㉘最後の航海
陸地で隣の漁村までの距離が遠いように思われても、海ではもっと近い。ウラノス号が出航した時にヴァイス・メーヴェ号に遭遇する可能性もある。
でも、だからといってそちら側に近づかないでほしいと頼んだら、勘のいいヒルデさんは何かに気づいて逆にそっちに船を向ける気がする。だから、余計なことは言わなかった。
あたしはただ祈って待つだけだ。
宿のヒルデさんの船に一緒に泊めてもらった。
そうして、翌朝に出発する。その前に簡単な着替えなんかも町で買い揃えてカバンに詰めた。
外観からも幾分磨きがかかったウラノス号をあたしはヒルデさんの隣で眩しく見上げる。古い船なんだけど、ヒルデさんたちには大切なんだよね。
こんな形でこの船にまた乗ることになるなんて思わなかったけど。
船員の人たちにその節はどうも、と頭を下げた。みんな何かを言いたげにヒルデさんを見たけど、ヒルデさんは何も言わなかった。ただ、アレクトールの港へ行くとだけ伝える。
「ヴァローナまで船で行くのは無理でしょう。行けるとして、キノノスまでかと」
アモスさんが冷静にそう言った。キノノスはアレクトール南の港町だ。あたしはすかさず身を乗り出す。
「それで十分です!」
「――だそうだ」
と、ヒルデさんは肩をすくめた。アモスさんとイーサンさんは顔を見合わせて嘆息した。
修繕されたウラノス号は、あたしを乗せて出航する。その甲板であたしは潮風に吹かれながら考えた。
この航海が終わったら、あたしは二度と船には乗らないんだろうな。
忙しく働いた船旅は嫌いじゃなかった。むしろ楽しかった。
その思い出は胸の奥に大切にしまっておこう。
そんなあたしの隣にヒルデさんは立ってた。
「海賊稼業なんて荒っぽくて、その上戦争にまで借り出されたとしたら、あんたみたいに図太い娘でも参っちまうのは仕方がないね」
あたしは苦笑して返しただけだった。
ヒルデさんはそこから何を読み取ったのかな。それ以上何も言わなかった。
あたしは次第に遠ざかるルースターの地を眺めていた。
あの女王陛下の国だもん。これからも力強く発展して行くんだと思う。
ハワードさんやヘイリーだってついていてくれるんだから。
いい国だよね。でも、ここはあたしの居場所にはならなかった。
波に乗って遠ざかるごとに未練が心に湧いて来るみたいだった。弱い自分は大嫌いだ。
ディオン。
ディオンはいつだって毅然と前を向いてみんなを導いてた。
ふと、あたしは指先で自分の唇に触れた。
――あの時の船底でのこと。全部終わったらわけを話してくれるって言ってた。
でも、それどころじゃなくて結局聞けなかった。
それでよかったんだって今は思う。
曖昧なまま、はっきりとした言葉にならなかったことが今後のあたしの救いになる気がした。
もしかすると、なんて都合のいい夢を抱いて、昔を懐かしんで、あたしにはそれで十分なんだ。
さよなら、ディオン。
あたしはルースターに背を向けて船内へと下りた。
キノノスなら『強欲の三角形』を通過せずにルースターから到達することができる。このウラノス号は私掠船じゃない私的な海賊船だから、ルースターの船という目印はない。どちらかと言えばルースター寄りだけど、国と運命を共にするほどの義理はウラノス号にはないんだろうな。
戦争の後だから少し入港を渋るかも知れないけど、敗戦の後なら外からの船が使ってくれるお金も経済的にほしい。荒くれとは言っても節度のあるヒルデさんたちなら大丈夫なんじゃないかなって思う。
あたしの故郷のヴァローナも、ほとんどが停泊する船の落として行く金銭が町の潤いだった気がする。
ウラノス号に乗っている間、ただ乗せてもらっているのも申し訳ないから、シー・ガル号にいた時のように働いた。料理を作って洗濯をして。
第一印象が悪かったせいか、あたしがそういうことができるって思われてなかったみたい。
妙にびっくりされた。でも、みんな喜んでくれた。
前に乗った時みたいな状況じゃないから、食料もちゃんと用意されてる。
……ディオンたちはちゃんとご飯食べてるかな?
エセルの他にも怪我人がそこそこに出たから、ファーガスさんは調理よりも船医として動き回ってる。
食事の支度、マルロだけじゃ追いつかないよね。みんなが手伝ってくれているとは思うんだけど。
離れても、考えるのはあっちのことばかり――。
いつまでもそれは変わらないのかな。