⑪雑念
……あれは、やっぱり夢かな?
時間が経つにつれてそう思う。それくらい、あり得ないことだったんじゃないかな。
だって、ディオンだもん。
今までどれだけ興味ないって邪険にあしらわれて来た?
それが、ディオンの方から――なんて。
あたしは階段に座り込みながら、自分の唇に指の節を当ててぼんやりと考え込む。
わけって何よ?
全部終わったら教えてくれるって。それ、なんでキスしたのかってことだよね?
もしかして、あたしの気持ちに応えてくれるつもりになったってこと?
あたしはそう考えてみたけど、それがすごく現実離れした妄想だって自分で思った。そりゃあ、そうだったらいいのになって思うけど、思うんだけど……。
そういう期待をして違ったら、さすがに立ち直れない。
ディオンのことだから、作戦を成功させるためにあたしのモチベーションを上げたかったのかも知れない。もしくは、この戦いに巻き込んで悪かったって思ってるから、そのお詫びだとか。
……。
残念だけど、そのどっちかの方がよっぽどあり得る。
そうだよね、そういう意味だよね。
と、あたしは自己完結すると立ち上がった。乙女心を弄ばれてるとは思うんだけど、そこを怒るのは全部終わってから。ほんのちょっとだけ希望も残ってるわけだし。……とりあえずはナイナイって否定する自分の心にフタをする。モチベーション下げたって仕方ないし。
でもさ、作戦を成功させたらきっと褒めてもらえる。そこがちょっと楽しみ。
あれが最後の記念にならないようにがんばろ。
あたしは前向きな考えで浮上した。よし、と拳を握り締めると階段を駆け上がる。
☠
ディオンはもうヴァイス・メーヴェ号に戻ったみたい。甲板の上にはいなかった。
すぐに顔を合わせるのはちょっとキツイ。内心ほっとした。
エセルが潮風に髪をなびかせながら佇んでる。癖のない長い髪が光を受けて綺麗だった。あたしは癖毛だから羨ましい。
あたしがそこにいることに気づいたみたいで、エセルは振り返った。波の音、他の船が立てる音や人の声、このうるさい中でよくわかるよね。
「ミリザ」
――エセルに少しの罪悪感を感じる。いや、別にエセルに気のある素振りなんてしてないんだけど。
疚しさを表に出さないようにして答えた。
「何?」
「そろそろ跳ね橋を外すよ。僕たちはコキノレミス卿の指示に従って動く。心構えはできたかい?」
心構え、か。
できたって胸を張って言えないけど、それはいつまで経っても同じだ。
「……うん」
そう答えるしかない。エセルもうなずいた。
「ミリザはあまり甲板に出ていなくていい。女の子がうろうろするのは少しややこしいことになるし。作戦中はパルウゥスたちのところから僕とやり取りをしてくれたらいい」
「わかった」
エセルは外見が軟派だし素行もアレだし、だから余計に、戦争に女連れかとか言われちゃうよね。なんで連れて来たのか、エピストレ語のことを内緒にすると説明しづらいし。
そこでエセルは船べりにいたマルロに目を向けた。
「マルロ」
「ん? なんだよ?」
マルロはエセルに対して、ディオンに対するほどに素直じゃない。でも、今はそういうこと言ってられないからね。
「甲板へ出る用事はミリザに代わってお前がこなせ」
渋々ながらにマルロはうなずく。
「ああ」
よし、とつぶやいてエセルはまたヴァイス・メーヴェ号に目を向けた。
向こうからの合図を受け、こちらも返している。いよいよ船を分断するってこと。
……そうしたら、ヴァイス・メーヴェ号は進軍するんだ。神様に祈る習慣なんかないけどさ、こういう時だけは祈りたくなるって勝手だよね。
それでも、あたしの力じゃどうにもならない現実だから、もっと大きなものにすがりたくなる。
跳ね橋がガコン、と大きな音と振動をこちら側に与えながら離れた。跳ね橋が畳まれ、お互いの船が別々の固体になる。海の上で離れて行く。
あたしの目はヴァイス・メーヴェ号の上のディオンを探した。徐々に徐々に豆粒みたいに小さく、どんな表情でそこにいるのかも見えないけど、それでもあたしはディオンを見つめ続けてた。
全部終わったら。
全部終わったら、あの船底でのことを説明してくれるんだよね。
しばらくの間、それを糧にがんばるよ。
この殺伐とした空気の中、あたしの心の一部分だけがふわりと柔らかくてあたたかい。
そんなのでいいのかなって思うけど、でも、心は正直だから。
早くまた会いたい。
だから、無事に戻って。