㉗借り
ヒルデさんたちはこの町の船大工に頼んでウラノス号を修理してたんだって。……あの時、ディオンから奪ったお金でね。
それがやっと直って、そろそろ海に出ようかって時に戦争が起こった。だからしばらくは様子を見てたらしい。
そういう事情をあたしはヒルデさんが借りてる宿の部屋で聞いた。
丸いテーブルを挟んで、ヒルデさんは長い脚を組み直すとあたしに訊ねる。
「――で、あんたは? こんなところで一人、何をしてるんだい?」
アモスさんとイーサンさんは置物みたいに壁際から動かない。あたしはヘビに睨まれたカエルみたいなものだった。
「それは……」
「ディオンは戦争に参加していたはずだ。ここで待てって言われたのかい?」
なるほど、その手があったか。
「そう。そうなの」
すかさずあたしが言うと、ヒルデさんはすぅっと目を細めた。
「この嘘つき娘が」
ぐ。
「アタシを見くびるんじゃないよ。あんた、黙って出て来たんだね?」
さすがにヒルデさんは勘がいい。……どうしよう。
あたしがしょんぼりと項垂れると、ヒルデさんは嘆息した。
「これでもね、アタシはあんたたちに借りがあると思ってる。だから事情さえわかれば理解は示すよ」
ヒルデさんは義理とかそういうことにうるさい。
借りか。あれをそんな風に感じてくれてるなんて意外だった。
でも、あたしはその言葉を信じることにした。
「……あたし、ディオンたちから離れて故郷に戻ることにしたの」
すると、ヒルデさんは組んでいた脚を下ろしてテーブルに肘をついた。
「故郷ねぇ。なんでまた?」
「あたしがいることでディオンに迷惑がかかるから」
その答えをヒルデさんは軽く笑った。
「迷惑だって言われたのかい?」
あたしはかぶりを振る。
「じゃあ、気にしなけりゃいい」
「そういうわけには行かないの。離れるってもう決めたの。二度と戻らない」
あたしの決意が固いことをヒルデさんは感じてくれたのか、少し困った風に言った。
「あんたの故郷ってのはどこだい?」
「アレクトール王国のヴァローナの町」
「遠いね。この状況でそんなところまで行く船はないよ。どうやって行くんだい?」
どうやって。それは今から考える。
……本当は、ヴァローナには戻らない。アレクトールの片田舎で過ごそうと思ってる。
あたしは試しに言ってみた。
「途中まででいいから、アレクトールのどこかに降ろしてほしいって言ったら駄目?」
ヒルデさんはぽかんと口を開けて、それから額を押えて下を向いた。
「あんた、相変わらずとんでもないこと言うね」
「あたしに借りがあるんでしょ?」
「コイツ……」
睨まれた。
でも、こっちだって必死だ。後がないんだから。
「お願いします。あたしはいつか、もっとディオンを苦しめてしまうかも知れないから、そうなる前に離れてしまわなくちゃいけないの。あたしとディオンに借りがあるって思ってくれるなら、お願い」
あたしの顔がひどく強張っていたせいか、ヒルデさんの顔も悲しげに見えた。
「一緒にいるっていう選択はできなかったのかい? 本当にそれしか方法がないって?」
そんな優しいことを言われると泣きたくなるから、あたしは大きくうなずいてそれから笑顔を作った。
「あたしはディオンと島のみんなが無事ならいい」
二度と会わない。それは願掛けのよう。
大好きなみんなにあたしは二度と会わないから、どうかみんなを幸せに過ごさせて下さい。
神様にそうお願いしたい。
ヒルデさんは頭をガリガリと掻いた。
「頑固娘が。でも、あんたの要求を突っぱねると、あんたは何をするかわからないからね。いいだろう」
それを聞いてほっとした。でも――。
あたしは壁際の二人に顔を向ける。
「絶対にあたしを送り届けることをディオンたちに教えちゃ駄目ですよ」
ディオンたちがどこにいるのか、ヒルデさんたちは知らない。
だから教えようもないんだけど、念のために釘を刺しておいた。
「言わないよ。でも、あんたこそ後悔しないことだ」
そんなこと――。
「向こうに渡ってしまえば後悔したところでそうそう戻れない。本当に覚悟はいいんだね?」
ヒルデさんはそう言ってあたしを試す。
あたしははっきりと答えた。
「もちろんです」
ヒルデさんはわかった、とつぶやいた。
……ありがとう。