女将さんは細すぎる指を染みの浮いた頬に添えてあたしを待ってた。そうして、ため息をつきながら言う。
「あんたの担当、ちょっと変わってもらうよ」
「え?」
「ワームウッドの間のお客様がね、従業員が浮き足立ってうるさいから変えてくれ言うんだ。まあ、見栄えのするいい男だからねぇ、騒ぎたくなる気持ちもわかるんだけど。あんたならそういう相手にも落ち着いて接することができるだろ? 頼んだよ」
なるほど、うるさかったか。確かにね。
それにしても、あたしは会話に参加しないから色恋に無関心って思われてるんだろうな。
いいんだけどさ、担当が変わるとなるとあたし恨まれそう。あたしのせいじゃないんですけどね。
まあ、これも仕事だから仕方ない。
「わかりました」
あたしは静かに返事を返した。女将さんはちょっとほっとした様子だった。
「じゃあさっそくで悪いけど、タオルの替えがほしいっていうことだから届けておくれ」
「はい」
いい男ね。でも、騒がれてうるさいから担当を変えろとか、ちょっと自意識過剰なんじゃないの?
なんてことを思いながら新しいタオルを取りに向かった。それを三枚ほど重ねて、あたしは階段を上がる。ワームウッドの間は突き当たり。部屋の扉にワームウッドのシンプルなデザインが彫られてる。
あたしはその扉を丁寧にノックした。
そろそろ眠ってる人も多い時間帯のせいか、静かなものだった。
「夜分に失礼致します。お客様がご所望されましたタオルの替えをお持ち致しました」
ワームウッドの間から返答はなかった。まさか、呼びつけておいて寝てるなんてオチはないよね?
あったら怒るよ。
ちょっと待ってみたけど返事はない。もう一度ノックしたけどやっぱりない。……寝やがったな。
あたしは仕方なく扉に背を向けた。
その途端、ワームウッドの部屋の扉は開いた。それもかなり勢いよく。
驚いて振り返ろうとしたけど、中から伸びて来た手があたしの口を塞いで悲鳴すら上げられなかった。すごい力で腰周りを抱えられて部屋に引き込まれた。タオルを落としちゃったけど、それどころじゃない。あたしは心構えがまるでなかったから、恐怖で体がいうことを利かなくなった。
半ば部屋の中に放り出される形になって、あたしはよろめいて床に手をついた。その時、後ろでガシャン、と施錠される音がした。
……鍵かけられた!?
でも、落ち着け。ここは宿の中。敵船で孤立してる状況に比べればどうってことない。
あたしは腹をくくってこの部屋の主と対峙するべく振り返る。そうして――目を疑った。
「嘘……」
そこには、腕を組んだディオンが室内のランタンの灯りに照らされて佇んでいた。
でも、その顔は強張って怒りに震えている風に見えた。
こんなところにいるはずない。いるはずないけど、こんな人が他にいるとは思えなかった。
ディオンはあたしを見ろして、ようやく口を開く。