⑮無理なんて
食事を運んだ時、ヴェガスたちもあたしを困ったように見遣ってた。そんなに疲れた顔してたのかな。
表に出しちゃうなんて、あたしもまだまだだよね。
夜になって、何もしないでいると眠くなる。だからあたしは洗濯物の中からほつれていたりボタンが取れていたりするシャツを持って来た。裁縫道具も借りてある。
よし。
灯りに使う油はちょっと勿体ないかも知れないけど、灯りが消えるまではお裁縫だ。
チクチク、縫いながらちょっと思う。
なんであたし、こんなことしてるのかなって。うるさいって言われるのがそんなに嫌なのか、ディオンさんの眠りを妨げたくないのか――なんて、ほんとは理由もわかってる。
泣いてるなんて思われたくないんだ。あたしはどんな時でも平気な顔をして生きて行く。
だから、泣いたりなんかしたくないし、泣かない自分になったと思ってた。
なのに――。
「っ……」
雑念だらけだったせいか、目がかすんでるせいか、指を突いちゃった。軽く舐めて、縫う手を止めた。
朝は遠い。
☠
早朝になって、あたしはそろりと倉庫から出た。まだ厨房にファーガスさんは来てないかな?
でも、先に行って待っていようと思った。
そしたら、船長室の机にディオンさんが座ってた。机に頬杖をついて何かを考え込んでる。こんな時間に起きてるなんて、珍しいな。
「あ、おはようございます!」
なるべく元気に挨拶した。ディオンさんは何か緩慢な動作であたしを見た。物言いたげに、じっと。
安眠妨害、もうしてないはずなんだけど……。
「じゃあ、朝食の手伝いして来ますね!」
あたしはディオンさんから逃げるようにしてさっと部屋を出た。
なんかね、昨日より慣れたのかな?
逆に目が冴えた気がする。あたしはせっせと働いた。
マルロ他数人が洗ってる洗濯物を受け取って、甲板まで干しに行く。カゴいっぱいの洗濯物は少し重い。洗濯用に張ったロープにシャツやタオルを干して、洗濯バサミでしっかりと止める。飛んで行ったら大変だもん。
乾いたら取り込んで、次をまた干す。この繰り返し。一度に干せないのが面倒だけど、乾くのは早いからまだいいかな。
三回くらい繰り返したかな?
乾いた洗濯物の入ったカゴを抱えて、甲板から中に入った。船室が両脇ある廊下を進むと、不意に冷や汗が噴き出す感覚がした。体の体温がスッと下がって行くような、そんな感覚。
あ、まずいなと思った時には、視界が歪んでた。せっかく洗った洗濯物を落としちゃ駄目だと思うのに、体が言うことを利かなかった。カゴごと廊下に洗濯物をぶちまけて、あたしはそこに倒れた。
駄目だ、すぐに起きなきゃって頭のどこかでわかってるつもりなんだけど、すでに意識は曖昧になってる。
そんな時、廊下を走って来る振動が、倒れているあたしに伝わった。あ、この振動気持ち悪い。もっとそっと歩いて……。
「どうした!? 具合が悪いのか?」
この声は――ゼノンさんだ。ごめん、ちょっと返事できない。
無言でぐったりしてると、ゼノンさんはあたしを抱え上げた。意識がないって思うからか、それ以上声はかけられなかった。どこかに運ばれてるけど、もう成り行き任せだ。
とりあえず、ゼノンさんが向かった先は医務室で、途中で通りかかった船員にファーガスさんとディオンさんを呼ぶように声をかけてた。ファーガスさんはともかく、ディオンさんには知らせないでほしかったんだけど、それも上手く伝えられない。
ゼノンさんはあたしをそっと寝台の上に下ろすと、優しい声音で言った。
「こんなになるまで無理しちゃいけないよ」
迷惑をかけたくなかったけど、結果としてかけちゃったみたい。ごめんね。あたし、自分のこと過信してた……。
タタタ、と素早く駆けて来る足音は多分ディオンさんだ。ファーガスさんはそんな軽やかじゃないし。
「ディオン」
やっぱり。
ちょっと逃げたい。
ディオンさんが今、どんな顔してるのか見なくても想像ついちゃうよ。
やっぱり役に立たないから海に捨てろとか言われても仕方ないかも……。
「疲れが溜まったんだろうね。ここは彼女には苛酷な環境だと思うよ。精神的にもつらかったと思うし……」
ああ、ゼノンさん優しい。いい人だなぁ。
でも、庇ってもらうのも申し訳ないよ。
ディオンさん、ものすごい勢いで悪態つくのかと思ったら、案外落ち着いてた。
「そうか」
それだけ?
拍子抜けしちゃった。
ディオンさんはそれからぽそっと言った。
「それから多分、寝不足だ」
あ、ばれてる?
「寝不足? ああ、場所を移したとは聞いたけど、エセルのこともあったし、こんな環境じゃ寝れないか」
「いや、オレがうるさいって言ったからだな」
「うるさいって、寝言?」
「そんなところだ」
「うなされてたんだ?」
「ああ」
そこでゼノンさんは小さく笑った。優しい、柔らかい声だった。
「うなされてたから、悪夢を覚ますために起こしてあげたんだろ? 乱暴な言い方をするから上手く伝わらないんだよ、ディオンは」
「オレはこの船の船長だ。ご丁寧な喋りなんてしてたら他のヤツにも示しがつかないだろ」
確かに、荒くれの海賊のお頭なんだもん。乱暴なのって当たり前だったね。
でも、ゼノンさんは呆れたみたいな声を出す。
「この娘、一人で色んなものを抱えてる。しっかりしてるし、少し優しく接したくらいで過剰に甘えてくることもないと思うよ」
ありがとう、ゼノンさん。
……でも、そういう優しさって、あたしみたいな人間にはちょっとつらいよ。
ファーガスさんが来てくれたけど、ディオンさんがこのまま寝かせておけばいいって言って返した。
あたしはその直後、やっと眠りに落ちた。眠たいを通り越えると、寝てるんだか起きてるんだかよくわからない状態だった。おかしなものだよね。
夢の中にディオンさんがいて、あたしに何か言ってた。そんな気がした。