⑫船底にて
あたしはとりあえず、マルロと一緒に食事の支度をした。これから先は順調に調理ができるとも限らないねって話し合って、いつもよりも色々と準備した。
ファーガスさんほど美味しくはできないけど、保存の効くパンを多めに焼く。いざとなったらこれだけ齧っててもらおう。後は乾燥させた海草とかキノコとか、塩とハーブの粉末も計量しておいて、素早くスープくらいは作れるように準備はしておいた。
今日は全粒粉でクレープ生地を焼いて、オイル漬けした魚とオリーブと一緒に、少ししなっとして来たベビーリーフを使い切る。玉ネギもスライスして。この生地、モチモチしてて結構おなかいっぱいになるんだよね。それからジャーマンポテト。定番だけどみんな好きだから文句言われない。
あたしたちがせっせと食事の支度をしてると、そこへエセルの指示で来た船員の一人ロランがあたしに言った。
「ミリザ、エセルがパルウゥスたちに指示を頼むって。少し速度を落としてほしいらしい」
「あ、うん」
チラッとマルロを振り返る。
「行って来いよ。後はボクだけで大丈夫だ」
取り分けるだけだし、じゃあお言葉に甘えよう。
「ありがとう。お願いね」
そうしてあたしは漕ぎ手座に急いだ。今、海のどの辺りなのかな? 中にいると全然わからないや。
漕ぎ手座に行くと、スタヒスを筆頭にみんなせっせと漕いでた。スタヒスもヴェガスがいない分、自分がしっかりしないとって張り切ってるんだと思う。エセルと一緒だね。
あたしは漕ぎ手座の狭い通路に立つとエピストレ語で言った。
「Ο καθένας, παρακαλούμε να επιβραδύνει λίγο την ταχύτητα」(みんな、少し速度を落としてほしいって)
パルウゥスたちはあたしの言葉にうなずくと、それから漕ぐ力を弱めた。
「Ελήφθη」(わかった)
そのまま通路を進んで、漕ぐタイミングを計る太鼓のリズムを遅らせるようにあたしはゼンマイをいじった。ヴェガスがここで調節できるって言ってた。
そうすると、音はゆっくりになる。これでよし。
それから、壁際にある管を使って操舵席のエセルに声をかける。
「エセル、どう?」
すると、しばらくしてから少しくぐもった声が管から返った。
「ああ、ありがとう」
お喋りなエセルが短い返答。緊張が伝わる。
「……大丈夫?」
ぽつりと言うと、エセルが苦笑したような気がした。
「まあね、一応指示通りに進んでるよ」
「そっか。がんばってね」
あたしがそうつぶやいた時、管を通して外の音が漏れ聞こえた。
ドンって、船底まで響く軽い振動。……大砲の音。これって、始まったの?
すぐ近くのことではなさそうだけど、ドクンドクンと心音が早まる。
ああ、甲板に上がりたい。上がって状況を見たい。
そんな風に思っちゃうけど、それをするとエセルが困る。だから駄目だ。
でも、見えないで音と振動だけを感じて船の中にいるのってすごく怖い。全部が憶測で、頭の中で戦いが展開されて行くみたい。
「そのまましばらくそこにいてくれる? 微調整してほしいし」
エセルがそんなことを言う。
「うん。なんでも言って」
「えっと、愛してる」
「それはいいから」
すかさず突っ込んだ。そんなことを言うゆとりがあるなら大丈夫かな。
ザア、ザア、と船を漕ぐ音と太鼓のリズムの中、あたしはエセルの指示をパルウゥスたちに伝える。
少しだけ進行方向が変わった。エセルが言うには配置があるらしい。かなり後ろの方だって話だけど。
まあ、最初から戦力じゃなくて頭数って言われてるしね。
ルースターとアレクトール。お互いに海を挟んで向かい合う国だから争いが絶えないっていうけど、だからって争ってばっかりいて、それで誰が幸せになれるんだろ。
家族を送り出したまま帰って来なかったことも多いと思う。そういう悲しい思いをする人が減るようにすることはできないんだろうか。
女王陛下は争いを好む方じゃないよね。じゃあ、アレクトールが好戦的なの?
そんな簡単な問題じゃないのかな。どっちも止めたいけど、止められない、国ってそういうものなの?
相手だって同じ人間なのにね。
世界平和なんて特に祈ったこともなかったけど、巻き込まれてみて初めて、それって素晴らしいことだと思った。だから、今の瞬間から祈るよ。争いのない世界になりますように。