⑳まあいい
もう辺りは暗かったから、泊まって行くなら部屋を用意させると陛下が言ってくれた。でも、あたしもディオンも早く船に帰りたかった。みんなを一刻も早く安心させてあげなきゃ。
だからそれをやんわりと伝えると、陛下はそれをわかってくれたのか、それ以上引き止められなかった。
ディオンは陛下と話し込んでたけど、ちょっと表情は厳しい。二人のやり取りは甘い恋の駆け引きなんかじゃなかったのかな?
ハワードさんが言ってたことも気になるし。
陛下は港まで送らせると言って馬車を用意してくれた。あたしたちはそれに乗り込む。王家御用達の馬車だもん、座席の手触りもよくてちょっと緊張した。
二人きりの車内。向かい合って座る。あたしはディオンのそばにいられることに幸せを噛み締めてた――んだけどね、ディオンはすごく怖い顔であたしを睨んだ。
「下手をしたら処刑されていてもおかしくなかったな」
「え?」
「オレがじゃない。お前がだ」
「……」
あー、まあ不敬罪かな。
ディオンは深々と嘆息した。
「ただ、陛下は今回のことは自分が軽はずみだったからなかったことにすると仰って下さった。お前のことも思っていたような人間でもなかったから、まあいいだろうと」
まあいいんだ? よかったって思っとこう。
でも、ディオンは何か治まらないみたいだった。
「それで、ゼノンたちにも内緒で飛び出して来たってことは、金も持ってなかったはずだ。なのにその格好はなんだ? 誰に用意してもらった?」
そこが気になるんだ?
黙ってるとヘイリーに悪いから、あたしは正直に言った。
「ヘイリーに買ってもらっちゃった。陛下に対して影響力のあるハワードさんに会うつもりしてたら、あたしの格好だと貧乏臭くて門前払いだって。今度会ったらディオンからもお礼言っておいてね」
あたしの発想と発言は、ディオンの想定外だったみたい。目を丸くして、そして、今まで数々怒られて来た中でも最高にこってりと怒られるハメになる。
「お前は馬鹿か!! ヘイリーに服を買ってもらった? お前は自分がどれだけ危ないことをしてたのかっていう自覚がまるでない」
「いや、だって、そんなこと言ってる場合じゃなかったでしょ?」
「だからって、見返りに何を要求されるかわかったもんじゃないだろうが!」
「じゃあ脱ごうか?」
あっさり言ったら、更に怒られた。
ディオンは呆れたように髪を掻き上げる。その手首に手錠の跡が割とはっきりと残ってた。
「お前がオレのために動く必要なんてなかったんだ。それをお前は引っ掻き回して――」
ディオンはそう感情的にまくし立てたかと思うと、そこでぴたりと止めた。……何?
カラカラカラ、と車輪の音だけが響く。
あたしはじぃっとディオンを見た。
「何? 言いたいことははっきり言ってよ」
今更何言われてももう大丈夫だもん。
なのに、ディオンは口もとに手を当てて少しうつむいた。
「……言ったら泣くくせに」
そりゃあたまにはそういう時もありますよ。
「あたしが泣いたからどうだって言うの?」
「どうって……」
歯切れが悪い。もしかして、あたしがディオンの言葉で泣いたこと、すごく気にしてる?
あたしはぽつりと言った。
「ディオンがあたしを好きじゃなくても、あたしはディオンが好き。ディオンのために何かしたいって思ったのも迷惑かも知れないけど、それでも、どうしても何かしたかったの」
ディオンは無言だった。
あたしの気持ちが重いとか思ってる? 多分そうなんだろうなぁ。
でも、そんなのどうにもならないよ。だって好きなんだから。
あたしは頭を打たないように気をつけつつ、座席を移動した。ディオンの隣に座り込むと、陛下がしてたみたいにディオンの腕にしなだれかかる。これくらいはいいよね?
ディオンはうっとうしいってはね除けるかと思ったら、意外なことに好きにさせてくれた。
そうして、車窓の外を眺めながら言った。
「ただ、陛下に出て行けと言われた通りに出て行かなかったことだけは褒めてやる」
「え?」
「お前の身柄はオレに決める権利がある。エピストレ語を教える条件だったはずだ」
「うん、そうだね」
あたしはディオンに寄り添いながらそっとまぶたを閉じた。そうしてると、ディオンの声がもっと深く感じられる。
「……帰るところがないのなら尚更、勝手に飛び出すな。お前を受け入れた時点で、オレはお前の船長だ。船長としてお前のことも守る義務がある」
勘違いするなって怒られそう。マルロたちと同じってことで言うんだよね。
でもさ、それでも嬉しい。
「大好き」
言葉にしたのに無反応ってひどい。
それでもさ、馬車がもっと遠回りしてくれたよかったのに。案外あっさり着いちゃったんだから、勿体ないなぁ。